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第2話:堀井塁の転移

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 この世界に転移してきた時、堀井塁はまだ10歳だった。

 塾の帰り道、バスで眠ってしまったと思ったら、凍てつく雪山で目が覚めたのだ。

 途方にくれてとぼとぼと歩いていると、途端に山賊の集団につかまった。

 服や荷物は、珍しいとすべて剥ぎ取られ、生まれて初めて、男でも男に強姦されることがあるのだと知った。

 隙を見て逃げ出そうとすると、気絶するまで殴られ、代わる代わる犯された。



 ある日、例によって逃げ出そうとして捕まり、道端でボコボコにされた後、犯されそうになっていると、

「やめろ。気分が悪い」

 という声が聴こえてきた。



 地面に這いつくばったまま見上げると、筋骨隆々とした、斧を担いだ戦士が山賊たちに近寄ってきた。

 たてがみのような銀髪を背中まで伸ばし、アイスブルーの瞳がギラギラと輝く相貌には、無数の傷跡があった。

 フィンガルと名乗ったその戦士は、何人もいた山賊たちをあっという間に倒してしまうと、塁を助け起こして、傷の手当をしてくれた。



「家はどこだ。どこの街から来た?」

「家……ない……」

 よければ送ってやろうと言われたが、塁は、そう答えるしかなかった。

 ここはおそらく、自分がこれまでいた世界とは別の世界で、もう帰れる場所などないと言っても、信じてもらえそうになかったからだ。



「……そうか。かわいそうにな」

 フィンガルは、塁を孤児と思ったのか、頭を撫でながら、気の毒そうに眉をひそめた。

「引き取ってやりたいところだが、俺にも子どもがいてな……。でも、街まで連れて行ってやろう」

「あ、ありがとう、ございます……」

 この世界に来てから初めて触れた優しさに、塁はポロポロと涙をこぼした。



 塁は、フィンガルの手を取って歩き出した。雪の舞い散る中、フィンガルの手だけが、温かかった。

 数時間歩くと、城壁で囲まれた街が見えてきた。

 街に入り、きょろきょろしながら通りを歩いていくと、家々から漏れる灯りが塁の顔をほのかに照らし、人の暮らしのぬくもりを感じさせた。

 フィンガルは、ある家の前で立ち止まった。

「父ちゃん!」

 フィンガルが開けるよりも早く、内側から勢いよく扉を開けて、小さな男の子が飛び出して、フィンガルの膝にしがみついた。



「おうアーロン! 元気にしてたか?」

 フィンガルは、くしゃっと破顔して、男の子を抱き上げた。

 アーロンと呼ばれた男児は、ところどころ黒い髪が混ざった銀髪に、アイスブルーの瞳をしていた。

 アーロンの母親と思しき、栗色の毛を結い上げた女性も奥から出てきた。



 塁は、扉の向こうに広がっている家庭のまぶしさに、涙が出るほどの安堵を覚えた。

 かつて自分にも、家族がいて、家があった。

 そして、フィンガルの家庭はここにあり、自分は助けてもらっただけの他人なのだと思い知らされた。



 ◇ ◇ ◇



 堀井塁は、ルーイ・フォーリーとして、フィンガル一家の口添えで教会に預けられ、第二の人生を歩み始めた。

 フィンガルの息子、アーロンは、ルーイより五歳年下だった。

 人懐っこく無邪気で、ルーイを兄のように慕って、しょっちゅうひっついてきた。

「ルーイ! あそぼ!」

「ルーイ魔法使えるんだね! すごい!」

「俺、おっきくなったら強い戦士になって、ルーイと一緒に冒険するんだ!」

「俺が戦士ギルドに入れたら、一緒にパーティ組もうね、約束だよ!」

 アーロンの明るさは、心のなぐさめにもなったが、同時に、命の恩人であるフィンガルのことを想うと、複雑な思いに駆られるのだった。



 ──どうして、フィンガルの家族は、俺じゃなくてアーロンなんだろう……。

 ──もしもアーロンがいなければ、フィンガルは俺を引き取ってくれたのかな……。



 アーロンには何の罪もないとわかっていても、ルーイはどうしても、アーロンに優しくすることができなかった。

 冷たい態度を取って、「俺とお前は家族ではない」「兄弟ではない」と繰り返し言い聞かせてきたが、それでもアーロンは、ルーイに対する好意を隠さなかった。

 ある時アーロンは、ルーイの膝で本を読んでもらいながら、ぴかぴかにほっぺを輝かせて言った。

「俺、父ちゃんよりルーイが好きだなあ」

 フィンガルは、戦や依頼で色々な地方に行くため、何か月も帰ってこないのは、珍しいことではなかった。

 アーロンは、たまにしか現れない父親よりも、ルーイのほうに親しみが湧くようだった。

 ルーイは、アーロンの好意をくすぐったく思ったが、それと同時に、生まれながら家庭に恵まれたものには、ありがたみがわからないのだと実感し、名づけようのない葛藤にとらわれた。



 いつの間にかアーロンの背丈は、ルーイよりも大きくなり、フィンガル譲りの逞しい肉体と戦闘のセンスを身に付けていった。

 ところどころに黒髪の混ざった銀髪と、アイスブルーの瞳、鋭い犬歯は、フィンガル同様、狼族の証だ。



 この世界の住民は、狼、鷲、虎、熊、蛇など、様々な動物を精霊ホーリー・スピリットとして崇めるなんらかの部族に生まれる。

 例えば、「狼族」であれば、狼の精霊ホーリー・スピリットの加護を受け、生まれながらに嗅覚、動体視力、脚力に優れている。なお、いわゆる獣人とは異なり、耳やしっぽが生えているわけではないし、変身することもできない。

 同じ部族でも、能力の強さや特性は、個人によって幅広い。アーロンは、両親とも代々狼族であるためか、狼族としての能力が特に強いようだった。



 フィンガルに似た、しかしそれほど武骨すぎもしない、精悍な顔立ちに成長していくアーロンを見るたび、ルーイは、才能に恵まれたアーロンをうらやましく思った。

 きっとアーロンも、フィンガルのように戦士として活躍し、血筋を残すことを求められるのだろう。

 今は、大型犬のようになついてきていても、いつかは別の家庭を持ち、どこかに行ってしまうのだ。

 凍てつく寒さの中、必死で握りしめていたフィンガルの温かい手が、ルーイの手を離し、アーロンを抱き上げた時の痛みを思い出す。



 アーロンと一緒にいると、自分は天涯孤独で、何の部族でもないということを思い知らされる。

 仲良くしても、いつかは離れてしまう。

 だったら、そんなになつかないでほしい……。



 ルーイは、誰かに頼らなくても生きていけるよう、魔術師ギルドに入り、冒険者として自立することを目指した。

 努力の甲斐あってギルドに入れるようになると、ルーイは目標を立てた。

 ──俺も家を建てて、結婚して、子供を持とう。



 そうすれば、アーロンが結婚してどこかに行っても寂しくないし、ルーイ自身も血を分けた家族を持つことができる。



 ギルドに入る前は、教会の宿坊に間借りしていた。野垂れ死ぬことはないが、客を呼ぶこともできないし、色々と面倒な決まりがある。

 クエストをいくつかこなしてお金を溜め、ルーイは一人暮らしを始めた。

 ギルドに近い雑貨屋の三階の、15帖家具付きキッチンなし風呂なしトイレ共用、月額家賃1000Gの物件だ。毎月の出費が増えたのは痛いが、自分だけの住みかができて、殺伐としていたルーイの心は、少しだけ安定した。

 後は、結婚して家庭を持つだけだ。



 ◇ ◇ ◇



 アーロンは、戦士ギルドに入団するとすぐに、ルーイをクエストに誘ってきた。

 アーロンは、「約束したじゃん」と言っていたが、一方的に「約束だよ!」などと言っていただけだ。

 だから、断っただけであんなにショックを受けるとは思っていなかった。



 ──それに……。

「じゃあ、俺と一緒にクエストに行って。パーティ組もうよ」

 初めて聞くような、低い声にびっくりしてアーロンを見ると、指の間から覗いたアーロンの目は、いつもの、これから散歩に行く犬のような明るさが消えていた。



 瞳孔が針の穴のように小さくなり、アイスブルーの部分が大きくなっている。

 ひたすら鋭く、まっすぐにルーイを見据えて、微動だにしない。



 ルーイは、ぞくっとした。

「いや……、だから俺の活動は……」

 初めて見る、別人のようなアーロンの目に怯えながらも、ルーイは頑張って断ろうとした。

 しかし、アーロンは、まったく目の表情を変えずに、

「女の子も一緒でいいよ。結婚したいと思う相手ができるまで、女の子の面子は変わってもいいじゃん」

 と低い声で言ってきた。

 ──一緒に行くっていう約束を破られたと思ってるから、怒っているのか……?



 よくわからないが、女の子も誘っていいのであれば、アーロンが一緒でも別に不都合はないだろう。報酬が減ってしまうが、その分難しいクエストに挑戦することもできる。



 ルーイは、

「……パーティ組んでやるから、ちゃんと頑張るんだぞ」

 と根負けして折れた。



 途端にアーロンは、いつものぴかぴかの笑顔で、

「ルーイ大好き~!」

 と大きな声で抱きついてきた。

 ──よかった。さっきのは、ちょっと拗ねてただけなんだな。

 ルーイは安心して、抱きつくアーロンの腕をポンポンと軽く叩いた。

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