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6. 心残りは何でしょう?

心残りは何でしょう? ②

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 しかしどうしたものか。
 まったくの手掛かりがない状態で、毎日やみくもに歩いている。
 幽さんはのんびり行こうと言っているけど、出会ってから三か月。充分のんびりした。

「ねえ幽さぁん。なんか見たことある風景とかないの?」
『う~ん。……あるようなないような』

 躰慣らしに自宅界隈から探索をはじめたものの、幽さんの反応がどうにも薄い。
 記憶がないから、そんなものなのかなとは思うけど。
 閑静な住宅地の町並みは、どこも幽さんの記憶に触れる所はなかった。
 公園、小学校、古くから空き地になっている場所も、幽さんが首を振ると沙和がガックリと肩を落とし、すぐに気を取り直して彼女の思い出話に花が咲く。

 小学校の帰り道にやたらと吠える大きな犬がいて、その家の前だけ走り抜けたとか、ここの家には柿の実がなり、落ちて来るのをひたすら待っていたら、おばあちゃんがお裾分けしてくれたとか、ここの家から聞こえて来るピアノの音が好きだったとか、他愛のない話が次から次へと溢れて来る。

 幽さんは優しく微笑んで、相槌を打ちながら沙和の話を聞いてくれる。それが嬉しい。
 まあ終始こんな状態なので、のんびりしてられないと言いつつ、探索の足取りは緩いものだ。
 そうこうしている間に、沙和は中学校まで来ていた。

「ここが、我が母校です」

 閉め切られた校門の前に立ち、校舎を見つめた。
 授業中だからか建物は静まり返り、校庭から等間隔でホイッスルの音が聞こえて来る。
 沙和がフェンス沿いに移動し始め、幽さんを振り返った。

「どうしたの、幽さん?」

 彼はすぐに応えず、しばし校舎を見つめていた。それから周囲に視線を巡らせ、どこか戸惑った面持ちで沙和に目を向けた。

中学校ここ、知っているかも知れない』
「本当に!? 幽さん、先輩だったのかな!?」
『……それは、どうだろ? ここに立って学校を見ていると、寂しくて、ザワザワして身悶えたくなる感じがするのに、何だか苛立たしさも感じるんだよな。あまり好い思い出がないのかも知れない』

 そう言って憮然と顔を顰める。

「幽さんって、もしかしてイジメられっ子だったとか?」
『誰に言っている誰に』

 沙和も言ってから “ないな” とは思ったのだけど、訂正する前にムニッと両頬を抓まれ、眉尻を下げた彼女が「らっへ~」と情けない声を上げると、幽さんがぶっと吹き出した。
 沙和は顔前で暴れるように腕を振り回し、幽さんの手を払い除けようとする。けれど腕は幽さんを擦り抜けて当たらず、抗議めいた上目遣いで彼を睨んだ。すると幽さんは指の力を抜いて、今度は手の平の中で頬をウリウリと回す。  
 幽さんは沙和に触れるのに、彼女が触れることは出来ない。こういう時の幽さんは、本当にズルいと歯噛みしたくなる。

「笑わないでよっ」
『悪い悪い』

 悪いなんてこれっぽっちも思ってないだろう彼は、なかなか笑いを引っ込めてくれず、沙和が膨れっ面でズンズン歩き出す。すると頭上から逆さまになった幽さんが、沙和の顔を覗き込んで来た。

『さ~わ~。沙和ちゃ~ん。怒った顔も可愛いけど、眉間の皺が消えなくなっちゃうぞぉ?』
「ふんだ。知らない」

 ツンとそっぽを向く。が、皺に居座られるのはお断りなので、眉間から力を抜いた。怒りよりも乙女心が優先である。
 沙和はふと足を止め、フェンス越しに校庭を眺め見た。どうやら体力測定をしているようだ。

「わっかいなぁ」

 ポロッと漏れた言葉に、またも幽さんが吹き出す。じろりと見ると彼は笑いを苦笑に変えて、

『沙和だって若いだろ』

 そもそも体力なんて関係なく、いつまでも若いままの幽さんの言葉に、沙和は肩を落として溜息を吐く。

「中学生の無尽蔵な体力に勝てる訳ないじゃん。唯でさえこっちは病み上がりだし」
『体力はこれからゆっくり戻せばいいさ』
「そうだけど……」

 言い淀んで口を噤む。  
 大丈夫だと思っていても、不安が全くなくなった訳ではない。
 そんな沙和の不安を払拭するかのように、力強い笑顔を浮かべた幽さんが彼女の頭を鷲掴んで振り回した。されるがままの沙和の頭がグラグラと揺れる。

「ちょっとぉ」

 そう言っている間にも思考が撹拌されて、沙和の頭から不安が消えていく。
 揺れる頭がピタッと止まり、幽さんが沙和のしかめっ面を覗き込んで口元に弧を描いた。

『大丈夫。沙和の心臓は力強く動いてる。俺が保証してやるから』

 半共有しているしている幽さんのお墨付きを貰って、沙和の顔に笑みが浮かんだ。幽さんも破顔する。
 しばらく中学校を見ていたけれど、幽さんの記憶を呼び覚ます物がこれ以上なかったようなので、二人はまたゆっくりと歩き出した。

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