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8. 梓、一難去ってまた一男(難)…!?

梓、一難去ってまた一男(難)…!? ⑭

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 間もなく翔もやって来て、三人はソファに腰を落ち着けると、怜が切り出しに困った顔で嘆息した。そして隣に腰掛ける梓の手を握り、「先ずはごめん」と切り出して頭を下げる。彼女は反射的に怜の手を握り替えした。

「妊婦のアズちゃんに余計な心労を掛けたくなくて、黙っていたことが却って仇になった。本当にごめんね?」

 眉をきゅっと絞った怜の面持ちは心許なさそうで、梓まで泣きそうな顔になる。彼女がそっと怜の頬に触れると、半泣きの笑顔で梓を見返し、その手を取ってもう片方に重ねると、脚の上でギュッと握り込む。そして何度も言い躊躇っていた口を開いた。

「あの人は、辻堂尚人と言って、僕とサオ姉さんの家庭教師をしてた人なんだ」

 コクリと頷く。怜もまた倣って頷いた。

「中二であの人に初めて会った時に、すぐ本性に気付いた僕が気に食わなかったんだと思う。誰に話す心算もなかったけど、尚人さんは僕の秘密を探り出して、それをネタに脅してきた」
「秘密…?」

 オウム返しに訊くと、怜は「まだカミングアウトしてなかったから」と苦く笑った。

「企業の跡取り息子がゲイなんて、両親に知られるのは不味いでしょ? 怒られるだけじゃ済まない話だし」

 それはそうだろうと、怜から目を離さずに頷いた。
 怜がカミングアウトをしたのは、大学に入り、翔と起業してからだ。きっぱりと跡を継がない、勘当を覚悟をしての告白だったろう。
 親の庇護なしでは生きられない子供が、自分の性癖を理解して貰うには過酷だ。況してや怜は大きな責任が生じる跡取りだったのだから、葛藤も半端なかったろう。

 そんな怜を脅した尚人に怒りを覚え、唇を噛み締めていると、怜の手が優しく梓の顎を引いて、「傷付くから」と唇を緩めさせた。こんな時でも梓の心配している怜を恨めしげに見ると、僅かに首を傾いで薄く微笑んだ。その憂い顔に不謹慎にもドキリとし、梓は伏し目がちになる。怜が彼女の額に軽く触れるキスをすると、向かいのソファから舌打ちが聞こえてきた。
 ハッとして振り返ると、憮然とした翔の顔。怜が舌打ちをし返し、言を継いだ。

「……ゲイである罪悪感とか、両親の期待に添えない不甲斐なさだとか感じている時に、付け込まれた。彼はね、自分が愉しければ、際疾いことだって平気で遣る。僕を嬲りものにするためだったら、僕の大事なものを傷付けることに躊躇はしない」

 怜はチラリと翔を見て、真摯に梓を見つめた。彼女の両頬に触れ、包み込む。
 まさかここで唇へキスはされないだろうと思いつつ、変に期待してしまいそうな体勢の意味を考えていると、左右からぶにっと押し潰された。
 どうやら要らぬ心配だったようだ。
 自分でやっといて吹き出した怜を睨むと、「可愛いよ?」と何のフォローにもなってない言葉を吐く。
 それでも彼にふざけるなと怒らなかったのは、重くなりがちな内容に緩衝材が必要だと思ったから。
 怜なりに気持ちを落ち着かせようとしていた。
 今度は梓が彼の手を握り、「大丈夫だよ」とにっこり笑う。怜は瞼を伏せて吐息をひとつ吐き出し、徐に話し出す。

「十五年前に……もう興味を失したものだと思って、油断していたんだ。それがこの間再会して、そうじゃなかったと…いや。違うか。新たに興味を持たれてた。僕が……公衆の面前で、アズちゃんにキスなんてしたから」

 思い当たるのは、カフェでの事。
 堂々と撮影しているのが居たと思い起こして、梓が苦い顔をする。
 人のプライバシーを勝手に公開するとは、本当に困った世の中だ。
 肩を落として溜息を吐くと、眉を寄せた怜が「ごめん」と頭を垂れる。

「城田や周りの女性たちに牽制になると単純に考えて、要らない関心を集める可能性もあるって事を失念してた。彼はそれを見て、アズちゃんにも興味を持ったみたいだ。近くをうろついて、機を狙ってる」

 先刻コンビニで会った尚人を思い出し、寒気がした。
 もし怜が来なかったら、想像しただけで心拍数が上がる。

「僕を傷付けるだけならいい。けど、アズちゃんに何かあ「馬鹿なこと言わないでよッ!!」」

 怜が言い終わらないうちに、梓は言葉を被せて怒鳴りつけた。

「怜くんを傷付けたら、あたしが許さないから」
「あ、いや。アズちゃんは子供のことだけ考えて? 二人に何かあったら、正気でいる自信ないからね? 僕」
「じゃあ! 怜くんに何かあって、ショックで流産したらどーすんの!? そしたらあたしだって正気じゃいらんないっ」

 捲し立てて「ふんっ」と鼻息荒く怜を見れば、唖然とした顔で彼女を見ている。梓の言葉がじわじわと浸透すると、怜は蕩けた顔で彼女を抱き締めた。

「アズちゃん愛してるよ!」
「ふぁ……」
「一時期はアズちゃんの気持ちが解らなくて、悩んでたことが嘘みたいだ。あーもぉ。可愛い過ぎるんですけどッ。どうしよ」

 梓の頭にぐりぐりと額を擦り付け、「可愛い。大好き」を連発する怜。なすがままになって「いやーっ」と悲鳴を上げてる声は、決して嫌がってない。
 そして先刻から見せつけられている翔は、「いい加減にしろよ。バカップル」とテーブルをひと蹴りし、音に驚いた二人はこめかみに青筋を浮かべる彼を見るや、居住まいを正して深く頭を垂れるのだった。



 どこか得体の知れない相手に、狙われていると言われて一週間。
 怖くない女子はいない。多少腕に覚えがあると言っても、精神的に迫って来るそこはかとない恐怖と言うのは、簡単に忘れてしまえる様なものではない。況してや妊娠中で常時とは違う。無謀な行動は取れない。
 じわじわと侵食してくるソレは、ふとした瞬間に甦って梓を震えさせる。
 コンビニで出会った尚人と言う男は、あの僅かな時間で梓に恐怖を植え付けた。

 尚人は直接梓には何も仕掛けては来ない。
 ただいつも気が付けば近くに居て、こっちをみてニヤニヤしている。
 そう。例えばビルの窓から下を覗き見れば、見上げた尚人の姿を目にしたり、朝新聞を取りに行けば、通りの向こうから下卑た笑みを浮かべて手を振って来る。
 そんなだから買い物にも行けず、最近は専ら宅配で頼むようになり、妊娠を知られるのが嫌で、月一回の検診にも行けていない。

 日に日にストレスが蓄積されて行く。
 四六時中監視されているようで、一体仕事は何をしている人なのか怜に訊いてみると、学生の頃からIT関連の仕事をフリーで請け負っていて、変わっていなければ同じことをしているだろうと言っていた。その詳細までは怜も知らないらしい。深く首を突っ込みたくなかったのが、実情らしいけど。
 そう言われてみたら、尚人に普通の会社勤めは難しそうに感じた。

 最近の怜は、申し訳なさそうに謝ってばかりだ。
 今の状況を何とか打破しようと動いているみたいだけれど、付き纏いくらいでは警察も動いてはくれない。巡回強化を頼んだ派出所の警察官に職務質問された事もあったらしいけど、逆らわずに着いて行った尚人はすぐ解放された。ただそこに居るだけでは拘束できない。結局それ以上のことはなかった。

 そんなある日、会社の地下駐車場の車に悪戯されていることがあった。
 外されたホイールカバーの上に、同じく外されて並べられたナットがタイヤの脇に置かれていた。これで尚人を訴えられると喜んだのも束の間、監視カメラには尚人はおろか、不審な人物は一切映っておらず、完全に死角を突かれていた。
 尚人がその気になれば、こんな事は容易いと顕示されて、怜と二人で蒼褪めた。

 こんな事をするのは、一連の流れで尚人しかいないと分かっているのに、どうにも出来ないもどかしさ。
 時間ばかりが無駄に過ぎて行く。

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