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2. 杏里 ~逃がさないから覚悟して?
杏里 ③
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穏やかな寝息をたてている瑠珠の頭を抱えて、何度目かのキスを頭頂に落とす。
「いつまで寝てるんだよぉ」
そう言いながら、起こさないように声を潜めてボヤいている。
外はすっかり明るくなっているのに、瑠珠は一向に起きる気配を見せない。
文句を口にしてみても、胸の中にはふわふわした多幸感。
世界に二人きりになった様な緩やかな時の流れ。
やっと手に入れた。
口元に自然と笑みが零れる。
彼女を傷つけるものから守るのは、この先ずっと自分であり続けたい。
しかし。
(そうは言っても寝過ぎじゃね? そりゃ酷使したけどもさ、一応新婚さんなんだよ? まだ大っぴらに出来ないけどさ、もうちょっとこう、緊張感とかないのかな?)
瑠珠の掌が杏里の肌を撫でる度に、下半身がザワザワして困る。
先刻からずっと、いや瑠珠さえよければフルタイム接続可能だ。
出来れば寝込みは襲いたくないのに、年上の可愛い奥さんは無邪気な寝顔で誘ってくる。
思い返せば、何度この悪魔の所業とも言うべき “蜜の罠” を前に、もんどり打ったことか。
(もお我慢しなくていい筈なのに、この罪悪感はいったい何なんだよ~ぉ!)
すやすや眠っている瑠珠に手を出しそうに……悪戯した事は…………ある。
それも一度や二度ではない。
(別れた後なのが、せめてもの救いだけどさ)
自分に言い訳したところで、瑠珠には話せない墓場まで持って行く案件である。
短大に入った年の夏休み。瑠珠はバイト先で知り合った男と付き合い始めた。
(あん時は、ほんと心が死んだよな)
今思い出してもツライ事しかなかった。
瑠珠が高校を卒業した辺りから、事ある毎に『好きだ』を繰り返して伝えてきたのに、肝心の瑠珠に本気にして貰えず、両手両足の指じゃ足りないくらい玉砕して、その彼女に『彼氏できたから』とか言われた時のショックと来たら半端なかった。三日三晩寝込んだ。
それでもやっぱり諦めきれなくて、顔を合わせれば『好きだよ』と繰り返して来たけど、いつも軽く往なされていた。
“好きな人が幸せだったら自分も幸せ” なんて、偽善者が言えばいい。好きな人が振り向いてくれないのに、それでも良いなんて何の殉教者だ。マゾだ。献身的で可哀想な自分に酔ってるとしか思えない。
そんなもの、どこかの宗教家にでも任せればいい。
独善的だと詰られようが、瑠珠が居なかったら自分は幸せじゃない。
あの男は、自分よりも瑠珠を幸せになんて出来るはずない。
昏い願いを抱きつつ、瑠珠が戻ってくる日を杏里はひたすら待った。
コンプレックスだった身長は、二年の月日で克服した。
百八十を越えたお陰でモデルの仕事が一気に増え、可愛いだけのキッズモデルから見事な成長を遂げたと自負している。
ぶっちゃけ女子に良くモテるし、ベッドにもよく誘われる。けど、本当に欲しい人からの誘いだけがない。
「いい加減、お姉ちゃんなんて諦めて、あたしにした方が良くない?」
夏休み目前の放課後の教室で、杏里の机に頬杖を着いた真珠が言った。
上目遣いにチラリと見、媚を売った笑顔に「嫌だね」と素気無く答えて日誌に目を戻す。シャープペンを走らせる杏里の手元に伸びて来た真珠の指先が、彼の注意を引くようにカツカツと机を叩いた。
「あの二人、絶対結婚しちゃうよ? お盆も旅行の計画立ててるみたいだしさぁ。杏里が付け込む隙なんてないって。その点あたしならフリーだし?」
「お前が遊んでるの、俺が知らないと思ってる? そーゆーの俺ダメだから」
「まぁたまた。杏里だって、適当に遊んでるでしょ? 男は良くて女はダメなんて、いつの時代の人間よ」
「遊んでないし。俺DT」
「……え?」
信じられないものでも見たかのような真珠の顔をしれっと見返し、また黙々と日誌の空白を埋めていく。
真珠は「え、嘘。やだ…まさか、冗談でしょ?」とかブツブツ言いながら、杏里の顔色を窺っている。で、いろいろ思考した末に、杏里の言葉をなかった事にした。
真珠の手が日誌を覆い隠し、杏里は面倒臭そうに眉をひそめる。
「そんなんじゃ引かないよ~だ。あたし杏里の事好きだし、杏里がモテるのも知ってるもん。いちいち真に受けないよ~だ」
ちょっと不貞腐れて口を尖らせる様は、見る人間の目によっては可愛く見えるのだろうけど、杏里の目にその機能はなかった。それを発動させられるのは、後にも先にも一人だけ。
「俺がモテるのとDTなのは、イコールじゃないから。瑠珠としかしたくないだけだし。てか真珠煩い」
日誌の上に置かれた真珠の手を払い、さらに「しっしっ」と追い立てる。
「もお酷ーい。何この扱い! 犬猫じゃないんだからさッ」
「犬猫の方がまだ可愛げある」
「ふんっだ。いくら杏里がお姉ちゃんのこと好きだって、お姉ちゃんは彼氏が好きじゃん! エッチな事だっていっぱいしてるよ!? 杏里だけDT守って馬鹿じゃん」
真珠の言葉で、一気に頭の中が煮えた。
考えたくなかった事。でも頭から離れなかった悲しみにも似た苛立ち。
「うるさい」
自分でも驚くほどのくぐもった声。真珠も肩を揺らして椅子ごと後退った。
「それ以上言ったら、真珠でも赦さない」
「ゆ…赦さないって、どーするつ、つもりよッ!?」
「喋られないように、顎砕いてやる」
「さっ、サイテーッ!!」
「真珠にサイテーでも、痛くもない」
「お姉ちゃんにチクってやるから」
「いいよ。好きにすれば? 瑠珠がどこまで信用するか分かんないけどな」
「あんた本当にお姉ちゃん以外の女子には最低よね」
「八方美人じゃないだけさ」
必要以上に好かれなくたって良い。
瑠珠の気持ちさえ手に入ったら、他に望むものなんてない。
彼女を養っていけるだけの収入源は必要だけど、と現実なこともチラリと考えつつ、でもやっぱり瑠珠が居たらそれで良くなってしまう。
だからワザと瑠珠が他の男に抱かれている想像をさせる真珠が、厭わしくて仕方ない。
真珠に意地悪な目付きで見られると、考えたくもない妄想が脳裏を占めて、息が出来なくなりそうだ。
(ああもう……邪魔だ。早く帰ってくれ)
文字を書こうとすると、シャープペンの芯がパキパキ折れて捗らない。
杏里の苛立ちを身に感じ、流石の真珠も潮時を知ったらしい。不承不承に立ち上がり、フンと鼻を鳴らす。
「あたしはいつだってOKだからね?」
「まだ言うか?」
「それくらい言わせてくれたって良いじゃない。諦め着いたら最初にあたしとシテね?」
「真珠だけはないから」
「何それ。襲ってやる」
「マジ勘弁。いいからもう帰れよ。お前いると終わんねえ」
「杏里のばーか」
その一言を残して真珠が教室を出て行き、杏里は疲れ切った溜息を漏らした。
それから一月も経たず、瑠珠が男と破局した。
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