上 下
63 / 66

63.王子は、落とす

しおりを挟む
「ああ……なんだか眠いわ……」

湯浴みを終え、寝る支度を整えたクリステルに侍女が声を掛けてきた。

「クリステル様、ヒュー様がクリステル様にお会いしたいと仰っておられます」

「明日にしてと伝えてちょうだい。ジルも居ないし、服装はこんなだし、なんだかとっても疲れたの」

「ご兄妹でしょう? 上着を着れば問題ありませんよ。それに、ヒュー様の訪問を断ればおふたりが不仲なのではないかとあらぬ噂が立ちます」

「……分かったわ。上着を用意して。みっともない姿ではお会い出来ないわ」

「さすがクリステル様です」

満足そうに笑う侍女が、クリステルに上着を渡す。クリステルの顔色は悪く、足元は覚束ない。

「ねぇ……なんだか本当に体調が悪いの。お兄様に明日に出来ないか聞いて下さらない?」

「なりません」

「そう……なら、覚悟するしかないわね」

クリステルの最後の呟きは、誰の耳にも届かなかった。

「クリステル、疲れているところすまないね。これからの事を話そうと思って」

「お兄様、嬉しいですわ。でも、なんだか今日は疲れて体調が良くなくて……」

「そうか。少し風に当たると良い。一緒にベランダに行こう」

「ええ……」

フラフラとしているクリステルをヒューが支え、ベランダに出た。クリステルは、何かを決意して懐を確かめる。

「クリステル、大丈夫かい?」

「……はい、大丈夫ですわ」

「そう。だけどフラフラしているよ?」

「疲れたのかもしれません。お兄様、お話はまた明日でよろしいですか?」

「ひとつだけ、聞いて良いかい? クリステルは、王になるのかい?」

「それは、お父様が決める事ですわ」

「……そう、やっぱりクリステルはそうなんだね」

「お兄様?」

「身体、動かないでしょ? さよなら、クリステル」

ヒューは、クリステルにナイフを向ける。クリステルは、咄嗟に避けた。

「あれ? まだ薬が効いてない? でも、激しく動けば毒は回るよね。ふふっ、倒れてくれたね。もう動けないでしょ? クリステル、君は王女に戻った心労でここから飛び降りるんだ。遺書でも書いて欲しい所だけど、さすがにそれはしてくれないよね。だから、ここに用意してある。お優しいクリステルにぴったりの内容だよ」

「遺書……ですか……」

「頼みの綱のジルは来ないよ。今晩一晩は執務室だ。あいつさえ居なければ、お前を殺すのは簡単だ」

「お兄様……どうしてわたくしを殺したいの? ずっと、聞きたかったの。わたくし、どうしてお兄様に嫌われてしまったの?」

「クリステルが嫌いな訳ではないよ。ただ、クリステルは邪魔なんだ。邪魔者は殺すのがいちばんだろう?」

母の行いは、確実に息子に引き継がれていた。ヒューにとって、邪魔者を消すのは日常茶飯事だ。

「邪魔というだけで殺すの?」

「僕は今までずっとそうしてきたよ。クリステルを褒めた家庭教師、粗相をしたメイド、気に入らない花を植えた庭師、僕ではなくクリステルを王にすれば良いと言った貴族……母上が捕まってからは我慢していたけど、王になれば我慢しなくて良いよね。どこかでジルとひっそり暮らしていれば良かったのに、どうして戻って来たの?」

「お兄様が、マークさんを差し向けたからでしょう?!」

「……ああ、あの役立たずか。死んだんだって? ジルより強いと豪語していた癖に、使えない」

「使えないって……」

「だってそうだろ? ジルより強いならせめてクリステルは殺せると思ったのに。あっさりジルに負けるなんて」

「マークさんは……死の間際までお兄様の事を……」

クリステルは、涙を流し呆然としている。マークの死に際をクリステルは今でも鮮明に思い出せる。マークは、純粋にヒューの為に自分を殺そうとしたのだとクリステルは分かっていた。

マークの事は一生自分が背負う罪だと思っていたクリステルは、ヒューの言葉を理解したくなかった。

「可哀想に、自分の命を狙った男の為に泣くの? クリステルは立派だね。だから、生きていては困るんだ。さよなら、クリステル。このまま飛び降りるのと、僕に刺されて死体を捨てられるの、どっちが良い?」

「……どちらも、お断りです」

クリステルは懐から笛を取り出し、吹いた。城中に響く程大きな音に、すぐに護衛が現れる。クリステルに紅茶を出したメイドは、失敗を悟り部屋から逃げようとしたが、現れた騎士が捕まえて事情を聞こうとする。

「そのメイドを捕らえなさい! 罪状は王女に毒物を盛った容疑です! 決して逃してはなりません!! わたくしの部屋付きとなった使用人は今すぐ全員調査しなさい!」

「クリス! 無事か?!」

笛の音を聞きつけて、ジルが部屋の前に現れた。急いでクリステルに駆け寄ろうとすると、先程捕らえられたメイドとは別のメイドや侍女が、ジルの行く手を遮った。

「ジル、わたくしは大丈夫だから!」

「どけっ! クリスに何してんだ!!」

「……お前が! お前さえ居なければもっと早くクリステルを殺せたのに! そもそもあの時何故死ななかった! クリステルに人の死に際を見せてショックを受けさせるつもりだったのに!」

「ふざけんな。クリスは怪我したオレを放っておくような弱いお姫様じゃねぇんだよ! あんなにちっさかったのに、必死でオレを助けてくれたんだ!!!」

「お兄様のおかげでジルに出会えた事は感謝しています。ですが、命をゲームの駒のように扱うお兄様の考えは理解出来ませんし、しようとも思いません。人は皆、精一杯生きているんです。お兄様にとって邪魔な方でも、誰かのかけがえのない唯一の人なんです。わたくしは、お兄様にとっては邪魔者でしかないのでしょう。それは悲しいですが、わたくしを大事に思って下さる方は他にいらっしゃいます。わたくしは、お兄様に嫌われても、死を望まれても死にません。精一杯生きますわ。お兄様、騎士も集まってきましたし、ジルも来ました。もう、終わりに致しましょう……」

「どうして……どうしてうまくいかないんだ……。クリステル……ねぇ、助けてよ……」

「お兄様……?」

哀れに泣き崩れたヒューは、クリステル縋り付く。優しいクリステルはそれを拒絶出来ない。すると、ヒューはクリステルをベランダから力一杯突き落とした。

「クリスっ!!」

ジルの叫びと、ヒューの笑い声、慌ててベランダを覗き込む騎士が、驚愕の表情をしてジルを見た。

「ははっ……ははっ……もう僕は終わりだ。だけどクリステル、君も終わりだよ。あははっ……ははっ……」

「どう見ても現行犯ですよね。ヒュー王子を捕えて下さい。騎士なら、法律はご存知ですよね?」

呆然としていた騎士達が、慌ててヒューを捕らえる。屈強な騎士の力に、ヒューはなす術もなく拘束される。だが、やはり王族だからだろう。その拘束は、ジルであればすぐに逃げ出せる程度の緩いものだった。

しかし、ヒューは逃げようとはしない。

「ジルぅ……どう? 君の大事なクリステルは落ちちゃったよ……ははっ……あははっ……。あっれぇ? なんでそんなに落ち着いてるのさ。ああ、ジルも実はクリステルを愛してなんかいなかった? そうだろ! あんな子、大事にする奴なんて居ないよねぇ……」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私の頑張りは、とんだ無駄骨だったようです

風見ゆうみ
恋愛
私、リディア・トゥーラル男爵令嬢にはジッシー・アンダーソンという婚約者がいた。ある日、学園の中庭で彼が女子生徒に告白され、その生徒と抱き合っているシーンを大勢の生徒と一緒に見てしまった上に、その場で婚約破棄を要求されてしまう。 婚約破棄を要求されてすぐに、ミラン・ミーグス公爵令息から求婚され、ひそかに彼に思いを寄せていた私は、彼の申し出を受けるか迷ったけれど、彼の両親から身を引く様にお願いされ、ミランを諦める事に決める。 そんな私は、学園を辞めて遠くの街に引っ越し、平民として新しい生活を始めてみたんだけど、ん? 誰かからストーカーされてる? それだけじゃなく、ミランが私を見つけ出してしまい…!? え、これじゃあ、私、何のために引っ越したの!? ※恋愛メインで書くつもりですが、ざまぁ必要のご意見があれば、微々たるものになりますが、ざまぁを入れるつもりです。 ※ざまぁ希望をいただきましたので、タグを「ざまぁ」に変更いたしました。 ※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定も緩くご都合主義です。魔法も存在します。作者の都合の良い世界観や設定であるとご了承いただいた上でお読み下さいませ。

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

婚約破棄され家を出た傷心令嬢は辺境伯に拾われ溺愛されるそうです 〜今更謝っても、もう遅いですよ?〜

八代奏多
恋愛
「フィーナ、すまないが貴女との婚約を破棄させてもらう」  侯爵令嬢のフィーナ・アストリアがパーティー中に婚約者のクラウス王太子から告げられたのはそんな言葉だった。  その王太子は隣に寄り添う公爵令嬢に愛おしげな視線を向けていて、フィーナが捨てられたのは明らかだった。  フィーナは失意してパーティー会場から逃げるように抜け出す。  そして、婚約破棄されてしまった自分のせいで家族に迷惑がかからないように侯爵家当主の父に勘当するようにお願いした。  そうして身分を捨てたフィーナは生活費を稼ぐために魔法技術が発達していない隣国に渡ろうとするも、道中で魔物に襲われて意識を失ってしまう。  死にたくないと思いながら目を開けると、若い男に助け出されていて…… ※小説家になろう様・カクヨム様でも公開しております。

【完結】許婚の子爵令息から婚約破棄を宣言されましたが、それを知った公爵家の幼馴染から溺愛されるようになりました

八重
恋愛
「ソフィ・ルヴェリエ! 貴様とは婚約破棄する!」 子爵令息エミール・エストレが言うには、侯爵令嬢から好意を抱かれており、男としてそれに応えねばならないというのだ。 失意のどん底に突き落とされたソフィ。 しかし、婚約破棄をきっかけに幼馴染の公爵令息ジル・ルノアールから溺愛されることに! 一方、エミールの両親はソフィとの婚約破棄を知って大激怒。 エミールの両親の命令で『好意の証拠』を探すが、侯爵令嬢からの好意は彼の勘違いだった。 なんとかして侯爵令嬢を口説くが、婚約者のいる彼女がなびくはずもなく……。 焦ったエミールはソフィに復縁を求めるが、時すでに遅し──

辺境の獣医令嬢〜婚約者を妹に奪われた伯爵令嬢ですが、辺境で獣医になって可愛い神獣たちと楽しくやってます〜

津ヶ谷
恋愛
 ラース・ナイゲールはローラン王国の伯爵令嬢である。 次期公爵との婚約も決まっていた。  しかし、突然に婚約破棄を言い渡される。 次期公爵の新たな婚約者は妹のミーシャだった。  そう、妹に婚約者を奪われたのである。  そんなラースだったが、気持ちを新たに次期辺境伯様との婚約が決まった。 そして、王国の辺境の地でラースは持ち前の医学知識と治癒魔法を活かし、獣医となるのだった。  次々と魔獣や神獣を治していくラースは、魔物たちに気に入られて楽しく過ごすこととなる。  これは、辺境の獣医令嬢と呼ばれるラースが新たな幸せを掴む物語。

絶望?いえいえ、余裕です! 10年にも及ぶ婚約を解消されても化物令嬢はモフモフに夢中ですので

ハートリオ
恋愛
伯爵令嬢ステラは6才の時に隣国の公爵令息ディングに見初められて婚約し、10才から婚約者ディングの公爵邸の別邸で暮らしていた。 しかし、ステラを呼び寄せてすぐにディングは婚約を後悔し、ステラを放置する事となる。 異様な姿で異臭を放つ『化物令嬢』となったステラを嫌った為だ。 異国の公爵邸の別邸で一人放置される事となった10才の少女ステラだが。 公爵邸別邸は森の中にあり、その森には白いモフモフがいたので。 『ツン』だけど優しい白クマさんがいたので耐えられた。 更にある事件をきっかけに自分を取り戻した後は、ディングの執事カロンと共に公爵家の仕事をこなすなどして暮らして来た。 だがステラが16才、王立高等学校卒業一ヶ月前にとうとう婚約解消され、ステラは公爵邸を出て行く。 ステラを厄介払い出来たはずの公爵令息ディングはなぜかモヤモヤする。 モヤモヤの理由が分からないまま、ステラが出て行った後の公爵邸では次々と不具合が起こり始めて―― 奇跡的に出会い、優しい時を過ごして愛を育んだ一人と一頭(?)の愛の物語です。 異世界、魔法のある世界です。 色々ゆるゆるです。

母と妹が出来て婚約者が義理の家族になった伯爵令嬢は・・

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
全てを失った伯爵令嬢の再生と逆転劇の物語 母を早くに亡くした19歳の美しく、心優しい伯爵令嬢スカーレットには2歳年上の婚約者がいた。2人は間もなく結婚するはずだったが、ある日突然単身赴任中だった父から再婚の知らせが届いた。やがて屋敷にやって来たのは義理の母と2歳年下の義理の妹。肝心の父は旅の途中で不慮の死を遂げていた。そして始まるスカーレットの受難の日々。持っているものを全て奪われ、ついには婚約者と屋敷まで奪われ、住む場所を失ったスカーレットの行く末は・・・? ※ カクヨム、小説家になろうにも投稿しています

殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね

さこの
恋愛
恋がしたい。 ウィルフレッド殿下が言った… それではどうぞ、美しい恋をしてください。 婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました! 話の視点が回毎に変わることがあります。 緩い設定です。二十話程です。 本編+番外編の別視点

処理中です...