【R18】花頭症候群 ~花盛りの女たちと、翻弄される男たちのあれやこれや

優奎 日伽 (うけい にちか)

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3. 架純 ~女の純情なめんなよ

架純 ⑧

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 フリでも良いから仲良くしてと言った店長の願いもすっかり忘れ、バックヤードで喧嘩をおっぱじめてしまった架純と黒珠は、罰として閉店作業を店長監視のもと黙々と熟している。

 注意されてから、二日は我慢した。
 今日だって架純が一々過剰に反応しなければ、喧嘩は避けられた筈だ。
 分かっているけれど、一度弾けてしまった感情は治まる事を知らず、後悔したはずのあの日の再現をこれでもかとしでかしている。

 何を言っても冷静な黒珠が、唯一反応を見せるから、架純もつい意地悪な気持ちになってしまう。嫌われる一方だと分かっているのに。

(お姉さんは、やっぱ特別なんだね)

 瑠珠が入院して、毎日見舞いに通う黒珠を詰った。そんなことを言える立場でもないくせに。
 黒珠を訪ねてくる杏里は、偶に目が合うと憐れむような視線を投げてきたり、これ見よがしの溜息を吐いていた。彼が何を言いたかったのか、今更知りたいとも思わない。と言うか今の今まですっかり忘れていたし。

(そう言えばあの子に “馬鹿” 呼ばわりされたんだっけ……ま実際、馬鹿だけどさ。なんか、思い出したら腹立ってきた)

 年下のくせに生意気なのは、きっと黒珠の幼馴染みだからだと、勝手に解釈すれば尚のこと、無表情で床掃除をしている彼が憎たらしくなってくる。
 イラっとした顔で黒珠を睨むと、店長の咳払いが聞こえた。
 慌ててモップを動かせば、向こうでクスッと笑う声が聞こえた気がして、眉間に皺を寄せて黒珠を見る。けど架純の所からは表情を確認できない。下手に声を上げようものなら、監視員を怒らせるだけだ。

(我慢だ我慢。金子くんの誘導に乗せられて、キレたらこっちの負けよ!)

 立場が悪くなって、店に居辛くなったら困る。勉強しないなら働けと、孫の手で母親に尻はもう叩かれたくない。

(お母さんってば、娘のお尻本気で叩くんだもんなぁ)

 しばらくヒリヒリして座れなかった記憶が甦る。
 卒業してから毎日ゴロゴロと、家の手伝いもしなかった架純も悪いのだけど、あの時は何もする気になれなかった。

 そこからやっとの思いで復活したのに、元凶に再会してしまうとはツイてない。  
 しかも職を失うかもしれない危機。
 黒珠に恋してから、自分ばかりが振り回されている気がして、理不尽さを感じずにはいられない。
 黒珠を盗み見て、無意識のうちに何度も溜息を吐いていた。


 ***


 黒珠がバイトに来るようになってから半月、架純も感情のコントロールを覚え、一発触発の危うい空気にはならなくなってきた。が、二人の間に流れる冷気は依然変わらない。
 指導係の任も解かれ、犬猿の仲だとスタッフに浸透してからは、女性スタッフの僻みやっかみは沈静化し、それだけでも架純の心に平安が訪れた。

 この日、遅番で出勤した架純が更衣室から出て来ると、どんなタイミングなのだか、黒珠がスタッフルームに顔を出した。咄嗟に壁掛け時計に目を遣る。黒珠の手にはグラスが握られていて、休憩だと知れた。
 架純の出勤時間に黒珠の休憩を入れたのは、店長の采配ではない。確か今日は公休日のはずだ。

 黒珠はチラッと架純を見て、テーブル席に着く。
 架純は言葉にならないモヤモヤを胸に抱えたまま、壁際の姿見の前に立った。手にした大き目の帽子を被って、髪の毛を中に押し込む。
 普段はバンダナを海賊みたいに被るのだが、花頭が咲くと専用の帽子を被ることになっている。匂いの防止と花粉の飛散を防ぐためだ。

 ふと視線を感じ、鏡越しから背後を窺う。黒珠にじっと見られていて、ぞくりと震えが走った。
 恐怖ではない。
 落ち着かなくなる眼差しが、架純に向けられている。

(……なに? なんで?)

 熱っぽい目で見られている。
 そう感じた途端、心臓が早鐘を打ち始め、息苦しさを感じた。

(今までそんな目で見たことなんてなかったじゃないッ!)

 居た堪れなさから目を逸らし、帯状になった友布を後頭部で結ぼうとした時、黒珠が呟くように口を開いた。

「……薔薇」

 一瞬何を言ったのか分からず、きょとんとした顔で彼を振り返り、目線の先で花頭のことだと気が付いた。
 黒珠を見たまま、帽子の隙間から花粉が零れたりしないように、紐をぎゅっと結ぶ。

「薔薇だけど、何か?」

 平静を装い、如何にも黒珠のせいで不愉快だと言わんばかりに眉を寄せ、壁にぶら下がっているコロコロを手に取った。プラスチックのカバーを外し、粘着面を衣服の上で転がす。
 気にも留めていないと、素っ気ない態度を示す架純に、くすっと笑いを漏らした黒珠。ムッと唇を尖らせて、上目遣いに彼を睨んだ。

「高校の時のままだな、って」

 黒珠の口角が意地悪そうに上がる。
 卒業してから、まだ四ヶ月にもなっていない。
 黒珠が言わんとしている言葉がなんなのか、頭を掠めただけで頬に朱が走った。

「だ、だったら何よ!?」
「別に。薔薇が咲いてると、言っただけ」

 艶然と微笑む黒珠。
 心臓が鷲掴まれた様にギュッとなり、次の瞬間に思ったことは、イニシアチブを取られるだった。
 架純がひたすら黒珠を想い続けたことは、今さら隠しようもない。それを弱みとして掴まれるのは御免だ。

 なのに……。
 もう黒珠を好きではないんだと、彼を想って咲いているわけではないんだと、勘違いされては困ると、そう言いたいのに言葉が出ない。
 何で、まだ花頭は咲いてしまうんだろう。
 こんなに腹が立つのに、どうして――――



 早番の黒珠が帰るまで、本当に心臓が痛かった。
 居た堪れないとかそんなレベルじゃ到底済まない。それこそ体調不良を言い訳に、早退したかった。
 悉く架純の視界に入り込み、目が合ってニヤッと笑われたりしたら、悲鳴を上げて逃げ出したかったくらい、慄いた。
 弱みを掴まれた。もう終わりだ。そんなことばかりが頭の中を占め、全く生きた心地がしなかった。
 だから彼が上がった時は心底安堵し、あからさまに胸を撫で下ろしたと言うのに……。

「何でいるのよ」

 架純が原付バイクを置いている所に、諸悪の根源が居た。恐らく黒珠のだと思われる自転車に腰掛け、彼女の姿を見止めると薄く微笑んだ。

「架純さんを待ってたから」

 今ではすっかり慣れ、佐々木とは言わなくなった黒珠に、外でそう呼ばれると変な感じがする。
 嬉しいような、怖いような、もぞもぞとくすぐったいような、ヒリヒリするような、複雑な思いが交錯し、何か裏があるかもと胡乱な目で見てしまう。
 架純はその場に佇み、黒珠の動向を窺いつつも口を開く。

「待たれる覚えはないけど?」
「確認したいことがあって」
「確認? なに。仕事のことなら「違う」

 架純から言葉を奪い、被せて否定する。黒珠の睨むような眼差しに、息を詰めて見返すと、「ごめん」と頭を下げてきた。いつでも喧嘩上等の構えだった架純も、これには呆気に取られてポカンとする。

(今、ごめんって言った? 空耳、かな……?)

 首を傾げて眺めていると、少しだけ顔を上げた黒珠の様子を窺う双眸と視線が合った。いつもなら直ぐに逸らすのに、お互いの瞳から逸らせない。
 熱の篭った眼が僅かに潤んでいると、どうして気付いてしまったのだろう。
 縫いつけられたようにその場から動けないでいると、黒珠が一歩、また一歩と近付いて来るのが見えた。
 腕を掴まれ、グイッと引っ張られる。

「え……?」

 頭が理解する前に、「通行の邪魔」と黒珠の声が耳に届き、架純の背後を数人の会社員が通り過ぎて行く。

(び……びっくりした~ぁ)

 何事が起きたのかと思った。

「ご、めん」
「何が?」
「人に気付かなくて」
「それ俺に謝るとこじゃない。ありがとだろ、普通」
「そっか。ありがと」

 びっくりしたせいか、素直な言葉が口から滑り出る。
 黒珠を見上げた瞳に、優しく微笑む彼の姿が映り込んだ。
 かつて欲しいと羨望した微笑みが、今架純に向けられていた。

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