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20 . Prisoner

Prisoner ①

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 初めて彼女に出会ったのは、そう半年ほど前だった。
 一瞬で惹かれた。
 これは運命だと感じた。
 だってほら。彼女はこうして手を差し伸べて、天使のように微笑みかけてくれるんだ。
 だからこれはきっとそうに違いない。
 きっと……



 学園祭で十玖が零したボヤキが切っ掛けになり、またもや調子にのったメンバーが本格的に企画した “Gravitation” のオーデションがホームページに告知されると、予想以上の反響があった。
 多くを占めたのはほぼ予想通りA・D会いたさで、中には陶酔しきった勘違いや、『応募する所間違えてない?』と訊きたくなるような爆笑バンド、完全にトークを意識したモノマネと、予備選考はなかなか盛り上がったが、その中でも目を引く者も多く、メンバーたちをニヤリとさせた。
 予備選考から五十組まで絞り、そこから書類選考で二十組まで絞って一時審査。ここではお題にもなった “Gravitation” を披露して貰い、二時審査では有ればオリジナル、もしくは得意な楽曲が審査の対象になった。

 それと同時進行で、謙人は色々と動き始めていた。
 当初は大学卒業までと考えていた事務所設立を早めることにしたからだ。『A・Dがプロデュースするなら、いっそ事務所とレコード会社一緒に作っちゃえば?』なんて軽いノリで兄祐人が言い出したからである。

 確かに折角初プロデュースするのに、置いていくのも勿体ない気がした。遣るからには徹底的に遣るつもりなので、育てるだけ育てては些か惜しくなった。
 違約金云々の話は、ノリで持ちかけた兄に責任を取って貰うとして、事務所とプライベートレーベルの起ち上げは謙人の仕事になった。その手伝いに佐保を酷使することになったが、本人はかなり楽しそうだったので、あまり申し訳なさを感じることはなかったけど。
 三月始め、一組のユニットが最終選考に残った。



 三月。一週目の土曜日。
 美空は本郷慎太郎のフォトスタジオから歩いてすぐのコンビニに、お使いを頼まれててくてくやって来た。
 冷蔵庫にずらりと並んだ特保のお茶をゴソッとカゴに入れ、お駄賃代わりの紅茶を足して、レジカウンターに向かう。
 土曜日のアシスタントは、三年に進級しても続ける事になっている。
 慎太郎から学ぶことはまだまだ多くて、気を抜くことが出来るのは休憩時間と、慎太郎にお使いを頼まれて外出する時くらいだろう。
 よっこらせとばかりにカゴをレジカウンターに乗せ、吐息をひとつ漏らすと、男性店員がくすくす笑って口を開いた。

「いつも大量に有難うございます」
「あはは。ホントにねぇ」
「けど、女性一人に毎回こんなに買わせにやって、何とも思わないんですかね?」

 ご購入は有難いんですが、独り言ちるような言葉に、今度は美空が苦笑した。

「これ一応、筋トレとリハビリ兼ねてるんで」

 バーコードをスキャンしている手元を眺めつつ、首を傾げた店員に言を継ぐ。

「重い荷物抱えて、走らないといけない事もあるから。言ってみればこれも上司の愛情な訳です」
「そんな愛情、要らなくないですか?」
「実際体力ないとやってけない仕事だし、一生の仕事にしようと思ったら、有難いです」
「そお…って、リハビリって何処か悪くしたんですか!?」

 お茶を一番大きな袋に詰めながら、ちょっと心配そうな目で見られて、美空は困った笑顔を向ける。

「数年前に事故で足をね。周りは過保護で重たい物持たせてくれないんだけど、その上司だけは『甘ったれたこと抜かしてると、クビ切るよ?』って、あたしたちが『ノー』を言えない事承知で脅してくるから『始末に悪いオヤジだ』って兄は言ってる。でも本当に甘くない世界だから」

 袋詰めにされたお茶が、美空の方に向かって押し出される。会計を済ませ、彼女はその持ち手部分にタオルハンカチをくるくる巻き、手に食い込むのを避ける処置を施して、片手だけで荷物を持つと、「じゃどうも」と会釈してコンビニを後にした。
 毎回会う気安さから、ついお喋りが過ぎてしまったかもと頭を過ったものの、今はそれどころではない。

「おっも~っ!」

 カメラの機材諸々に比べれば軽い部類なのだけど、アッチは肩に担ぐことも可である。
 が、アシスタントの仕事は雑用がメインであり、師匠の無茶振りにも応えなければ、生き残れないのだ。『重いの無理。長時間無理』なんて言葉は通用しない。『だったら辞めていいよ?』と言われるのが関の山だ。

 美空は前方に人がいないことを確認すると、腕を伸ばし袋を揺らさないようにしながら肩の高さまで持ち上げる。振り子の作用を利用せず、純粋に腕の力だけで持ち上げるのだ。
 袋の中身は優に七~八キロは有るだろうか。
 この二年間で少しずつ本数が増え、現在この重さまでになった。このお陰で、長時間カメラを構えたままで居ても、腕が震えることはなくなったのは有難いことだ。
 ただ、十玖だけは彼女の腕を掴むと、とても悲しい顔をする。女性特有の柔らかさが皆無になった腕が、遣る瀬ないようだ。かと言って美空の邪魔もしたくないらしく、葛藤に身悶えているのを見るに付け、ホントごめんと思う。

(肩から二の腕を掴んだ時の十玖、涙浮かべて訥々と訴えてくるもんなぁ。…どちっかって言ったら、あたしを太らせたい人だし)

 筋肉担当は自分なのにと言って憚らない十玖は、美空のすっかり引き締まった体形がお気に召さない。これで胸までサイズダウンしたら、いや。ちょっと顔色が変わったの目に入ったけど、きっと拷問の様に食べさせられるに決まっている。
 現にここぞとばかりに、炭水化物やスウィーツを食べさせたがって困いた。それがまた美空好みを厳選チョイスしてくるから断れない。
 ぷにぷにの感触を愉しんでいる十玖は可愛いけれど、それはそれで複雑な心境になるのも事実で。

「大体さ。十玖のうるっとした目に “食べてくれないの?” って語らせちゃったら、断るあたしどんだけ鬼なのって話だしッ! 十玖のワンコ目に逆らったら、絶対犯罪者級の呵責しか感じないしッ。 あの人、あたしをダラケさせたいって本気で言って来るしっ。あンのスパダリ、萌えと悶絶の反則技オンパレードに抗えないの知ってるから、グイグイ来るし…って……ああぁぁぁぁぁ。あたしは何一人で語ってんだぁ」

 往来の真ん中で、気の毒そうに、でも近付きたくないモノを見る眼差しがとても痛くて、超絶恥ずかしい。 
 気が付けばビニール袋がブンブン揺れていた。
 どれだけ白熱していたのだろう。
 ゆっくり腕を下ろして、項垂れた美空が大きな溜息を吐く。

「…………十玖に会いたいなぁ」



 学業や本業の合間を縫い、オーディションや事務所新設、プラベートレーベルの立ち上げと、彼らが忙しくしているのは知っている。
 晴日など帰って来るなり玄関で倒れ込み、爆睡する有り様だった。それを家族三人で持ち上げ、二階の晴日の部屋に運んでいたのは最初のうちだけ。父の信哉が『コレ絶対に腰痛める』と、デカい図体の息子の上半身を担当しながら、ぎっくり腰一歩手前まで堪えていたのが憐れで、以来、玄関で寝たら布団は掛けてあげても基本放置と相成った。嫌なら這ってでも自力で部屋に行けという事だ。

 十玖も事務所の車で自宅まで送迎されると、晴日と同じような状況らしかった。
 ただ彼の場合、最初から誰も運んでくれなかったそうだ。
 確かに身長は百九十センチに近く、ほぼ筋肉の塊で見た目よりも重い十玖を運ぼうなんて酔狂だ。廊下で行き倒れている息子を見、十玖の母咲は『真冬じゃないんだし、死ぬわけじゃないでしょ。邪魔だけど』と言い、弟の亜々宮あーくなどは、丸まって寝ていた十玖に、ここぞとばかりに無言で踏み乗ったらしい。十玖ほどではないにせよ、爆睡中にそれなりのガタイの男に踏み潰されるのは、寝首を掻かれるようなものだったろう。それを愉しげに語った養護教諭、鈴田有理の情報源は、彼女の婚約者である長兄の天駆てんくなのは訊くまでもない。
 三兄弟の真ん中の立ち位置は、世間でどんなに認知され持て囃されようとも、一度家に帰れば安定の可哀想ポジションである。

 馬鹿みたいに体力のあるこの二人がそうなのだから、謙人と竜助は推して知るべしだろう。
 それでも一切の文句を言わない十玖に、美空などは感心している。ただちょっと一言申し上げても良いなら、折角会える貴重な学校での休み時間にほぼ寝ている事だろうか。
 疲れているのは解っている。
 次のクラス分けを決める学年末テストの出来如何によっては、一か月の活動自粛のペナルティーが掛かっているし、絶対に落とせないのも解っている。だから時間が許す限り寝ることに異存はない。
 が。

(休み時間の度にバックハグで熟睡って、あたしただの抱き枕じゃんかぁ)

 熟睡だから当然後ろからの圧が掛かり、机に突っ伏す形になる。圧し潰されそうになっている美空に、羨望と憐憫の眼差しを交錯させるのは勘弁して欲しい。そんな暇があったら、誰か救助して欲しいのに。

 十玖の無言の圧に誰も逆らえない。
 逆らってはいけないと、級友たちは学習した。
 苑子と太一には『手負いの獣に手出しするほど無謀じゃない』と静かに拒絶された。
 卒業して一番時間にゆとりがある晴日と竜助が馬車馬並みに働けばいいのに、とつい恨み言を漏らしたくなる。  
 一日も早く、この多忙な日々が終わることを祈らずにはいられない美空であった。

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