しゅうきゅうみっか!-女子サッカー部の高校生監督 片桐修人の苦難-

橋暮 梵人

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プロローグ 途切れた道

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ドゴッ

片桐修人(かたぎり しゅうと)は何かが砕ける音を聞いた。
その瞬間、目に映るサッカーフィールドの景色が反転し、気がつくと晴れ渡る青い空が映っていた。

その直後、えげつない程の痛みが修人を襲う。

修人はその時になって初めて理解した。
あの音は自分の膝が砕けた音だったのだと。

修人は寡黙で感情をあまり表に出さない人間であったが、人目をはばからず大声で叫んでいた。

「があああああアァァッッ!!!」

今まで経験したことがないほどの痛みで、ピッチ上をのたうち回った。

チームメイトやドクターがすぐさま駆けつけ、修人は数十人に囲まれる形となった。
その誰しもが修人の状態を見て青ざめていた。
ある者はあまりの悲惨さに目を塞ぎ、ある者は視線を逸らし、ただただうつむくばかりであった。

その光景を見て修人は悟ってしまった。

「あぁ、俺のサッカーはここまでなんだ」と。

その後、修人は担架に乗せられ試合半ばでピッチを去った。
担架で運ばれていた時に見えた空は修人にとって生涯忘れることが出来ない景色となる。

憎たらしいまでに清々しい、どこまでも澄んだ青空だった。


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片桐修人は幼少の頃からサッカーの英才教育を受けていた。
物心がつく前から子ども用のゴム製サッカーボールを買い与えられ、修人自身もそのボールを肌身離さずに持っていた。

成長するに連れて、ドリブルやリフティングなど父親から教えられた様々なテクニックをスポンジの如く吸収していった。
新しいテクニックを覚えることが心底楽しく、修人はサッカーにのめり込んでいった。
そして卒園間際の5歳の時、ゴムボールでのリフティング回数はすでに150回を超えていた。

予想をはるかに上回る息子の成長に修人の父、片桐武人(かたぎり たけと)は思わず笑みをこぼした。

「どうだ修人。サッカー、楽しいか?」

父の問いに息子は満面の笑みで答える。

「うん!すごくたのしいよ!はやく小学校にあがって、みんなと試合したいんだ!そんでもって、はやく父さんみたいに世界で活躍する選手になるからさ、楽しみに待っててよね!」

息子の純粋かつ逞しい言葉に今度は涙がこぼれそうになった。

修人の言う通り、かつて武人は日本代表の10番を背負い世界の強豪と戦ったトッププレイヤーだった。

メディアからは「稀代のファンタジスタ」などと持てはやされ、トリッキーなドリブルや、華麗なアシストで世界中の観客を魅了した。
片桐武人は紛れもなく、日本サッカー界の希望の象徴であった。しかし、その希望はすぐに潰えることになる。

ワールドカップ出場の最後の切符を賭けた試合で、相手国選手の決死のスライディングをモロに受けた武人は膝に大怪我を負ってしまう。
血の滲むようなリハビリを乗り越えて武人は再びピッチに戻ってきたが、かつての輝きはすでに失われてしまっていた。

その後は日本のプロクラブを転々としたが「稀代のファンタジスタ」はついに完全復活することはなく、28歳という若さで自らのサッカー選手生命に終止符を打ったのだった。

修人にサッカーを刷り込ませたのは、親である武人のエゴであったが、修人自身が望まなければすぐに辞めさせるつもりでいた。
しかし、このキラキラと輝く息子の笑顔を見て、武人は自身の選択は間違っていなかったと確信していた。
そして同時に誓いを立てる。
息子を必ず自分の後継者にしようと。

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それから、10年後

父とその息子は気まずい空気漂う病室にいた。

父が来る前にはチームメイトや監督、名前も知らない女子たち(恐らくクラスメイトだろう)など、とにかく大勢の人が見舞いに来た。
チームメイトの話によると、負傷退場したあの試合はボロ負けに終わったらしい。
「仇を取れなくてスマン」とか「お前が戻ってくるの、待ってるからな」的なことを言っていたような気がするが、そのどれもが全く頭に入って来なかった。

修人と話し終えた人は皆一様に「じゃあ、また来るから」と言い残し、気まずそうに笑いながら病室を後にした。

「俺、なんにもしてねぇのにな…」

そんな罰が悪そうにしなくてもいいのにと思いながら、外の景色を見ようとカーテンを開けた。
その時、窓に映る自分自身の顔を見て、見舞いに来てくれた人たちのリアクションにも納得がいった。

「ひどい顔してたんだな…」

怒りと諦めと後悔と不安がぐちゃぐちゃに入り混じった形容しがたい自分の顔。
こんなんじゃ誰ももう見舞いに来ないだろうなと思った矢先、病室の扉を叩く音が聞こえた。

「どうぞ」

少しぶっきらぼうに返事をした相手は、かつての憧れでもあった自分の父親だった。

「おう、修人。その…膝…大丈夫か?」

見舞いが遅れたことを気にしているのか、少し申し訳なさそうにしながら武人は尋ねた。

父が多忙であることは修人自身もよく理解していた。
志半ばで現役を引退した武人は、現在プロクラブの監督としてチームを率いている。

息子が大怪我を負ったことは早い段階で武人の耳にも入ってはいたが、現場の仕事を放り投げることはせず、スタッフ間のミーティングまできっちりこなしてきた上で、この病室を訪れていた。
すでに外はとっぷりと日が暮れていた。

監督の役割がどれだけ重要なのかはよくわかっている。
それでも自分の息子が選手生命に関わる大怪我をしたのだから、もう少し早く駆けつけるなりできなかったのか。

という父への不満を飲み込み、一呼吸置いた後、修人は出来るだけ冷静に答えた。

「ああ、平気だよ。多少リハビリに時間はかかるだろうけど、しっかり治してまたすぐに活躍してやるから。楽しみに待ってなよ。」

心では微塵も思っていないことを口にした。父の期待に応える為の修人なりの精一杯の強がりだった。

しばしの沈黙の後、武人は諭すように言った。

「修人、もう無理しなくていいんだぞ。」

その言葉を聞いた時、修人の中で何かがプツリと途切れた。

なんだよそれ。今まで散々無理強いしてきたくせに、今更無理しなくていいって、なんだよそれ。

頭の中が真っ白になっていたが、修人は父に問いかけた。

「無理しなくていいって…どういう意味?」

なんとか絞り出したその声は震えていた。

「お前も知っているだろう。俺も昔、膝をやってしまった。血反吐を吐くような地獄のリハビリを乗り越えた先にあったのは、また地獄だったんだ。」

武人は静かに、過去を思い出すようにポツポツと語り出す。

「リハビリ後、初めてボールを蹴った時これが自分の足だというのが信じられなかった。あまりにも理想とかけ離れた現実を叩きつけられて、絶望してしまったんだ…その後のことはお前もなんとなく覚えているだろう。90分満足にプレーすることも出来ず、1部リーグから2部リーグへ移籍、最後のクラブでは年間で5試合しか出場することが出来なかった。」

苦々しい顔で自分の過去を語った武人は改めて修人の顔を見て続ける。

「リハビリを超えた先には必ずしも全盛期の自分がいるとは限らないんだ、修人。そのことは俺自身が嫌という程わかっている。だからこそ、お前にサッカーを続けて欲しいだなんて無責任なことは言えない。お前自身が今後どうしたいかを決めるんだ。お前がどんな選択を取っても俺は親としてお前をー」

「ふざけんな!!!!」

我慢出来なくなった修人の感情がついに爆発した。

「今更辞めて別の道を行けってのかよ!今まで、散々、サッカーに付き合わされて、ダメになったから別の道を探せってか⁉︎無責任なのはどっちなんだよ!!」

今まで溜まっていたものが堰を切ったように流れ出し、父に罵声を浴びせた。
感情を制御出来なくなった修人の罵倒は止まらない。

「父さん…アンタが俺を自分の後継者にしようとしていたことは知ってるよ。だから俺も!アンタの期待に応えようと必死になって練習した!
それだけじゃない…片桐武人の息子ってだけで、否応なしにかけられる周囲の期待…それが俺にとってどれだけプレッシャーだったか!アンタにわかるのか⁉︎」

武人は激昂した修人に面食らうわけでもなく、ただただ受け入れるように、黙ったまま修人の顔を見据えていた。

ひとしきり罵声を浴びせた後、修人は感情を落ち着かせる為大きく深呼吸し、静かに本心を父に打ち明ける。

「本当はもう…サッカーなんてどうだっていい…疲れたんだ。周りの期待に応え続けるのが。」

修人のサッカーに対する情熱はとうの昔に失われていた。
いつからか純粋にサッカーを楽しむことはなくなり、周囲の期待を裏切らない為にサッカーを続けていた。
求められるレベルは常に他の人より高く、それでも血の滲むような努力で応え続けてきた。

修人が何よりも恐れていたことは、父や周りの人間の期待を失うことだった。
サッカーは自分をアピールする為の道具に成り下がった。

幼少の頃からサッカー漬けだった修人はサッカーをすること以外に自分の存在を証明する術を持っていなかったのである。

息子の告白を聞いた武人はそうか、と呟いたあと表情一つ変えずに続けた。

「さっきの話の続きにはなるが、俺はお前の意思を第一に考える。どのような道を選んだとしても、親としてお前への支援は惜しまない。それだけは忘れてくれるな。」

淡々と話す父に、再び激昂しそうになるのを抑えながら修人は答える。

「わかった、それは考えておく。頼むから今日はもう帰ってくれないか?アンタの顔は当分見たくない気分だ…!」

それを聞いた武人は来客用の椅子から静かに立ち上がり、邪魔したなと一言言い添えた後病室を去った。

病室に一人取り残された修人は途方に暮れていた。
事実上のサッカー引退宣言をしてしまった上に、父と築いてきた良好な関係をぶち壊してしまった。

「今後の道…ねぇ…」

一人呟いた後、修人は再びベッドに横になった。
今日の出来事が全部悪い夢だったらいいのに。
そんな叶いもしない願いを胸に修人は眠りにつくのだった。
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