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9. Love Holic 【R18】

Love Holic ①

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 五月三週目、日曜日。

 朝からどんよりとした天気は、美空の心の中を現わしているかのようだった。

 久々に大きな発作を起こして、十玖に迷惑を掛けてしまった。
 あれほど気を付けるように言われていたのに、十玖を過保護扱いして遠ざけ、却って迷惑を掛けるなんて、愚の骨頂だ。

 原因は、あの手紙。
 十玖を縛り付けてると、自分でも思う。

 美空は部屋を出て、リビングに行くと父が出かける準備をしていた。

「どこ行くの?」
「本屋に行って、映画でも見てこようかなと思ってね」

 ズボンのポケットに長財布を突っ込む。

「またポケットに入れるぅ。骨盤歪むからマムにダメって言われたでしょ。ただでさえ腰痛持ちなのに」
「最近マムに物言いが似て来たよね。可愛いなあ」
「話逸らさない! この間買ってもらったボディバッグは?」

 見ればソファーに投げ置かれている。美空はバッグを手に取り、ポケットから長財布を抜き取って中に突っ込んだ。

「もうすぐ十玖来るのに」
「二人の邪魔するほど野暮じゃないよ。トークンの事、信用してるし」
「パスワード生成アプリみたいな呼び方止めてって」

 元々母が言い出したのを、父がマネし始めた。どうも “十玖くん” と言い辛いらしい。
 父はニコニコ笑って感知しない。

「十玖楽しみにしてたのに」

 父と十玖の音楽の趣味が似ていて、音楽の話でいつも花が咲く。たまに美空が嫉妬するほどだ。

「夕方には戻るからね。トークンにもそう言っといて」

 ひらひらと手を振って、父は出かけてしまった。
 美空はストンとソファーに腰を落とした。
 母は英会話教室の講師をしていて、日曜は大概仕事でいない。晴日も今日は萌とデートに行ってしまった。

 美空一人がぽつんと取り残された。
 二人きりになりたいような、なりたくないような、変な気分だ。
 あの手紙が、頭の片隅から離れない。



 どのくらいぼうっとしていたのだろう。チャイムが鳴って我に返った。
 インターフォンのモニターを見ると、十玖の姿が映し出され、美空は応答して玄関に向かう。

「いらっしゃい」
「お邪魔しまーす」

 奥に向かって声を掛けるが、返答がない。十玖は美空を見た。

「さっき出掛けちゃった。夕方には戻るから十玖にもそう伝えてって」
「そお…なんだ……?」

 十玖は靴を脱ぎかけていたのを躊躇する。
 二人きりは避けるべきか、悩んでいるようだ。

「ダッドは十玖を信用してるからだって」
「それって何のプレッシャー?」
「さあ?」

 美空はにっこり笑って、階段を上ろうとする。十玖は美空の手を取って、待ったをかけた。

「リビングにしよ」

 二人きりで美空の部屋は危険極まりない。そこまで自信ない。
 美空は首を傾げたが、あっさりリビングに向かう。それはそれで少々残念な気分になるから困ったもんだ。
 テレビを見ながら他愛もない話をする。
 美空はコーヒーカップを手にして、空なのに気付いた。

「十玖。コーヒーは?」

 立ち上がりながらカップの中を覗く。あと一口分残っていた。
 十玖は慌ててカップを空ける。

「欲しい」
「オッケー」

 カップを受け取り、カウンターキッチンの向こうでコーヒーをドリップする美空を眺めながら、口元がにやけてるのを彼女が見止めて眉をそびやかす。

「なに?」
「何かいいなあって。こんな毎日だったら最高なのに」
「ははっ。そうだね」

 美空はふと目を逸らした。笑ってるのに、どこか虚ろな感じ。
 十玖は立ち上がり、美空を後ろから抱きしめ頬を寄せた。

「何かあった? 最近、よく考え事してるよね?」

 暗い顔をする美空に気付いてなかった訳じゃない。聞いても素直に答えてくれないから、話してくれるまで待つつもりだった。
 調理台の上に置かれた美空の手が拳を握る。
 美空は腕の中で向きを変えて、十玖に抱き着いた。

「み…美空!? どうしたの?」

 ぎっちりしがみ付いた美空に困惑しながらも、彼女を引き離そうとするが、美空は両手首をガッチリ持って、完全にホールドしてる。

「ちょっ。美空? まずいって。離れて」
「いやっ!」
「僕を泣かす気!?」
「泣けば!!」
「え? そー来る? そー来ちゃう?」

 十玖は天井を仰ぎ、このまま抱きしめて、流れてしまいそうな衝動と格闘していた。
 美空の次の言葉を聞くまでは。
 聞き取りづらいほど、震えて小さな声だった。

「…なに? よく聞こえなかった」

 顔を見ようとする十玖に抗って、必死に胸に縋り付いている。

「美空。もう一度、目を見て言って?」

 しばらく何も答えなかった美空が、あれほど必死に縋りついていたのが嘘のように、十玖の胸をすうっと押して距離を置く。美空の手の震えが、伝わってくる。

「…別れたい」

 俯いたまま呟いた美空。
 彼女の肩を掴んだ指が、意志に反して震えてきた。

「なんで!?」
「もう無理みたい」
「え…? なに? どういう事? 意味わかんないよ」

 突然の別れの言葉。
 思いもしなかった出来事に、十玖の頭はパニックになっていた。
 さっきまで普通に会話して、コーヒー飲んで、どうして別れ話になっているんだろう。

「僕、美空の気に障る事、何かした?」

 美空は首を振る。

「僕が……嫌いになった?」

 掴まれた肩が痛い。
 美空は十玖の手を離そうとするが、一層強く掴まれただけだった。

「…痛い。離して」
「理由を教えて。僕が、嫌い?」
「とにかく別れたいの」
「理由になってないよ。そんなんで別れると思う?」
「十玖…痛い」

 普段の十玖なら、痛がったらすぐ離してくれるのに、どんどん指が食い込んでいく。 
 顔を歪め、涙が滲んできても、その力は変わらない。

「やめて。手を離して」
「ならちゃんと理由を教えて」

 理由を言うまで、十玖は離してくれないだろう。
 何をどう言ったらいいのか、整理が出来ていないままに美空は口を開いた。

「十玖が大切にしてくれてるの解ってる。でもね、それが正直ツラい。いつも腫れ物に触れるみたいで…十玖が我慢してるの分かってて、どうにもしてあげられない」
「どうにかして欲しいわけじゃないよ!」
「解ってる! 解ってるけど、そんなのおかしいでしょ!? 十玖は未来の話をするけど、無理だよ。絶対辛くなる。こんな関係」

 十玖が描くような未来を一緒に思い描く事が出来ない。思い描くことが、おこがましくて許されない気がした。

「こんな関係って何だよぉ」

 さっきまでの幸せな時間が、足元から崩れていく感覚に、必死で美空を掻き抱いた。

「十玖があたしを欲しいと思ってくれても、それに応えられないんだよ? いつか、十玖の心が離れて行くのなんて見たくない。離れても引き留める術があたしにはない」

 見上げてボロボロ涙を溢す美空。

「別れないよ。言ってるでしょ。僕は美空がいないとダメなんだって!」
「あたしじゃなきゃダメな理由って何ッ!? あたしが可哀想だから、そう思い込んでるだけじゃないの?」
「誰も、僕の心ん中に入って来たことなんてなかった。欲しいと思ったのは、美空だけだよ。それなのに、ずっと好きだった僕の気持ちまで否定するの?」

 抗う美空を必死に抱きしめた。この手から逃がさないために。

「離してッ」
「ヤだよ。逃がさない。お願いだから、別れるなんて言わないでよ」

 そんなの辛すぎて、正気を保てなくなる。
 美空がいないなら、生きてる事になんの意味が有ると言うのか?

「…あの時、僕は一緒に死んだっていいと思ったんだ。美空がいないなら、何もいらない。美空しか欲しくない!!」

 美空の口をこじ開け、噛み付くようなキスをした。突き放そうとする美空の腰を強く抱きしめ、髪の中に指を滑らせ小さな頭を鷲掴んだ。

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