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 冷たい、大きな風が吹いて、頭が冴えわたった。いつもジャック様に会うたびに緊張していた私はどこかへ行ってしまったらしい。たぶん今は立場が逆転しているから。
 ああ、この人は。

「リル先生の、御子息らしいです。お誘いを受けたので、一緒に踊らさせていただきました」
「君と踊るのは私だと思ってた。せっかく似た色の背広を着てきたのに、運が悪かった」

 もしかしたら、私もそんな気がしていました。そう言おうとして口をつぐんだ。そんなことを言ってしまったら、私はこの感情に蓋をしきれなくなる。

「ここで踊りませんか。ここなら人がいないので、私も上手く踊れる気がします」
「うん、良い考えだ」

 大広間から聞こえてくるピアノとヴァイオリンの音。人々の騒がしい声、鼻がツンとするような香水の匂いも白粉の匂いもしない、夜の風の匂いだから気持ちが良い。
 骨ばった手を握って、その匂いをいっぱいに胸にしまって、何も考えないで踊っているのに、足は勝手に動いた。満足そうなジャック様の表情を見て私も満足した。
 ふとジャック様は天を仰いで月を見た。

「月が綺麗だね」

 これは、意図的に言っているのかしら。それともただ月が綺麗で言っているだけ?どっちにしろ、ロマンチックなこの場にふさわしい言葉を返さないと。
 雰囲気をぶち壊すようなこと言ったら大変。でも心の準備も必要。だってこれは私にとってとっても大切な言葉の返事だから。
 何度か息を吸ったり吐いたりして、意を決してジャック様の方を見た。

「貴方だから、月が綺麗なんです。だから、私、死んでもいいわ」

 言った!言ったわ!私!勇気を出した!
 緊張したままで顔を上げてみると、ジャック様はポカンと首をかしげて、苦笑いを浮かべている。
 失敗した!!!!

「な、何でもないです!!」

 恥ずかしい!私はなんて早とちりをしてしまったの!?

「死ぬのは勘弁してほしいけど、確かに君だから月が綺麗なのかもしれない」
「そう、かもしれないです」

 顔が熱くなったままで、私は、頭の中がパンクしていた。今日だけでいろんなことが起きすぎて、それらの情報をうまく処理できていない。
 きっとこの後遺症を引きずって生活していくんだわ。

「そろそろ中へ入ろうか。冷えるし」
「そうですね」

 それから私はほとんど、何も考えられずにシャンデリアの輝きを眺めながら、人々の喧騒へ耳を傾けていた。そうして人々もまばらになる時間帯。私も休みを取ろうかと大広間を出た。

「ああ、居た居た。エミリア」

 声がする方を向いてみると、お酒で酔ったのか顔が赤くなったリル先生が、私の方へやってきた。

「リル先生。そろそろお帰りになるんですか?」
「ああ、そうだよ。最後に顔を見てから帰ろうと思ってね」
「そんな、ありがとうございます。またお会いしましたら、ご一緒にお食事でも致しましょう」

 緩んだ表情のままでリル先生はにこにこと笑って「うんうん」と頷いていた。

「それで、君は結婚する気とかあるかい?次の十七歳が結婚が出来る歳になるだろう」
「結婚、ですか?」

 ま、まさか。

「よかったらルークなんかどうかと思ってね。もちろん強制なんてしないけど、一つ考えてくれていたら嬉しいよ。ルークを誰と結婚させようか真剣に悩んでいたところだったからねぇ」

 とてもいい縁談。リル先生の御子息であるルーク様ならきっとお優しいだろうし、何かあっても医者っていうだけ会って安心できる。
 子爵令嬢にとったら、適切な相手。

「ありがとうございます。考えておきます」
「それじゃあ、また会おうね」

 手を振って見送り、私は両手を握りながら遠くを見つめた。
 ルーク様と結婚出来れば万々歳。それも真剣に考えておかなきゃいけない。


 ジャック様はもっとまともな女性と結婚して幸せな家庭を築いていく人だから。私はしっかりとあきらめをつけなければいけない。
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