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10. エピローグ
エピローグ
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なんやかんやと、やっとの事で最終話に辿り着きました。
ちょっと長めです。
************************************
篤志はぐずぐずと泣きじゃくる沙和を何とか宥めすかし、披露宴が終わると二人は空港から最寄りのホテルに移動した。
沙和のために奮発したスウィートルームだったけれど、折角綺麗に飾られた花々も今の沙和の目には入らないようで、少し寂しく感じながら、ソファに腰掛け腕の中の彼女の頭を撫でている。
予約していたディナーは、少し惜しいけれどキャンセルした。優先順位は沙和である。彼女が心から喜べる状態でないのなら、何の意味もない。
(こんなんで、明日の新婚旅行に行けるんだろうか)
一抹の不安に思わず漏れそうになった溜息にハッとして、固く口を引き結んで飲み込んだ。沙和のせいで溜息を吐いたなどと誤解されては、泣きっ面に蜂だ。
初日から夫婦間に溝を空けるなんて、冗談でも避ける案件だろう。
去り際の艶然と笑った椥を思い出し、篤志はギリッと唇を噛んだ。と、沙和の躰がビクビクッと震えて慌てふためいたものの、たんにタイミングよく躰が痙攣しただけだと判ると、詰めた息をそっと吐き出した。
ゆらゆらと揺れながら、啜り泣きに変わった沙和の背中をあやすようにポンポンと叩き、ハーフアップにされた頭頂に唇を落とす。
胸の内で溜息を吐き、何も今日じゃなくてもと、篤志にはとことん意地の悪い義兄にうんざりした。
結婚記念日になる度、椥を思い出す沙和を見るのかと考えたら、最後の最後にとんでもない “ご祝儀” を貰ったものだと、椥が恨めしくて仕様がない。
きっと今頃、あの世で高笑いしてるんだろうなと思ったら、心底泣きたくなった。
流石に泣き疲れたのか、啜り泣きが止んだ。偶に惰性で肩がしゃくり上がるが。
篤志の胸に顔を埋めた沙和が小さく唸り出したので、「どうした?」と恐る恐る声を掛けてみる。すると彼女は勢いよく躰を離して篤志の顔を見上げると、眉を顰め掠れた声で言う。
「のど、かわいた」
「わ、わかった。ちょっと待って」
慌てるあまり躓いて転びそうになりながら、冷蔵庫から事前に頼んでいた沙和の好きなジャスミンティーのペットボトルを取ってくる。キャップを弛めて手渡すと、彼女ははにかんで礼を言い、一気に半分を飲み下して大きく息を吐き出し、
「おにぃっひっく……お兄ちゃんの…ぅっく、バカタレッ!! ひぃっく」
そこから沙和の溜まりに溜まった椥への罵詈雑言が始まる。
椥が愛してやまない可愛い可愛い妹の口から、これでもかと言うくらい飛び出してくる悪口に、相槌を打つ篤志の口元がヒクヒクする。因みに引き攣っている訳ではなく、ザマミロと笑いそうになるのを堪えている所為だ。
沙和に散々こけ下ろされ、篤志の溜飲はメキメキ下がっていく。口には絶対出さないが、今ならどんな理不尽にも寛容になれそうな気がする。気がするだけ、だけど。
ひとしきり椥の悪口を言って気が済んだのか、沙和が大きく息を吐き出した。そして徐に篤志の目を覗き込む。
「せ、せっかくの、ひっく……お、祝いの日に…ご…ごめんね…ひくくっ」
「いいや。気にするなって」
「でも、ひっく…でも、あ、篤志がぁ……ひぃっく」
泣き過ぎて横隔膜の痙攣が止まらない沙和は、そんな自分に眉を寄せながら必死に言葉を紡ごうとしている。そんな彼女が可愛くて、不届きにも頬が緩んでしまう。
ニヤついている篤志を胡乱気に見る様も可愛いと思っているなんて、沙和はきっと気付かない。
真面目に話そうとしている彼女に言ったら、怒られそうだ。
とは言え、緩んだ顔は直ぐには戻りそうにない。
「さぁわ。俺とはもうディナーに行ってくれない気じゃないよね?」
「ちっ…がう」
「今度はもっといい所、行こう? で、良い笑顔を見せてくれたら、もう何も言うこと有りません。それで俺は充分に幸せになれるからさ」
沙和がぐっと唇を引き結び、上目遣いで見てくる目にまた涙が浮かんできて。
また泣く、そう思ったら躰が勝手に動いていた。
リップ音をさせて彼女の唇にキスをしたら、一瞬呆気に取られた顔をして、次には「もお」と苦笑を浮かべながら言を継ぐ。
「末永く、宜しくお願いします」
***
椥が自分勝手なのは今に始まった事ではない。
本当、今更なのだ。
なのにまた勝手にいなくなったと気付いた時は、どうしようもない憤りと悲しさと寂しさに涙が止まらなくなってしまった。
しかし。
篤志の心遣いを無駄にしてしまって、とても心苦しい沙和である。
(篤志は気にするなって言ってくれたけどさぁ、楽しみにしていたのは篤志だって一緒じゃない。ううん。寧ろ篤志の方が楽しみにしてたよね)
篤志は率先して結婚準備に携わってくれていた。
沙和が地味婚でいいと言っているのに、篤志がこんな贅沢はそう何度もさせてあげられないかも知れないから愉しもうと、頗るいい笑顔で言うものだから、その気持ちにほっこりし、ただただ嬉しくて。
(なのにあたしってばさ……初っ端から何してんのよ。ってかさ、お兄ちゃんも去り際を間違えないで欲しいわよねっ! 何で今日なのよ! 明日だって明後日だっていいじゃない! 最後まで篤志に迷惑かけてさっ! ……迷惑かけたのは、あたしもだけどねっ)
篤志が、披露宴では殆ど食べることが出来なかった沙和のために、ちょっと豪華なルームサービスを頼んでくれて、またちょっと自己嫌悪に陥った。
そんな沙和を宥め、笑わせてくれる篤志は、本当出来た旦那様だ。
(あたしには勿体ないくらいだよねぇ……他人に譲る気はないけどっ)
ゆっくり食事をし、少しの休憩を挟んで篤志に勧められるままお風呂に入った。
バスローブ姿で戻った沙和と入れ違いに、篤志がバスルームに行くのを見送って、長い長い息を吐き出す。
(つ……ついに、この時が……)
椥に阻まれて篤志には申し訳ないと思いつつ、彼に見せることがなかった創痕を、バスローブの上から指でなぞる。
(篤志なら、きっと大丈夫……うん)
そう思うのに、ソワソワして立ち上がっては座るを繰り返し、「やっぱダメだ」の言葉と共に立ち上がった沙和は、篤志が上がってくる前にと慌ててベッドに潜り込んだ。
心臓が凄いことになっている。それを自覚すると同時に椥の顔が脳裡を掠めた。
俯せの躰の下に手を潜らせて胸に掌を当てると、椥から貰った心臓の拍動が伝わってくる。
「沙和?」
唐突に声を掛けられて、驚きのあまり俯せた躰が大きく跳ねた。
ドドドドド、と耳の奥に地響きのような心音を聞きながら、良いマットレスを使っているな、なんてどうでもいい感想を抱いているうちに篤志がベッドに片膝を着いたらしい。ゆっくりと撓んで「寝ちゃった?」と上から声が降って来た。びっくりして飛び上がったにも拘わらず、寝た振りを決め込もうとする沙和に篤志が気付かないはずないのに、それを行使しようとしていると、くすくす笑い声が落ちてきて、髪を掻き混ぜるように撫でられた。
「今日は疲れたもんなぁ、いろいろと」
これはもしや見逃してくれるかも知れないと、微かな期待が頭を占めた頃、隣に潜り込んでくる気配を感じて身を硬くした。
寝心地のちょうど良い位置を探しているのか、何度も小さく揺れるのを感じながら「寝た振り寝た振り」と口中で繰り返す。
この期に及んで、篤志にどれだけ鬼なんだと申し訳なさを感じつつ、けど一向に顔を上げる様子を見せない沙和の耳元近くで、必死に笑いを堪える篤志の息遣いを感じた。
(…これ、絶対に気付かれてるよね……?)
無駄な足掻きと笑われているのだろうか。
だとしたら恥ずかし過ぎて尚のこと顔を上げられないと、枕に埋もれたままで居る沙和の髪をツンツンと引っ張り、今度は指を絡める。それから篤志は「何か変な感じだ」と苦笑交じりに呟いた。
何が? ―――そう訊き返したいところだけど、狸寝入りを決め込んでいる手前反応することも叶わず、その先の言葉が気になって仕方ない。
なのに篤志からは言葉が紡ぎ出されることはなく、次第に焦れてくる。
気になって気になってモジモジしだすと、すぐ傍でブッと吹き出す篤志にちょっとだけイラっとした。
「起きてんのバレバレだけど。聞きたくないの?」
意地悪な響きの篭った声で訊いてくるけど、狸寝入りは続行中。
そして篤志が髪をツンツン引っ張るのも継続中。
寝た振りをしながら篤志の手を払うも、何度も何度も繰り返される。それが微妙に痛くて、だんだん苛々してきて。
「もおっ。篤志しつこい!」
「はい。タヌキさんおはよう」
「…うっ」
遂に顔を上げてしまって、にんまり笑った篤志と目が合った。
事も無げに躰の向きをくるんと変えられて、篤志と向き合う。彼の手にまんまと引っ掛かった自分が悔しいが、取り敢えずその思いを込めて篤志を上目遣いに見据えた。
篤志は、額に掛かる沙和の前髪を指でそっと退け、チュッとキスをして「な?」と意味不明な同意を求めてくる。
「意味わかんないんだけど?」
眉間に皺を寄せて言えば、篤志は「だよな」と小さく笑って沙和をギュッと抱きしめた。鼻が押し潰される寸でで頭を仰け反らせて、篤志の顔を見る。
「あ、あつし!?」
「なんかさ、物足りないって言うか……罠なんじゃないかとか、さ。考えちゃうわけですよ。邪魔されるのがデフォで」
「……」
「でもやっぱ、いないんだよな」
「……ぅ」
小さく声を漏らした沙和の背中を篤志の手が優しく撫で、僅かに揺れた感情が凪いでいく。
「最初は寂しいかも知れないけどさ。代わりに俺がずっと一緒に居るから。寂しいなんて言ってる暇ないくらい、一緒に居るから」
「……うん」
「それに。あの人の事だから、油断してるといきなり現れそうだろ? 何食わぬ顔してさ」
「ふっ。言えてる」
椥は戻って来ないと解っていながら、それでももしかしたらと元気付けてくれる篤志が、とても有り難くて愛おしいと思う。
「じゃあ。お兄ちゃんが万が一にでも戻って来たら、入り込む隙間がないくらい一緒に居ようね?」
「もちろん。椥さんが悔しがるほど一緒に居ような」
それから数年後。
二人は二男一女を儲けるが、大人になってもママが異常に大好きな末っ子長女に翻弄される人生が待っていることを、この時の篤志は知る由もないのであった。
END
************************************
これまでお読み頂き有難うございました!
公私ともに忙しくて、なかなか更新できずに落ち込んだりもしましたが、読んで頂ける方々にお力を頂き何とか最終話まで辿り着けましたこと感謝の気持ちで一杯です。
本当にありがとうございました (o_ _)o))
ちょっと長めです。
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篤志はぐずぐずと泣きじゃくる沙和を何とか宥めすかし、披露宴が終わると二人は空港から最寄りのホテルに移動した。
沙和のために奮発したスウィートルームだったけれど、折角綺麗に飾られた花々も今の沙和の目には入らないようで、少し寂しく感じながら、ソファに腰掛け腕の中の彼女の頭を撫でている。
予約していたディナーは、少し惜しいけれどキャンセルした。優先順位は沙和である。彼女が心から喜べる状態でないのなら、何の意味もない。
(こんなんで、明日の新婚旅行に行けるんだろうか)
一抹の不安に思わず漏れそうになった溜息にハッとして、固く口を引き結んで飲み込んだ。沙和のせいで溜息を吐いたなどと誤解されては、泣きっ面に蜂だ。
初日から夫婦間に溝を空けるなんて、冗談でも避ける案件だろう。
去り際の艶然と笑った椥を思い出し、篤志はギリッと唇を噛んだ。と、沙和の躰がビクビクッと震えて慌てふためいたものの、たんにタイミングよく躰が痙攣しただけだと判ると、詰めた息をそっと吐き出した。
ゆらゆらと揺れながら、啜り泣きに変わった沙和の背中をあやすようにポンポンと叩き、ハーフアップにされた頭頂に唇を落とす。
胸の内で溜息を吐き、何も今日じゃなくてもと、篤志にはとことん意地の悪い義兄にうんざりした。
結婚記念日になる度、椥を思い出す沙和を見るのかと考えたら、最後の最後にとんでもない “ご祝儀” を貰ったものだと、椥が恨めしくて仕様がない。
きっと今頃、あの世で高笑いしてるんだろうなと思ったら、心底泣きたくなった。
流石に泣き疲れたのか、啜り泣きが止んだ。偶に惰性で肩がしゃくり上がるが。
篤志の胸に顔を埋めた沙和が小さく唸り出したので、「どうした?」と恐る恐る声を掛けてみる。すると彼女は勢いよく躰を離して篤志の顔を見上げると、眉を顰め掠れた声で言う。
「のど、かわいた」
「わ、わかった。ちょっと待って」
慌てるあまり躓いて転びそうになりながら、冷蔵庫から事前に頼んでいた沙和の好きなジャスミンティーのペットボトルを取ってくる。キャップを弛めて手渡すと、彼女ははにかんで礼を言い、一気に半分を飲み下して大きく息を吐き出し、
「おにぃっひっく……お兄ちゃんの…ぅっく、バカタレッ!! ひぃっく」
そこから沙和の溜まりに溜まった椥への罵詈雑言が始まる。
椥が愛してやまない可愛い可愛い妹の口から、これでもかと言うくらい飛び出してくる悪口に、相槌を打つ篤志の口元がヒクヒクする。因みに引き攣っている訳ではなく、ザマミロと笑いそうになるのを堪えている所為だ。
沙和に散々こけ下ろされ、篤志の溜飲はメキメキ下がっていく。口には絶対出さないが、今ならどんな理不尽にも寛容になれそうな気がする。気がするだけ、だけど。
ひとしきり椥の悪口を言って気が済んだのか、沙和が大きく息を吐き出した。そして徐に篤志の目を覗き込む。
「せ、せっかくの、ひっく……お、祝いの日に…ご…ごめんね…ひくくっ」
「いいや。気にするなって」
「でも、ひっく…でも、あ、篤志がぁ……ひぃっく」
泣き過ぎて横隔膜の痙攣が止まらない沙和は、そんな自分に眉を寄せながら必死に言葉を紡ごうとしている。そんな彼女が可愛くて、不届きにも頬が緩んでしまう。
ニヤついている篤志を胡乱気に見る様も可愛いと思っているなんて、沙和はきっと気付かない。
真面目に話そうとしている彼女に言ったら、怒られそうだ。
とは言え、緩んだ顔は直ぐには戻りそうにない。
「さぁわ。俺とはもうディナーに行ってくれない気じゃないよね?」
「ちっ…がう」
「今度はもっといい所、行こう? で、良い笑顔を見せてくれたら、もう何も言うこと有りません。それで俺は充分に幸せになれるからさ」
沙和がぐっと唇を引き結び、上目遣いで見てくる目にまた涙が浮かんできて。
また泣く、そう思ったら躰が勝手に動いていた。
リップ音をさせて彼女の唇にキスをしたら、一瞬呆気に取られた顔をして、次には「もお」と苦笑を浮かべながら言を継ぐ。
「末永く、宜しくお願いします」
***
椥が自分勝手なのは今に始まった事ではない。
本当、今更なのだ。
なのにまた勝手にいなくなったと気付いた時は、どうしようもない憤りと悲しさと寂しさに涙が止まらなくなってしまった。
しかし。
篤志の心遣いを無駄にしてしまって、とても心苦しい沙和である。
(篤志は気にするなって言ってくれたけどさぁ、楽しみにしていたのは篤志だって一緒じゃない。ううん。寧ろ篤志の方が楽しみにしてたよね)
篤志は率先して結婚準備に携わってくれていた。
沙和が地味婚でいいと言っているのに、篤志がこんな贅沢はそう何度もさせてあげられないかも知れないから愉しもうと、頗るいい笑顔で言うものだから、その気持ちにほっこりし、ただただ嬉しくて。
(なのにあたしってばさ……初っ端から何してんのよ。ってかさ、お兄ちゃんも去り際を間違えないで欲しいわよねっ! 何で今日なのよ! 明日だって明後日だっていいじゃない! 最後まで篤志に迷惑かけてさっ! ……迷惑かけたのは、あたしもだけどねっ)
篤志が、披露宴では殆ど食べることが出来なかった沙和のために、ちょっと豪華なルームサービスを頼んでくれて、またちょっと自己嫌悪に陥った。
そんな沙和を宥め、笑わせてくれる篤志は、本当出来た旦那様だ。
(あたしには勿体ないくらいだよねぇ……他人に譲る気はないけどっ)
ゆっくり食事をし、少しの休憩を挟んで篤志に勧められるままお風呂に入った。
バスローブ姿で戻った沙和と入れ違いに、篤志がバスルームに行くのを見送って、長い長い息を吐き出す。
(つ……ついに、この時が……)
椥に阻まれて篤志には申し訳ないと思いつつ、彼に見せることがなかった創痕を、バスローブの上から指でなぞる。
(篤志なら、きっと大丈夫……うん)
そう思うのに、ソワソワして立ち上がっては座るを繰り返し、「やっぱダメだ」の言葉と共に立ち上がった沙和は、篤志が上がってくる前にと慌ててベッドに潜り込んだ。
心臓が凄いことになっている。それを自覚すると同時に椥の顔が脳裡を掠めた。
俯せの躰の下に手を潜らせて胸に掌を当てると、椥から貰った心臓の拍動が伝わってくる。
「沙和?」
唐突に声を掛けられて、驚きのあまり俯せた躰が大きく跳ねた。
ドドドドド、と耳の奥に地響きのような心音を聞きながら、良いマットレスを使っているな、なんてどうでもいい感想を抱いているうちに篤志がベッドに片膝を着いたらしい。ゆっくりと撓んで「寝ちゃった?」と上から声が降って来た。びっくりして飛び上がったにも拘わらず、寝た振りを決め込もうとする沙和に篤志が気付かないはずないのに、それを行使しようとしていると、くすくす笑い声が落ちてきて、髪を掻き混ぜるように撫でられた。
「今日は疲れたもんなぁ、いろいろと」
これはもしや見逃してくれるかも知れないと、微かな期待が頭を占めた頃、隣に潜り込んでくる気配を感じて身を硬くした。
寝心地のちょうど良い位置を探しているのか、何度も小さく揺れるのを感じながら「寝た振り寝た振り」と口中で繰り返す。
この期に及んで、篤志にどれだけ鬼なんだと申し訳なさを感じつつ、けど一向に顔を上げる様子を見せない沙和の耳元近くで、必死に笑いを堪える篤志の息遣いを感じた。
(…これ、絶対に気付かれてるよね……?)
無駄な足掻きと笑われているのだろうか。
だとしたら恥ずかし過ぎて尚のこと顔を上げられないと、枕に埋もれたままで居る沙和の髪をツンツンと引っ張り、今度は指を絡める。それから篤志は「何か変な感じだ」と苦笑交じりに呟いた。
何が? ―――そう訊き返したいところだけど、狸寝入りを決め込んでいる手前反応することも叶わず、その先の言葉が気になって仕方ない。
なのに篤志からは言葉が紡ぎ出されることはなく、次第に焦れてくる。
気になって気になってモジモジしだすと、すぐ傍でブッと吹き出す篤志にちょっとだけイラっとした。
「起きてんのバレバレだけど。聞きたくないの?」
意地悪な響きの篭った声で訊いてくるけど、狸寝入りは続行中。
そして篤志が髪をツンツン引っ張るのも継続中。
寝た振りをしながら篤志の手を払うも、何度も何度も繰り返される。それが微妙に痛くて、だんだん苛々してきて。
「もおっ。篤志しつこい!」
「はい。タヌキさんおはよう」
「…うっ」
遂に顔を上げてしまって、にんまり笑った篤志と目が合った。
事も無げに躰の向きをくるんと変えられて、篤志と向き合う。彼の手にまんまと引っ掛かった自分が悔しいが、取り敢えずその思いを込めて篤志を上目遣いに見据えた。
篤志は、額に掛かる沙和の前髪を指でそっと退け、チュッとキスをして「な?」と意味不明な同意を求めてくる。
「意味わかんないんだけど?」
眉間に皺を寄せて言えば、篤志は「だよな」と小さく笑って沙和をギュッと抱きしめた。鼻が押し潰される寸でで頭を仰け反らせて、篤志の顔を見る。
「あ、あつし!?」
「なんかさ、物足りないって言うか……罠なんじゃないかとか、さ。考えちゃうわけですよ。邪魔されるのがデフォで」
「……」
「でもやっぱ、いないんだよな」
「……ぅ」
小さく声を漏らした沙和の背中を篤志の手が優しく撫で、僅かに揺れた感情が凪いでいく。
「最初は寂しいかも知れないけどさ。代わりに俺がずっと一緒に居るから。寂しいなんて言ってる暇ないくらい、一緒に居るから」
「……うん」
「それに。あの人の事だから、油断してるといきなり現れそうだろ? 何食わぬ顔してさ」
「ふっ。言えてる」
椥は戻って来ないと解っていながら、それでももしかしたらと元気付けてくれる篤志が、とても有り難くて愛おしいと思う。
「じゃあ。お兄ちゃんが万が一にでも戻って来たら、入り込む隙間がないくらい一緒に居ようね?」
「もちろん。椥さんが悔しがるほど一緒に居ような」
それから数年後。
二人は二男一女を儲けるが、大人になってもママが異常に大好きな末っ子長女に翻弄される人生が待っていることを、この時の篤志は知る由もないのであった。
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これまでお読み頂き有難うございました!
公私ともに忙しくて、なかなか更新できずに落ち込んだりもしましたが、読んで頂ける方々にお力を頂き何とか最終話まで辿り着けましたこと感謝の気持ちで一杯です。
本当にありがとうございました (o_ _)o))
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