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3. 架純 ~女の純情なめんなよ
架純 ④
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二十三時を過ぎて授業が終わり、ぞろぞろと駅に向かって歩く受験生たちに紛れ、朦朧とした頭でふらつきながら夜の街を歩く。
一気に詰め込み過ぎて、眩暈がする。
夏休み入ってすぐから夏季講習が始まり、お盆休みまでこれが続くかと思ったら青息吐息の架純だ。
(今までサボっていたツケだよなぁ)
取り敢えずノートは取る。でもテスト前にちょっと開いてみるだけで、時間が経ったらきれいさっぱり頭から消え失せる。これで進学なんて、お金と時間の無駄遣いだと、母もさっさと気が付くべきだ。
人には向き不向きがある。
(あたしみたいに出来の悪いのなんて、卒業したら就職した方が、絶対にいいと思うんだけどな~ぁ。明純が控えているんだからさ、お金の掛けるところを間違っちゃダメだよね)
架純よりも余程出来の良い、二つ下の妹の顔が浮かんだ。
どうして姉妹なのに均等に割り振ってくれなかったのか、こればかりは両親を恨んでしまう。
自分のせいも多分に有ることは、思い切り高い棚に上げておく。
何とか講習をやめる方向で話は出来ないかと、母の顔を思い出し「無理っぽ」と呟いて溜息を吐いた。
オフィスが立ち並ぶこの界隈にも、ちょっとお洒落な居酒屋とかショットバーとかがあったりして、仕事帰りの酔っ払った会社員が、歩道を我が物顔で歩いている。
架純は酔っ払いになるべく接触しないように、鞄を胸に抱きかかえ、歩道の端を歩いていた。
目線を下にし、誰かと目が合ったりしないように歩いていた彼女の耳に、聞きなれた声が届けられ、頭の疑問符をそのままに咄嗟に顔を上げる。声の出所を探して視線を巡らせ後ろを振り返った。
あまり大きくはないショットバーから、出てきた人物に目を瞠り凝視する。
黒珠だった。
名前を呼び捨てにし、相手の腕を自分の肩に回している。足元が覚束ない女性の腰に手をまわし、お小言を言う黒珠の姿を見るに、友達ですという雰囲気に見えない。
架純は竦んだように立ち尽くし、二人のやり取りから目が離せないでいた。
視線に気が付いた黒珠が顔を上げ、彼女の方を見る。
束の間、合った視線を外したのは、黒珠の方だ。彼は女性とともにタクシーに乗って、何事もなかったようにその場を去って行った。
身動ぎもできないまま、先刻まで黒珠がいたそこから目が離せない。
(……あれが、噂の彼女、かな?)
下を向いていたから、顔ははっきり見えなかった。
それでも、身形から年上の女性だということくらいは、架純でも推測できる。
(年上好みだったかぁ……ちぇっ。残念)
頑張ればといった杏里が少々恨めしく感じる。真に受けて頑張る気満々だったのに。
彼の物言いだと、黒珠には特定の相手がいるような感じではなかったから、非常に残念だ。
もしかして杏里にも知られないように、こっそり付き合っている人だろうか?
何だか両頬がくすぐったい。
シリアスになり切れない自分に呆れつつ、頬を掻くつもりで手を持っていく。
「……え?」
ぽたぽたと落ちる雫に唖然とし、「やだ」と独り言ちて両掌で目元をごしごし擦る。けれど次から次へと溢れてくる雫に、何の意味も持たなかった。
完全に失恋した。
夏期講習なんて、行くものじゃない。お陰で知りたくもなかったことを、この目で見る羽目になった。遅かれ早かれ知ることになったことでも、まだ夢くらいは見ていたかったのに、なんて無情なのだろう。
頭が飽和状態だったが故の、幻だったら良かったのに。
幻ではなかったと、朝起きた時の浮腫んだ顔と、真っ赤に晴れ上がった眼が、現実だったと如実に語っていた。
(新学期が始まったら、ガセネタ掴ませたって、相沢くんに八つ当たりしてやろ)
高スルースキルを持つ黒珠には、どうせ相手して貰えないのだ。ちょっとくらい杏里に当たっても罰は当たらないだろうと、勝手にそういうことに決めた。
何気ない振りして相手を聞き出すことも、文句を言うことも出来やしない。そんな権利もない。
ただのクラスメイト。
そしてまた、昨夜ことを思い出した架純は、ベッドに突っ伏してさめざめと泣いた。
***
新学期が始まり、受験生たちのグレーゾーン突入。
杏里は新学期になっても三年のクラスにやって来ては、黒珠の所で時間を潰している。
もしかしたら杏里には友達がいないんじゃないかと、他人事ながらに心配になってしまうのは、お人好しだろうか。
とは言え、ガセネタの一件は別である。
今日こそは杏里を捕まえて、鬱憤の一つも晴らしてやるつもりで、前回と同じ場所で待機していた。
教室から出て来た杏里に手招きすると、またかと言いたげに近寄って来る。
「今度は何です?」
「金子くん、彼女いるじゃん」
架純の声は思いの外響いたようで、廊下を歩いていた生徒の視線を集めた。
杏里の視線が周囲を一巡し、今度は彼の方から腕を掴み、階段の踊り場まで架純を引っ張って行った。
「黒珠、彼女いないはずだけど?」
「だって見たし。お盆前に、年上の女の人と仲良さげにタクシー乗るの」
今思い出しても涙が出てきそうだ。
「よくもガセ掴ませてくれたわね」
眦を釣り上げて杏里に迫ると、訳わからない顔で見下ろされる。彼に「待って待って」と肩を掴まれて引き離された。
「それって、お盆前だよね?」
少しの間考え込んでいた杏里はそう訊いてきて、架純の目が一層険しくなる。眦が上がっているから、結構迫力がある眼差しだ。
「そうよ!」
「相手って、酔っ払ってなかった?」
「酔ってたんじゃない。金子くんにしな垂れかかってたし」
この期に及んで言い訳してくるのかと、杏里の顔を睨み上げた。すると彼は苦い顔をして溜息を吐き、ゆっくり口を開く。
「それ多分、黒珠の姉さん」
「そんな嘘で誤魔化されないよ。見ててベタベタに仲良かったもん」
会話の一部始終が聞こえてきたわけではない。
けれど姉弟と言うには、仲良すぎる様に見えた。
「いやややや。マジで―――この人じゃなかった?」
そう言ってスマホの画面を架純に向け、写真を見せてきた。
架純は目を凝らして見入る。
そう言われたら似ているように見えるけど、あの時相手はずっと俯いていたから、はっきりそうだとは言い切れない。
眉間に皺を寄せて見入っていた架純だったが、杏里の「あっ」と小さく漏らした声に顔を上げる。彼の視線の先を目で追うと、渋面の黒珠が「勝手に俺の話を作んなよ」と階段を上がって来るところだった。
「作ってねえし」
「クラスの奴に “彼女いるんだって?” って言われたけど?」
「だからその誤解を解いてたとこだって。先輩、瑠珠のこと黒珠の彼女だと思ってたみたいだからさ」
“るみ” という名前に聞き覚えがあった。
黒珠はあの時、女性をそう呼んでなかったか?
急に不安が押し寄せてくる。
「黒珠が相手でも、瑠珠を彼女呼ばわりされると、俺が腹立つし」
杏里の発言に、架純は “ん?” と顔をしかめて振り仰いだ。
杏里の言い方だと、その “るみ” なる女性は、彼の恋人だろうかと考えが過る。
(一体、いくつ離れてるんだ?)
素朴な疑問。
黒珠の姉ならば、最低でも三つ以上は離れているはずだ。
架純はじっと杏里を見上げた。
「瑠珠の隣は誰にも譲らない」
固い決意のような重みを感じる言葉に、架純の胸がキュンとする。
言われてみたい言葉だ。出来れば黒珠に。
なので、キュンとしたのは断じて浮気心などではない。断じて。
チラリと黒珠を見るが、架純の胸の内など全く気にも留めてないのが丸分かりで、泣けてきそうだ。
「はいはい。だったらもっと頑張れよ」
「うわっ。その “はいはい” の言い方、瑠珠と一緒」
「姉弟だからな。似てて当~然」
完全に蚊帳の外だなぁ、と言いようのない微苦笑が浮かぶ。
二人の会話を聞く限り、随分と仲の良い姉弟らしい。妹とは仲が悪いようなのに、何か変な話だなぁなんてぼんやり聞いていた。
杏里から黒珠に視線を移すと、目が合った。
コンマ数秒ではあったけど。
「杏里。そろそろ戻れよ?」
黒珠はそれだけ言って踵を返し、教室に戻って行く背中を見る架純の口元が弛む。
コンマ数秒でも目が合った。それだけで幸せな気分だ。何しろ視界に入れて貰えないのが常だったので。
それに、と思う。
はっきり黒珠の口から “違う” と聞いたわけではないけれど、心の中にあった蟠りがほろほろと崩れて溶けていった。
そうなると今度は別の怒りが込み上げてくる。
「完全に失恋したと思ったのに、あたしの涙返してよ!」
「俺に言わないで下さいよ」
「本当にお姉さんで間違いないんだよね?」
「間違いないですって。黒珠も認めてたでしょ」
「ガセネタ掴まされたと思ったから、相沢くんに八つ当たりする気満々だったのに」
「勘弁してくださいよ。俺を甚振って良いのは瑠珠だけですからね」
「……そっちの趣味?」
「例えばの話ですからっ!」
「なんだぁ」
つまんないと口中で呟いていると、杏里はきれいな顔を歪ませて「まったくもお! 戻りますッ‼」とドカドカ音が聞こえそうな足取りで、階段を上がって行った。
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