61 / 65
9. ずっと一緒だよ。
ずっと一緒だよ。⑧
しおりを挟む***
そろそろ解放してあげないとな、と婚約者の働く姿を見ては思う。
沙和から離れて自由に動けるようになってから、偶に碧の職場を訪れている。何をするでもなく、ただ彼女を見守っているだけだ。
この数年で、碧は何かの拍子に涙を流すことがなくなり、作り笑いの数も減ってきた。心から笑ってくれる姿を見れば、ほっとして椥の口角もあがる。
けれど。
少しずつ過去になっていく自分に寂寥感を感じる。どうにもならない時の流れと、生者と死者という覆しようのない現実を前にして、一体何が出来るというのだろう。
彼女には未来がある。
いつまでも死んだ椥に取り縋って、過去を振り返ってばかり居てはダメだと、頭では理解している。
(けど…納得出来てないんだよな)
ほとほと女々しい奴だと思うが、簡単に忘れてしまえるほどの想いではなくて……。
それでもいい加減、彼女を解放してあげるべきなのだ。
気が付いたのは、沙和から離れられるようになってから直ぐのことだったか。
椥が死んでからと言うもの、沈みがちな碧の陰になり日向になり、さり気なさを装って見守る視線があった。
生きていたらそんな事もあるだろう。ない方がおかしい。碧はまだ若くて綺麗だ。性格だって良いし、ちょっとした仕草が可愛いのだ。男が放って置く筈がない。
そんな事は解っている。
しかし。
碧を労わりながら、垣間見える男の恋情を刷いた双眸に気が付いた瞬間、碧に近付くその男へ激しい怒りと嫉妬、彼女への独占欲に支配され、荒れ狂って噴き出した感情。
男だけを狙って起こる怪奇現象に、周囲から悲鳴が上がった。
眼前で起こる出来事にすっかり血の気を失った碧が、まさか男を庇うなんて思いもせず、彼女の蟀谷から流れた血で、椥は正気に返った。
大荒れに荒れたフロアで茫然と立ち尽くす碧の同僚たち。
自分だって怪我しているのに、それよりも相手の男を心配する碧の姿を目の当たりにして、椥はようやく本当に理解できたのかも知れない。
どんなに乞い願おうと、生き返って彼女の隣に立つことは二度とないのだと。
ゆっくりとした彼女の心の変化。
月命日には決まって墓参りをし、墓前で椥に語りかける愛おしい存在を見るに付け、まだ彼女の心の中に居ることに仄昏い喜びを感じつつ、微笑んで眺める。そんな日々がずっと続けばいいと願う反面、心の何処かで脅えていた。
そしてそれは現実味を帯びていく。
同僚の男は無理に椥を忘れることはないと慮りながら、着実に椥から碧の心を奪って行くのに、何も出来ない己がどれほど歯痒かったか。
ある日彼女は沙和を呼び出し、『他の人を好きになっても良いのかな? 椥は許してくれるかな?』と、沙和が椥の姿を視られることを知っている上で訊いて来た。
顔色を窺う沙和に、椥は答えることが出来なかった。
黙したままの椥に代わって沙和は『許すも許さないも、碧さんが不幸になる方が悲しむよ。きっと』と椥をじっと見つめて言い、さらに『お兄ちゃんが悔しがるくらい幸せになって下さい』と付け足すと、良いよね? と心の中で語り掛けて来た。
正直言ったら良くない。
けど、碧に幸せになってもらいたい気持ちも嘘じゃない。
彼女を幸せにする役目を担うのは、自分でありたかったけれど……。
家に帰ってから、沙和に日本酒の一升瓶を供えて貰い、ヤケ酒した。
二日酔いにならなくていいと、強がりながら半泣きで言ったら、沙和は困った顔で微笑んで『お兄ちゃん大好きだよ』なんて言うものだから、涙腺が決壊してしまったのは余談だ。
沙和の結婚が決まった。
篤志にはまだまだ不満は残るが、沙和が好き過ぎる点に於いては及第点だろうと評価はしている。
仮に結婚しなくても面倒は見るからね、と言っていた隼人は暫く不貞腐れていたが。
兄ちゃんも同じ気持ちだぞと、弟を慰めてみたものの、ジト目で睨まれ裏切り者扱いをされて、ちょっとばかし切なくなった。
奈々美は奈々美で『あっくんがお兄ちゃんよ。良かったわねぇ』とにこやかに隼人の神経を逆撫でした。
結婚の了承を貰いに来た時に、沙和が篤志に取られると言って泣いていた隼人を慰めたのは奈々美であったのに、素でそんなボケたことを口にした。この時椥から本気の殺意を感じ取った沙和が、身を挺して奈々美を庇ったので、沙和に免じて我慢してやった。
尽々奈々美とは波長が合わない。合わせる気もないが。
(沙和が奈々美に懐いてるってだけでもムカつくってのに、俺の逆鱗を爪でカリカリカリカリ引っ掻きやがって。これが無関係だったら此処まで腹も立たないものを。ホントあの女だけはっ!)
奈々美が沙和の事を本当の妹のように可愛がっていることは、嫌だけれど認めよう。
しかし。本来なら椥が収まるべき場所に、至極当然とばかりに収まっている奈々美が大っ嫌いだ。
人とテンポも思考もズレているのに、危機回避能力だけはすこぶる高くて、椥が未だ一矢報いたことがないのが、また何とも憎たらしい。
成仏するまでにせめて一太刀と思っているが、“どーしてこのタイミングで!?” と紙一重で躱され続け、憤然としながらも最近は半ば諦めている。
きっとこのまま奈々美に腹を立てつつ、何も出来ないまま成仏するのだろう。
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。
王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】
霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。
辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。
王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。
8月4日
完結しました。
【完】前世で子供が産めなくて悲惨な末路を送ったので、今世では婚約破棄しようとしたら何故か身ごもりました
112
恋愛
前世でマリアは、一人ひっそりと悲惨な最期を迎えた。
なので今度は生き延びるために、婚約破棄を突きつけた。しかし相手のカイルに猛反対され、無理やり床を共にすることに。
前世で子供が出来なかったから、今度も出来ないだろうと思っていたら何故か懐妊し─
王子妃だった記憶はもう消えました。
cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。
元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。
実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。
記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。
記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。
記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。
★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日)
●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので)
●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。
敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。
●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
人生の全てを捨てた王太子妃
八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。
傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。
だけど本当は・・・
受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。
※※※幸せな話とは言い難いです※※※
タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。
※本編六話+番外編六話の全十二話。
※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。
浮気を繰り返す彼氏とそれに疲れた私
柊 うたさ
恋愛
付き合って8年、繰り返される浮気と枯れ果てた気持ち。浮気を許すその先に幸せってあるのだろうか。
*ある意味ハッピーエンド…?
*小説家になろうの方でも掲載しています
目が覚めたら夫と子供がいました
青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。
1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。
「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」
「…あなた誰?」
16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。
シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。
そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。
なろう様でも同時掲載しています。
病気呼ばわりされて田舎に引っ越したら不良達と仲良くなった昔話
宵
ライト文芸
弁護士の三国英凜は、一本の電話をきっかけに古びた週刊誌の記事に目を通す。その記事には、群青という不良チームのこと、そしてそのリーダーであった桜井昴夜が人を殺したことについて書かれていた。仕事へ向かいながら、英凜はその過去に思いを馳せる。
2006年当時、英凜は、ある障害を疑われ“療養”のために祖母の家に暮らしていた。そんな英凜は、ひょんなことから問題児2人組・桜井昴夜と雲雀侑生と仲良くなってしまい、不良の抗争に巻き込まれ、トラブルに首を突っ込まされ──”群青(ブルー・フロック)”の仲間入りをした。病気呼ばわりされて田舎に引っ越したら不良達と仲良くなった、今はもうない群青の昔話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる