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12 託宣

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 光太祐が悲鳴をあげる。「痛いよ! 誰かが僕の手を! 手を腕からちぎった! ぎゃあああ!――」
 光太祐の左腕がはねあがり肩からはずれて棒きれみたいに回転しながら窓外へ飛ばされていく。左腕の抜かれた肩から大量の血が噴射する。光太祐がもんどりをうってから絶叫しつつフロアを這いずりまわる。
「沈杜神社の神さまに早くお詫びしてください!」假戯が催促する。
「斎薔薇にも詫びろ!」伽藍堂も叫ぶ。「でねぇと,死ぬぞ!」
「ごめんなさい,ごめんなさい! 殺しゃにゃいじゃえぇっ――ぐぅぎゃあああ!」
 光太祐の全身が硬直した状態で急上昇し,頭頂部からシーリングに激突した。頸部が砕け,頭部が胴体へとうずまっていく――
「――我が魂を以て贖いたまえ!」僕は腕を突きあげて跳躍し,シーリングに吸着したまま落ちてこない光太祐の足へ触れようとした。だが指先さえ掠りもしない。「――伽藍堂さん,光太祐さんの体をおろしてください! 僕を肩車するのでも構いません! 穢れが強度な場合には相手に触れる必要があります!」
 伽藍堂が近づいてきて僕の腕を摑む。
「伽藍堂さん,緊急を要するのです!」
「駄目だ」伽藍堂に腕をひかれ,光太祐の血の垂れおちる立ち位置から移動させられる。「もう死んでる。諦めるしかない――」
 僕は伽藍堂の手を払い,假戯へ視線を移した。假戯はへたりこみ,上方を仰ぎみて黙然としている。伽藍堂のかわりに僕の要求に応えられそうにはない。
 仕方なく,ただ膝をつき合掌する。「我が魂を以て贖いたまえ!――」
「神の怒りより守ってやっているというのに,仇なす恩知らずめ――」幾重にも反響しながら渦まく無数の声が,祈りの言葉をのみこんだ――
 頭部のすっかり埋まってしまった身体が落下するなり,両足が臀部に食いこみ,そのまま胴体に収納されてしまう――今や正方形の肉塊と言ってよかった。肉塊がゆとりをもてあますシャツを身につけている。吸収限度をこえて周囲に血だまりを広げるシャツを纏いながらフロアに転がっている。
 部屋中の窓がバッタバタリと激しい開閉を繰りかえしはじめたかと思えば,超高音域のノイズの飛びかう耳鳴りに襲われる。假戯と伽藍堂が両耳を塞いで蹲る。
「ひぃやあぁ!――」奇声を発して假戯が立ちあがった。両眼を押しひらき虚空の一点を凝視している。
 僕は伽藍堂の手指の欠けた片手を手繰りよせ,かたく握りしめたまま,精一杯身体をのばし假戯の片足も摑んだ。直立する假戯の足が小刻みに震えはじめ,それが全身へ伝播しながら,大きな縦揺れを帯びた。手をはなしてしまえば光太祐の二の舞になりかねない。懸命に祈り懇願した――我が魂を以て贖いたまえ。
「……駄目だ……誰が呉れてやっか……」伽藍堂が頭を擡げようと踏んばって歯軋りしているみたいな声を出す。「斎薔薇の魂も斎薔薇の命もぜってぇやらねぇ! 誰の穢れも斎薔薇は受けねぇ!」
「何を言うのです! この人の言葉は真実ではありません! 身命を賭してお誓い申しあげます! みなさまの穢れを頂戴いたします!」
「斎薔薇は誰の穢れも受けねぇ!」
「黙ってください!」
「黙るかクソッタレェ! 斎薔薇は誰の穢れも受けねぇ!」
 いきなりフロアに転がる光太祐の肉塊が浮上するなり急接近し假戯の頭上で爆散した。血と肉とが目まぐるしく流動し空中でフォルムを描く――肩から垂れる領巾ひれ,複雑な文様の刺繡の施される唐衣からぎぬや,幾重もの縦襞のある裳が揺らめいていた。埴輪土偶や上代風俗資料で目にされる装束の人影が,顔面だけは假戯のそれを借り,二つの団子状の髷を振りみだした。
「妨げ滅し穢れのもとい消つ――」假戯の唇が動き,突きさすようなハイトーンが発せられた。「祓い今は限りと我も思いさだむれば,汝何ぞやがて退かざる。ゆめゆめ沈杜が社に参ることなかれ」假戯の両眼がいっそう大きく見ひらかれ赤い発色を帯びる。
 僕は眼底に火花のたつような感触を覚えた。
 空中の人影が搔ききえ,熱風が顔前を通りぬけていく。鼻の粘膜や喉が焼かれ,咳きこみそうになる。
 耳鳴りがおさまり,窓の開閉もやんだ。
 假戯が倒れると同時に血を吐いた。体を揺すっても返事はない。意識をなくしているのだ。そばで気絶する伽藍堂も鼻や口から出血している。だが2人とも脈はしっかりしていた。
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