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辺境伯夫人は頑張ります

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「来たか。話がある」

部屋に入った途端、挨拶もせず話をしようとする王太子殿下。

やっぱり、おかしい。

こんな方ではなかった。わたくしにもきちんと礼儀正しく話して下さる方だった。

「ふん、いつまで経っても返事がないからわざわざ僕がこんな辺境まで来てやったんだ。ありがたく思え」

……やはり、いまの王太子殿下はおかしい。

「おい! 返事をしろ!」

「失礼致しました。王太子殿下が供も連れず、先触れもなく訪れるとは思わなかったもので……」

「僕は王太子なんだから、好きなように出来る。なのに何故、僕の命令を聞かない?」

「わたくしは王太子殿下からご命令など受けておりませんわ」

「エリザベスの相談役になれと言っただろう!」

「……あくまでも、わたくしが望めばと仰ったではありませんか。エリザベス様は優秀なお方です。わたくしの知識では、エリザベス様をお支えするには不足致します。エリザベス様も、わたくしのような未熟者を相談役に望んでおられませんわ」

「あの子は、強がっているけど本当は弱いんだ。だから、もっと支えてやらないと……」

王太子殿下の身体の周りに、黒い靄がかかる。これは……!

「王太子殿下!」

わたくしは証拠を掴もうと、その靄に触れた。すると……。

「あ……あああっ……!」

幼い頃からの、嫌な記憶が甦る。何度も、何度も……。辛かった、苦しかった、なんとか上手く誤魔化して生きてきたけど……、あんな家なくなってしまえば良いと思ってた。

自分の心が、憎しみと不安に押し潰されそうになる。

「奥様! 奥様!」

わたくしの叫び声に、部屋の外で待機していた使用人達が駆けつけてくれた。

「なっ……! 2人で話すと言っただろ! 僕の命令を無視するのか!」

「恐れながら申し上げます。我々が最優先するのは、奥様です。一体、奥様に何をなさったのですか!」

侍女達が、必死でわたくしを守ろうとしてくれる。

護衛の騎士達が、王太子殿下に武器を向けようとしている。

駄目……! そんな事したら……!

わたくしは……みんなを失いたくない……!

「奥様! 旦那様に連絡を取りに行きました! ご安心下さい! フレッド坊ちゃんが、すぐに来ますからね!」

古参の侍女であるメアリーの声がする。
彼女は、わたくしがフレッドと結婚した時に泣きながら喜んでくれた。フレッドの乳母をしていたらしく、フレッドも照れ臭そうに笑っていた。

……フレッド?

そうよ、わたくしはフレッドの妻。

腕に付けられたブレスレットが淡く輝く。

わたくしにはフレッドが居る。
怖がる事なんて、何もない。

「……なっ……何だこの光は……!」

「みんな、わたくしは大丈夫。フレッドに連絡しなくて良いわ。武器も、下ろしなさい」

わたくしが命じれば、全員心得たと礼をして部屋を出て行った。

「王太子殿下、部下が失礼致しました。寛大な王太子殿下は、この程度の無礼はお許し下さいますよね? わたくしとのお話も、終わっていないのですから。それとも、部下を罰しますか? でしたら、主人であるフレッドを今すぐ呼び戻しますので、処罰を」

王太子殿下は、おそらくフレッドの不在を知っている。ゲートは便利だが、使用すれば王城に伝わる。フレッドが外出してすぐ来たのなら、きっとわざと不在の時を狙ったんだわ。

お父様もお母様も、現在は王城に滞在している。わたくしを狙って来られたのだと思う。

どうします? 部下を罰するなら今すぐ夫を呼びますわよ?

わたくしの遠回しの脅しは、王太子殿下に通じたようだ。

「……いや、良い。僕は寛大だからな、許してやる。武器も抜いていなかったしな。武器を抜いていたら、僕を傷つけていなくても許さないところだったが」

精一杯の譲歩をした。そんな態度である王太子殿下。

ですけど、おかしいですわよね?

うちの騎士達は、その気になれば一瞬で武器を抜いて攻撃し、何事もなかったかのように武器を仕舞う事も可能ですよ。彼らが武器を抜いて、貴方が無傷などあり得ない。王太子殿下もご存知でしょう?

先程わたくしが浴びた黒い靄、あれが何か悪さをしている事は間違いない。

もういい、遠回しではなく直接聞いてみよう。

「殿下、先程の黒い靄は何ですか?」

「……なんの話だ?」

殿下は、おかしな靄に気が付いておられない。

「殿下の周りに、黒い靄が出てきました。エリザベス様の話をした時です」

「……なんの話だ? それより、エリザベスの相談役になれ」

話が通じないとは、この事ね。

「お断りします」

「なっ……! 親友を裏切るのか?!」

「どうしてわたくしが相談役にならないとエリザベス様を裏切る事になるのですか?」

「エリザベスを支える人が必要なんだ!」

「エリザベス様には、王太子殿下がいらっしゃるでしょう?」

「……僕じゃ駄目なんだ。だから……!」

王太子殿下の周りに、再び黒い靄が浮かぶ。靄はどんどん大きくなり、王太子殿下の身体を包み込んだ。

「……今すぐ来い。命令だ。良いな?」

完全に意志を失った王太子殿下が、冷たく命令を下す。

「かしこまりました」

あの靄に触れる訳にいかない。このブレスレットをお渡しすれば、もしかしたら正気に戻られるかもしれない。だけど、このブレスレットは、フレッドが渡してくれた辺境伯に代々伝わる宝物。本来ならば、緊急時にしか使わないし、辺境伯であるフレッドしか使う事を許されていない。

それなのにフレッドは、わたくしが使用する許可を取った。普通は家族が反対すると思うのだけど、お父様もお母様も、カールもミリィも……他の身内の方々も誰一人反対しなかった。

満場一致で許可が下りて、四六時中わたくしの腕に装着されている。フレッドが許可を取り消さない限り外れないらしい。

意志の強ささえあれば、あらゆる厄災から身を守ると伝えられている宝物。これを手放す訳にはいかない。特に、今の王太子殿下には渡せない。

今ここで抵抗すれば、みんなは間違いなくわたくしを助けようと王太子殿下に手を出す。

そうなれば、大事な部下や使用人だけでなく、フレッドも危険だ。

フレッドが必死で守っている辺境を、失ってたまるか!

エリザベス、待ってて! 貴女の大切な方は、必ず元に戻してみせる!

わたくしにはどうしたらいいか分からない。けど、フレッド達が必死で調べている。カールも付いてる、きっと何かを掴んで来る。

わたくしが何処に行こうと、必ずフレッドは迎えに来てくれる。わたくしが連れ出されれば、連絡するなとわたくしが命じても使用人達は絶対すぐにフレッドに連絡する。

うまくいけば王太子殿下の異常の原因を探れるかもしれない。

わたくしは、自分の出来る事を成すだけ。必要な準備はフレッドとしてある。辺境伯夫人を無断で連れ出せば、王太子殿下の地位も危ぶまれるけれど、あの黒い靄から察するに、殿下のご意志ではない。

エリザベスが、こんな考えなしの人を心から愛する訳ない。

わたくしは大人しく、王太子殿下に連れられてゲートをくぐった。
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