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4 失恋と美食

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 聴蝶は数日のうちに一般病棟に移れるという。ガラスを隔てて冗談を言いあう。聴蝶とまた会話を楽しむことでができて本当に幸せだ。手話を勉強していてよかった。普通なら意思疎通の難しい状態で,手話のできる私たちは簡単にお互いの思いを伝えあうことができるのだから――
 手話のありがたみを共感し肩を叩きあっては,ほろ苦い感傷に涙しつつ,私と山田は集中治療室の前を立ち去っていく。そうすることを聴蝶が望んでいるように感じるからだ。聴蝶は路傍と2人だけの時間を過ごしたいと願っているのだ。
 聴蝶は恋をすると,好きな相手しか見えなくなる。それが今の聴蝶だ。そして路傍も聴蝶に特別な感情をいだいているように察せられた。
 不思議な男だった。手話を使わないで聴蝶と意思を通わせることができるのだ。
「路傍さん,かっこいいよね――」
 夜間通用口へと繫がる階段をおりながら,山田が口先を尖らせて言った。
「身長も高くてモデルみたいな立ち姿だ。目もとも引きしまってて日本男児って感じする――彼みたいな人をイケメンって言うんだろうね」
「……好みによるんじゃないのかい。ああいうのが好きなタイプもいれば,違うタイプもいる。人は大抵自分と違うタイプを好きになるだろ? 狐目タイプと狸目タイプとに分けるなら,路傍さんは前者だね」
「聴蝶さんは?――」がぶり寄ってくる。
「見たら分かるだろ……」
 山田が両肩を落とす。「僕はどっちだろう?……前者なら聴蝶さんの好みにあうよね」
「……」
「……」
 眼前の顔が情けない表情に萎む。きっと私も,気の毒すぎる思いにとらわれて同様の顔つきをしているだろう……
「来てたのか――」全身白のコーディネートで決めた観空が,階段を駆けあがってくる。
「観空さん――」山田が走り寄り,今は邪魔になるから面会は避けたほうがよいなどと報告する。
 観空は表情を曇らせた。「あの人は聴蝶を幸せにできるかな――」と呟き,はっと我に返ったように微笑を湛えた。「ああ,何でもない。俺も仕事に出なきゃなんねぇから,すぐ帰る」そう言って山田に目礼をするなり,2段飛ばしで階段をのぼってから振り返り,言葉を継いだ。「最近,めし食いに来ねぇからゴミが増えて困るわ――今晩は食っとけよ」あっという間に階段をのぼり詰め,踊り場の陰に吸いこまれた。更に階段を駆けあがる音が降って落ち,やがてそれも遠のいて消えた。
 最低の発言をしてから観空との関係はぎくしゃくしている。観空のほうでは何事もなかったかのように振る舞ってくれるが,私は気まずくて視線を逸らしてばかりだ。
 山田と別れてから,家賃を催促するために待ち構えている大家と顔をあわすのが億劫で,観空と聴蝶の借りるアパートに足がむいた。美味しい食事にありつけると思うと口端が緩んだ。
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