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1巻

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 ケネス様は動かなくなってしまわれましたが、構わず引きられて行きました。

「わたくしも帰ります。あまりにもショックですもの……」

 ドロシーと話す気にはなれない。
 帰ると言って、急いでその場を去りました。

「ちょっと! 置いて行かないでよ! どうやって帰れば良いの⁉」

 ドロシーの叫びが聞こえた気がしますが、気のせいという事に致しましょう。
 ドロシーは、三時間後に帰って来て文句を言っておりました。本当に、ひとりじゃ何も出来ないのですね。家の馬車は待機していたのに、馬車乗り場の場所が分からなかったそうです。騒いでいたら、劇場の方が案内して下さったそうです。
 わたくしが可愛いからよ! と大威張りでしたけど、単に迷惑だから声をかけられただけだと思いますよ。しかも、馬車乗り場でうちの使用人の顔が分からなくて劇場の方に捜索させたそうですわ。
 迷惑をかけてしまったので、後で劇場にお詫びにうかがいましょう。
 ドロシーが悪いのに、役に立たない使用人をクビにしてやると両親が叫んでおりましたので、急いで御者を領地に避難させて、セバスチャンに、役に立たない使用人はクビにしたと報告して貰いました。どうせ顔も名前も覚えていないのです。しばらく領地で働いて貰い、ここに戻って来ればまた普通に働けます。両親もドロシーも一度も領地に来た事がありませんから、気付かれる心配はありませんわ。
 わたくしとポールは、いつもこうして真面目に働く使用人を守っております。けれど、両親やドロシーは自分におべっかを言う使用人を贔屓ひいきしますので、王都の屋敷には両親やドロシーの味方をする使用人もおりますわ。現在、屋敷の使用人の半分程度は両親やドロシーにこびを売る者達です。ポールは、そのような使用人は自分が当主になったら解雇すると申しております。仕事をあまりせず甘い汁を吸いたい使用人ばかりですので、仕方がありません。
 そんな人達が多いので、王都の屋敷では気が抜けません。その為、わたくしの部屋には内鍵を付けてあります。外出時に部屋を荒らされるのは仕方がないと諦めているのですが、鍵を掛けておかないと部屋で寛いでいても両親やドロシーが入って来ますし、父や母の指示を受けた使用人が探りを入れようと侵入して来るからです。父や母に見せられない領地の資料は、常に持ち歩くかセバスチャンかリアに預けておりますわ。
 わたくしは、ショックだからと言い訳をして部屋にこもりました。ドアの向こうで両親とドロシーが罵詈雑言を叫んでおりましたけれど、ポールが上手く追い払ってくれました。
 その後、ポールにわれて鍵を開けると、リアとセバスチャンが一緒に入って来てくれました。リアは、わたくしの好きなお茶とお菓子を持っています。
 今となってはこの三人だけが、わたくしの大事な家族です。
 部屋に入って来たポールは、頬を膨らませて怒っております。

「姉さん、予定通りとはいえ納得出来ないよ。なんであのクズ共の思い通りになってるの⁉ あのビッチ、姉さんに魅力がないから自分が選ばれたなんて自慢気に言ってきたんだよ⁉ 姉さんに危害を加えるなって言われてなければやってたよ⁉」
「ビッチって何⁉」
「姉さんは知らなくて良いよ‼ 本当に、あのクズとビッチが結婚して良いんだね⁉」
「クズはケネス様、ビッチはドロシーの事よね……?」
「そんな丁寧にならなくて良いから!」

 そんなことを言われても、俗語や隠語にうとすぎる商売人は支障が出るのですもの。今まではいずれ子爵夫人になるわけですし、知らない言葉は絶対に使わないから、と、その手の言葉は覚えないよう気を付けてきましたが、貴族でいられないならそういうわけにもいかないでしょう。でも、何度聞いてもポールは言葉の意味を教えてくれません。
 怒っているポールを、セバスチャンがなだめてくれます。

「坊っちゃん、落ち着いて下さい。お言葉が乱れておられます。当事者のエリザベスお嬢様はショックだったにも関わらず、落ち着いていたそうですぞ」
「ひとりになって泣いたけどね。外に聞こえるかもしれないから声はおさえた方が良いわ」
「姉さん……」
「わたくしの為に怒ってくれてありがとう。ポール、大好きよ」
「……分かった。僕もっと大人になるよ。姉さん、僕はドロシーとケネス様の結婚を祝福すれば良いんだね?」
「ええそうよ。わたくしは二度と顔を見たくないと言ったから、家を出て……」
「駄目。それは駄目。アレは僕がなんとかするから姉さんは幸せになるまで家にいて」

 大人びた顔をした弟は、これだけは譲らないと言い続けました。
 リアもセバスチャンも大きく頷いていて、自分がどれだけ恵まれているのか実感します。
 結婚は駄目になったけど、あんな人と結婚しなくて良かったです。弟や使用人達に愛されていると分かると、とても幸せな気持ちになりました。
 この日ようやく、心から笑えましたわ。


 次の日、すぐに先触れが来てリンゼイ家の御当主であるお義母かあ様と、ケネス様が訪問なさいました。
 父は必死でドロシーを売り込んでいます。

「うちはエリザベスよりドロシーの方が優秀なのですよ! ドロシーは必ずリンゼイ家のお役に立つと思います!」

 父と母は、先程からひたすらにドロシーを褒め称えています。
 ケネス様の頬は真っ赤に腫れています。化粧で誤魔化しておりますが、涙の跡が隠し切れていません。きっと、お義母かあ様に叱られたのでしょう。
 あんなに赤くなっていて、大丈夫なのでしょうか? 以前のわたくしなら、真っ先にケネス様に寄り添って頬を冷やしていたと思います。もちろん、今はそんな気になれません。
 それに、ケネス様を心配するのはわたくしの役目ではありません。ドロシーの役目ですわ。それなのに、ドロシーは愛するケネス様の心配をする素振りがありません。嬉しそうに子爵夫人になるのだと笑っています。
 話し合いの結果、婚約解消はあっさり成立しました。お義母かあ様が取りはからって下さり、明日以降、ドロシーとケネス様はわたくしと接触する事は出来ません。
 相変わらずお義母かあ様はお上手です。ドロシーを責めても父が頷かないと分かっておられるのでしょう。わたくしの為ではなく、ドロシーの為に会わないようにしましょうと、上手く契約を結んで下さいました。
 父はあまり条文を読まなかったのですが、わたくしからドロシーやケネス様に会う事は出来ると記載されておりますので、どちらに非があったのかは契約書を読めば明らかです。
 きちんと国に届け出る契約書ですし、今後はドロシーとケネス様に会わずに済みます。それだけで、心が軽くなった気が致しますわ。
 お父様と、お母様、ドロシーは終始ニコニコしておりました。そして、婚約解消が成立した瞬間にわたくしをさげすみました。

「エリザベスは融通がきかないし、可愛げがありませんからな。ドロシーを選んだケネス様の目は正しいですぞ。そうそう、こちらは次期当主のポールです。この子も優秀でしてね。まだ成人しておりませんが今すぐ当主を譲っても良いくらいで! エリザベスは凡庸でドロシーのような可愛さもなく、うちの落ちこぼれでして! やはりリンゼイ家にはドロシーのように美しく賢い娘が宜しいかと! エリザベスの時よりも支度金を上げて頂けるとありがたいですな。ドロシーは、うちの大切な娘ですので。エリザベスであれば、引き取って頂けるだけありがたいのですが、ドロシーは大切な娘ですので。いやぁ、こうなって良かったです。もっと早く言えば良かったですな」
「そうね。ドロシーはずっと悩んでおりましたもの。あの子は優しい子ですから、エリザベスに悪いとずっと泣いておりましたの」
「まぁ、そうでしたの。いつからドロシー様とケネスは親しかったのですか?」

 お義母かあ様の声音が少しだけ変わったことに、ゾクっとしました。探っておられますね。

「僕も知りたいな。ドロシー姉さんが悩んでいたなんて知らなかったよ。相談してくれたら、何かできたかもしれないのに」

 ポールが、無邪気にドロシーに話しかけます。母がポールを抱きしめました。

「ポールは優しい良い子ね。ドロシーは、一年くらい前から悩んでいたわ」

 ポールは母にお礼を言うと、そっと距離を取りました。悲しそうに、ドロシーに近寄ります。

「そんなに前から? どうして相談してくれなかったの?」

 ポールはお父様を説得して、まだ未成年にもかかわらずこの場に同席しておりますが、先程から強く手を握りしめています。
 握った手から、血がにじんでいるのが見えますわ。相当、怒っていると思います。それなのに、にこやかに笑ってドロシーを祝福しています。ポール……成長しましたね。

「だって……。ケネス様はお姉様の婚約者だもの」
「そうか、辛かったね。一年前から、ドロシー姉さんとケネス様は恋人だったの?」

 お義母かあ様が、なにかを見定めるようにポールを見つめています。ポールが次期当主にふさわしいのか、判断しようとしておられるようです。

「ええ、そうよ」
「父上も、母上もご存知だったのですね。僕だけ……知らなかったのですね」
「ポールは子どもだ。知らなくて良い」
「けど! 僕は跡取りですよ!」
「確かに、ポールは優秀だ。今すぐ跡を継がせても良い。だが、ドロシーもずっと悩んでおったのだ。身を引くと泣いておった」
「父上はずっと前から知っていたのでしょう‼ どうしてもっと早く、リンゼイ子爵に連絡しなかったのですか!」
「エリザベスは、リンゼイ子爵に気に入られておった。一緒に商会をして稼いでいただろう。だから……」

 父が、急に黙りました。リンゼイ子爵が目の前にいる事に気が付いたのでしょう。

「とにかく、子どもは黙っていろ」

 父がポールを黙らせると、リンゼイ子爵が微笑みました。

「そちらもドロシー様とケネスの婚姻に賛成なのですね」

 お義母かあ様は、普段より低い声で淡々と話を進めておられます。
 ケネス様の顔色は真っ青です。お義母かあ様は、怒っておられます。

「はい! エリザベスよりドロシーの方が優秀です!」

 それに比べてうちの両親は呑気のんきです。お義母かあ様は、今後どうするおつもりなのでしょうか。ケネス様が当主になる可能性は限りなく低いと思いますけど、何もおっしゃいません。
 さて、お義母かあ様はどのような判断をなさるでしょうか。ドロシーとケネス様が結婚しないなら、わたくしはすぐにでも売られるように別の貴族に嫁がされてしまうでしょう。もしくは、邪魔だからと修道院に入れられてしまうかもしれません。リアが準備をしてくれておりますので、状況を判断して、場合によってはすぐ家を出ましょう。
 お義母かあ様、いえ、もうお義母かあ様ではありませんね。リンゼイ子爵は、商談を進める時と同じ目をしておられます。どうするのが一番リンゼイ子爵家の得になるか、冷静に判断しようとなさっているのでしょう。

「それは素晴らしいわね。では、エリザベス様にお願いしようとしていた事は全てドロシー様にお願いしましょう。だけど、これまで尽くしてくれたエリザベス様に申し訳ないわ」
「いや! もうこんなの、修道院にでも入れてしまおうかと!」

 あ、リンゼイ子爵の扇子せんすが折れましたわ。
 ポールに至っては、お父様を殺しそうな目で見ています。一瞬でしたが、ポールの視線にリンゼイ子爵も気付かれたようです。ポールは明るい声で言いました。

「父上、それは駄目ですよ」
「ポール?」
「どれだけケネス様とドロシー姉さんが愛し合っていても、客観的に見れば姉の婚約者を横取りしたふしだらな女と、浮気男です」
「なっ……ポール! 失礼だぞ‼ 申し訳ありません! まだ子どもですので! ポール! お前がどうしてもドロシーを祝福したいと言うから連れて来たんだぞ! ドロシーを馬鹿にするなら出て行きなさい!」
「いえ、ポール様が出て行く必要はありません」
「リンゼイ子爵?」

 あ、ああ! 
 扇子せんすが……完璧に折れました! いつの間にか新しい扇子せんすに変わっております! 
 これ、最上級に怒っておられますよね⁉ 

「言いにくい事をきちんと言う。素晴らしいお方です。ケネスと話し合いました。ケネスは何か勘違いをしているようですが、ドロシー様を愛している事は間違いないようです。目撃者も多いですから、エリザベス様が反対しなければケネスとドロシー様の結婚を認めるつもりでした。しかし、客観的に見るとポール様の言う通りなのです。バルタチャ男爵は、一言もドロシー様が悪いとおっしゃいません。もしかしたら、うちのケネスがドロシー様をたぶらかしたのかもしれません。でも、どう考えても悪いのはケネスとドロシー様でしょう? エリザベス様とケネスの婚約は解消されました。ですが……今のままではドロシー様とケネスの婚約を認める事は出来ません」
「何故ですか⁉ ドロシーとケネス様は愛し合っております。それに、ドロシーはエリザベスと違い可愛げもあり、人気者です! ああ、支度金を増やせと言ったせいですか? あれは無し! 無しです! エリザベスの時に頂いた支度金で充分です! どうか、ドロシーとケネス様の結婚をお認め下さい‼」
「お金の問題ではありません。御当主である貴方様が信用出来ませんわ。だって、バルタチャ男爵はドロシー様とケネスが愛し合っている事をご存知だったのでしょう? 姉の婚約者と逢瀬を重ねる、倫理観のない娘を応援していたのでしょう?」
「そ、それは……」
「誤魔化しても無駄ですよ。先程のお話は、しっかり聞こえておりましたので。エリザベス様との婚約を交わした時に、婚約を継続しにくい事態が起こった時はすぐに話し合いの場をもうけると書かれていた筈です。一年も前から、姉の婚約者を横取りする妹の事をご存知だったのでしょう? わたくしは、昨日まで知りませんでした。エリザベス様も同じです。でも、貴方は知っていた。契約は守られませんでしたわ。応援までしていたのですってね。いくらドロシー様が優秀でも、ケネスと愛し合っていても、そんなお家と縁を結んでもねぇ……。ポール様が御当主なら、喜んで婚約するのですけどね。では、後日慰謝料の請求にうかがいます。それでは失礼致します」
「ま、待って下さい! 慰謝料なんて困る! ドロシーはどうしたら良いのだ‼ そちらだって、ケネス様の婚約相手を探すのは大変だろう‼」
「ケネスはドロシー様と結婚しなければ、生涯結婚は許しませんので」
「うちは違う! ドロシーには、エリザベスより良い婚約相手を見つけないと!」
「貴方のように信用出来ない方が当主をしている家と縁を結ぶつもりはありませんわ。ドロシー様とケネスの婚約は認めません。ポール様が当主なら大歓迎でしたけどね」

 ポールは、正式な礼をしながらにこやかに話し始めました。

「申し訳ありません。私は未成年です。後見人がいないと爵位は継げません。それから、父上は誤解しているようですけど、ドロシー姉さんがケネス様と結婚するのは僕も大賛成です。だけど、エリザベス姉さんを修道院に入れたりしたら、批判されるのは父上とドロシー姉さんです。誰がどう見ても姉さんが邪魔だから修道院に入れたように見えますからね。姉さんは評判が良いし、領民にも慕われていますから、反発されて税収が落ちます。姉さんを追い出せば、我が家は困窮する可能性が高いでしょう。だから、僕は父上や母上、ドロシー姉さんの為にエリザベス姉さんを修道院に入れる事に反対します」

 ポールは両親やドロシーに可愛がられるようにと教えていました。わたくしのようにしいたげられるのは可哀想ですもの。ポールは、優しく冷静にドロシーをいつくしむように話しています。だけど、先程からずっと手を握りしめていて、血がにじんでいます。気が付いているのは、わたくしとリンゼイ子爵だけでしょう。リンゼイ子爵の視線は、ポールが隠したてのひらに向けられておりました。

「素晴らしい方ね。ポール様が当主なら、今すぐドロシー様とケネスの婚約を進めたい位なのだけど。本当に残念だわ」
「それなら今すぐポールに爵位を譲りましょう! 私が後見人になれば良い‼」
「貴方や男爵夫人が後見人なら、婚約は認めません。ドロシー様から両親は応援してくれていると聞いたもの。姉の婚約者と口付けをする妹を応援するような方が後見人になるのなら、いくらポール様がしっかりなさっていても信用出来ないわ。ケネスと結婚するなら、ドロシー様もポール様の後見人にはなれない。だから……やはり今回の話はなかった事にして下さい。慰謝料は請求致しません。それならよろしいでしょう。それでは、失礼しますわ。それから、取引は全て停止します。ポール様が当主になられてから、再びお付き合い出来れば嬉しいですわ」
「なっ……‼ 今提携している事業はどうなる‼」
「契約の条件に、お互い信頼出来る事と記載されておりますよね。バルタチャ家で信用出来るのは、ポール様とエリザベス様だけですから、契約は無効です。ポール様がこちらの当主となるまでは、一切取引を行いません。本当に残念ですわ。それでは、さようなら」

 父は、悔しそうにわたくしをにらみつけて叫びました。

「ポールに爵位を譲ってエリザベスを後見人にします! それならドロシーの婚約も、事業もそのままですよね⁉」

 リンゼイ子爵が、扇子せんすで口元を隠してわたくしをチラリと見ました。あの目は悪戯いたずらが成功した時の目です。

「ええ、それなら大歓迎よ。お二人は愛し合っておられるのよね? 姉を裏切る位に」

 わたくしには嬉しい提案でしたが、ドロシーは気に入らなかったようです。
 ずっと無言だったドロシーが、目にハンカチを押さえながら涙声で訴えました。

「お姉様には申し訳ない事をしました。でも、わたくしはずっと姉にいじめられていたのです。それをなぐさめてくれたのがケネス様なのですわ。だから、姉が後見人だなんて……」

 そう言って、ドロシーはハンカチで顔を隠しました。
 父と母、ケネス様がわたくしを責め立てます。

「母上! エリザベスは悪女なのです!」
「そうです! ケネス様の言う通りです! エリザベスは修道院に閉じ込めましょう! ポールにすぐ爵位を譲るのは構いませんが、エリザベスを後見人にするのは駄目です!」
「そうですわ! こんな悪女、リンゼイ子爵家に相応ふさわしくありません。優しいドロシーの方が、何万倍も良いですわ!」

 どうして、みんな簡単にドロシーにだまされるのでしょうか?
 悪女って……どちらかと言うと、母やドロシーの方が悪女ではありませんか? わたくしだってそんなに優しい良い子ではありません。ですが、母やドロシーよりも真面目に生きてきましたわ! 領民の為のお金に手を付けたりしませんし、家族のアクセサリーをったりしません!
 ケネス様は、わたくしを罵倒しておられます。ドロシーが可哀想だ。お前は悪女だと叫んでいます。はぁ……わたくしの三年間は何だったのでしょうか。婚約解消して大正解ですわ。
 全員、ドロシーの顔をきちんと見て下さいまし。涙なんて一滴も流れていませんよ! 
 ポールとリンゼイ子爵だけが、冷たい目をしております。リンゼイ子爵は席を立ち、クルリと背を向けました。

「では、この話は無かったことに。ドロシー様の良縁をお祈りしておりますわ。さようなら」

 リンゼイ子爵はチラリとわたくしとポールを見てから、ケネス様を連れて出て行こうとなさいました。ポールが静かにリンゼイ子爵を呼び止めます。

「お待ち下さい。リンゼイ子爵。父上、僕が今すぐ爵位を継ぐのは構わないのですね?」
「う、うむ。ポールは跡取りだからな」

 ポールの一言で、わたくしを罵倒していた父が黙りました。

「リンゼイ子爵は、世間体を気になさっているのです。ドロシー姉さん、いくらエリザベス姉さんがドロシー姉さんを虐めていたとしても、世間が見るのは結果だけなんだよ」
「どういう事よ。ポールはわたくしが可哀想だと思わないの?」
「今はそこが問題じゃないんだよ。ドロシー姉さんに楽しんで貰いたくて観劇のチケットを渡したけどさ、ケネス様と行くなんてまずいと思わなかった? ずいぶんいちゃついてたそうじゃない。さっき家庭教師の先生が来て心配されたよ。もう噂になっているんだって。キスまでしたんだって? 観客の中に来週の式に参列する人や、姉さんの友達がいるかもしれないとは考えなかったの?」
「そ、それは……」

 ドロシーの顔色が青くなりました。自分が悪い事をしたという自覚はあるようで何よりです。ポールは優しくドロシーに声をかけました。

「僕は姉さんに幸せになって欲しいんだ。今のままじゃ、ドロシー姉さんとケネス様は婚約者の妹に手を出したとんでもない浮気男と、姉の婚約者に色目を使う泥棒猫だよ」
「そ、そんな……」
「エリザベス姉さんと、ケネス様は婚約者として何度も夜会に出てる。婚約者を変えた理由がるんだよ」
「そんなの! 姉さんがわたくしをいじめた事にすれば……」

 言いかけて、ドロシーは慌てて口をふさぎました。あらあら、本音が漏れていますよ。
 お義母かあ様は扇子せんすで口を隠し、ポールは手から更に血が出ております。
 ケネス様は、呆然と立ち尽くしておられます。もしかして、ようやくドロシーの本性に気が付いたのでしょうか? 今更ですね。婚約者のわたくしではなくて、ドロシーの言葉を信じたのはケネス様です。彼の悲しそうな顔を見ても、もうなんの感情も湧きません。

「ドロシー姉さん、なんて言った?」

 ポールは、優しい声でドロシーに笑いかけています。

「わたくしも聞こえなかったわ。ドロシー様、もう一度教えて下さいな」

 ああ、お義母かあ様の扇子せんすがまた曲がっています。やっぱり、怒っておられますよね。

「し、失礼致しました。エリザベス姉さんがわたくしをいじめなければケネス様がエリザベス姉さんに愛想を尽かすこともなかったのです。ですから、エリザベス姉さんが悪いんです‼」

 無茶苦茶な言い訳です。
 ポールはため息を吐いて、ドロシーに優しく微笑みました。

「はぁ……ドロシー姉さん、それを証明出来る?」
「え? 証明?」
「そう。姉の婚約者を横取りしたから、姉を悪人にしようとしている腹黒い妹。ドロシー姉さんは世間ではそう評価されるよ? だって劇場で堂々と浮気してるんだもん。二人で観劇しただけなら言い訳出来たかもしれない。けどさ、口付けを目撃されてるのは、言い訳できないよ。ケネス様が、ドロシー姉さんとそういう関係なんだってバレバレだよ」
「そっか……。どうしよう。どうしたら良いの。教えて」

 わたくしを見ても駄目よ。
 答えてあげる事は出来ないわ。

「姉さんに聞いても駄目だよ。ドロシー姉さん、知ってる? エリザベス姉さんの評判はすごく良いんだよ。僕、家庭教師の先生からいつもエリザベス姉さんみたいになれって言われるもん。……ああでも、やっぱりドロシー姉さんの方が可愛いね。ケネス様がドロシー姉さんを選ぶのも分かるよ」

 流石ポール。わたくしを褒めた後、息をするようにドロシーも褒めて、ドロシーが癇癪かんしゃくを起すのを防ぎましたね。

「そうでしょ! わたくしは、お姉様より可愛いの!」
「そうだね。ドロシー姉さんは可愛いよ。けどさ、ドロシー姉さんは成人したばかりでまだ社交をしてないでしょう? エリザベス姉さんのお友達に、ちゃんと今回の事を説明出来る? 婚約者が変わる前に劇場でキスなんて、きっとすごく怒るよ。姉さんのお友達には侯爵令嬢もいるんだよ?」
「侯爵家……嘘でしょ……」
「本当だよ。エリザベス姉さんを凄く慕っているらしいよ。彼女にどうやって説明する? 僕も会った事はないけど、先生から聞いてる。とっても仲が良いんだって。エリザベス姉さんを修道院になんて入れたら、きっとすっごく怒るだろうなぁ。姉さんを連れ戻して、養女とかにしちゃうかも。そしたら、エリザベス姉さんは侯爵令嬢だね」


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