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番外:過去に溺れる男の独り言~ガスパルとホアン~

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 俺は溺れていた。
 酒になのか、ちゃんぽんして飲んだ違法ポーションになのか、過去の思い出になのか、それとも飲み屋で暴れて女将に店を追い出され、ぶっかけられた水になのか、それすらよくわからない。

 ともかく俺が、ゴミだらけの路地でびしょ濡れになって脚を投げ出し、ぼんやり目をつぶっていると、はずんだ声が頭の上から降ってきた.。

「ねえお兄さん、びしょ濡れだけどどうしたの? 俺といいところで休んでかない?」

 男娼か。こちとらべろんべろんに酔っぱらってそんな元気もねえよ。
 そう言おうとして、まぶたを半分上げた俺は、すぐに目を見開いた。

「ミゲル殿下……!」

 俺の主君、ミゲル殿下がそこにいた。
 まだ少しあどけなさの残る輪郭を包む栗色の髪、オレンジがかった明るい瞳……。

 いや、ミゲル殿下がここにいるわけがない。
 ミゲル殿下は死んだ。ハイエルフとの戦で、氷の嵐に打たれて死んだ。

 「命を懸けてお守りする」という誓いなど、何にもならなかった。
 俺はミゲル殿下に覆いかぶさってかばったが、激しい氷の嵐が過ぎ去った後生きていたのは、図体がデカくて体力のある俺の方だった。
 せめて亡骸を母君のところに……。そう思って抱き上げると、ミゲル殿下は虚ろな目で身体を起こし、溶けた頭部から血を流しながらこちらに襲い掛かってきた。ハイエルフの死霊魔法だ。

 俺にミゲル殿下が斬れるわけがない。見苦しく泣き叫びながら呼びかけたが、すでにミゲル殿下は死んでいるのだ。通じるわけもなく、供回りの者が数人斬られた。
 ミゲル殿下に斬られて死のう。
 俺は覚悟を決めて、ミゲル殿下が振りかぶった剣に身体をさらした。

 しかし、雄叫びを上げて、死霊となったミゲル殿下の胴体を後ろから貫き、永遠の死を与えたのは、ファビオだった。
「叔父……上……」
 美しい十六歳の貴公子は、一瞬だけ魂を取り戻すと灰になって崩れ落ち、俺の恋慕の情も絶望とともに終わった。


「ミゲル殿下……」

 だからここにいるわけがないのだ。しかし目の前のミゲル殿下は、上目遣いで媚びを売りながら俺を誘惑している。

「誰それ。よくわかんないけど、じゃあ今夜は俺がアンタのミゲル殿下になってあげるよ。オプション料金はいただくけどね」


 薄暗くて汚い木賃宿で、俺はそのミゲル殿下を抱いた。
 清い恋心だったはずなのに、俺はミゲル殿下にむしゃぶりついて三回は出した。

「殿下、お許しください……っ」
 はぁっ、はぁっ……。
「いいんだよ、ガスパル」


 夜が明けて、陽の光の下で見てみると、そいつは大してミゲル殿下に似ていなかった。
 栗色の髪と明るいオレンジの瞳は同じだが、ミゲル殿下に八重歯はなかったし、顔立ちにもっと気品があったし、肌ももっと白くてきめが細かかった。
 どうやら違法ポーションの見せた幻覚だったらしい。
 だがまあ、そいつはそいつでそこそこかわいらしい顔立ちをしていた。


 俺はそいつ……ホアンのお得意さんになった。
 住むところがないから立ちんぼをやっているというホアンに、戦で持ち主と屋根と四階部分がなくなった建物を二束三文で買い取って与え、そこにシケこんでは肉欲にふけった。

「ん……、んぐっ……、じゅぷっ……、ガスパルの、おっきい……」
 ホアンは俺のちんぽを精一杯頬張り、頬の裏と舌でちゅうちゅうと吸って、ザーメンを躊躇なく飲んだ。

「あんっ、あんっ……、ガスパル、大好きっ」
 俺の膝に跨って腰を振り、キスをねだった。

「ん、んっ……。ガスパルのキス、好き……」
 俺がホアンの尻を鷲掴みにして、下からずちゅずちゅと突き上げると、俺の首にしがみついてよがり狂った。
「あっ! あぅっ! 気持ちいいっ! 中に、中に出してぇ……っ」
 俺はホアンにねだられるまま、何度も中に出してやった。

 コトが終わると、俺はいつも多めに金を払った。

「俺以外の客は取るな」

 ホアンは「うん」と笑って受け取っていたが、それが本当だと信じるほど、俺は純朴じゃあなかった。

 この街は、戦で家族や住処をなくして、売りをやってるガキだらけだ。
 そしてそういうガキに住みかとノウハウを与えて管理し、ピンハネするヤクザと、売春を取り締まる治安組織がいる。

 ある日ホアンのところに行くと、小娘と小僧が増えていた。

「この子たち、今日は立ちんぼで客がつかまらなかったんだって」
「……しょうがねえな」

 俺はホアンとヤレればそれでいい。
 そう思ってほったらかしにしていたら、そういうガキが入れ替わり立ち替わり、しょっちゅう入りびたるようになった。
 ガキどもは、時々顔に痣を作っていた。どうやら他のヤクザの縄張りでうっかり商売したり、タチの悪い客につかまったりすると、そういうことになるらしかった。

 俺はこの街の主だった売春組織を教え、タチの悪い客を見分ける方法を教え、時にはそういう客を直接ボコりに行った。

 衛兵隊の権威をチラつかせつつ、金で話をつけることもあった。
 さすがにリスクも金もかかりすぎるので、そうボヤいたら、ホアンは他のガキに稼がせた金からいくらか俺に持ってくるようになった。

 何のことはない。俺はいつの間にか女衒ぜげんになっていた。


 そして、あのサトルとかいうガキが現れた。
 どういういきさつか知らんが、ホアンがサトルを連れ込んだ時、俺の血が沸き立つのを感じた。

 こいつの話をする時、ファビオは戦のことも、ミゲル殿下のことも忘れたような顔で笑った。
 その度に俺は、ファビオがミゲル殿下を斬った瞬間を思い出した。

 いやわかっている。俺にミゲル殿下が斬れない以上、誰かが斬らなければもっと被害が大きくなっていた。ファビオが斬ったのは、より高位の王族である自分が斬れば、誰も責められることはないだろうという配慮だ。それに、ファビオがどうしていたら満足なのかは、俺自身にもよくわからなかった。

 仕事で用があって館に行った時、中庭のベンチにファビオとサトルが腰かけて本を読んでいた。
 ファビオの奴は、浮世の苦労で尖ったところの一切ない、おきれいなサトルの顔を見つめて、腑抜けた顔で笑っていた。

 その時の顔が何故だか脳裏に焼き付いて、思い出す度に俺をイライラさせた。
 心の中でファビオをボコる代わりに、俺はサトルを犯そうとした。

 だがまあ、そこまでが俺の運の尽きだった。

 ◇ ◇ ◇

 牢屋で五年過ごした後、俺は鉱山に送られた。
 早すぎるんじゃないかと思ったが、鉱山労働ならまあお勤めの一環みたいなもんだ。俺にはちょうどいいだろう。
 そう思っていたのだが、なんだかこの鉱山は様子がおかしかった。

「今月の標語は『危険予知、小さなことも見逃すな』です。はさまれ、巻き込まれ事故、そういった重大な事故も、小さなことがきっかけです。何か気になることがあったら、『大したことじゃない』と思わず、隣同士声を掛け合いましょう! それでは今日も一日、ご安全に、ヨシ!」
「危険予知、小さなことも見逃すな! ご安全に、ヨシ!」
 大きな声で復唱する。声が小さくても鞭で打たれたりはしないのに、全員大きな声を上げている。

 全員朝礼の後は五人ずつの班になって、坑道に入る前に作業の確認を行う。
 ここで決まった内容の通りにただひたすら作業していく。

 ──鉱山労働ってこんなに楽だったか……?

 もちろん身体を酷使するしんどさはあるが、鞭で打たれることもせかされることもない。
 俺の知っている鉱山労働とはまったく違うようだ。
 他の作業員に聞くと、どうやら、このハイエルフの王国に異世界からやってきた男の指導によるものらしい。
 刑期満了が近い服役囚のうち、素行が良い者を選んで、この鉱山で働かせているらしい。
 日々の労働時間に応じて賃金が支払われ、社会復帰した時の生活再建にあてることができるそうだ。
 天然資源に恵まれているものの、掘削する労働力が足りなかったハイエルフの王国は、今や鉱山景気に湧いている、とのことだった。

 そういうのが嬉しい奴もいるのだろうが、戦で生き恥をさらし、サトルの口出しのせいでファビオに斬られることもできず、死刑になるつもりだったのにここにやってきた俺としては、迷惑な話だった。
 まあ、楽なのはいいか。年取って死ぬまでここで働くんだっていいだろう。

 そう思って淡々と作業をこなしていたある日、新しい現場監督とやらがやってきた。

「このたび着任した、現場監督のホアンです! よろしくお願いします!」
 俺は目と耳を疑った。
 全員朝礼であいさつしたのは、まぎれもなくホアンだった。

 逮捕された後、ホアンのことは誰も俺にしゃべらなかった。無罪だったのか、何か刑を与えられたのか、それすら知らない。
 執着している素振りを見せたらホアンにも迷惑だろうから、俺も何も聞かなかった。

 ホアンは、以前よりも少し大人びていた。
 長く伸ばして後ろで縛っていた栗色の髪はさっぱりと切り、やせっぽちだった体型は、細身ではあるものの、大人の男の体格になっていた。
 何よりも、オレンジ色の瞳に知性と常識の光が生まれていた。
 長袖の作業服のボタンを襟元まできちんと止めて、しゃっきりと立ってソツのないあいさつをしゃべっている。

 タカハシとかいう、異世界から来た「コンサルタント」の男が、ろくろを回すような手つきであいさつの後を引き取った。

「え~、ホアン君は、若者再チャレンジプログラムの一環として、こちらに現場監督として来ていただきました。若者再チャレンジプログラムは、サスティナブルで現地のリソースを活用した開発計画のための取り組みで……」
 意味はわからんがとにかくホアンは、ここで働くことになったようだ。

 ◇ ◇ ◇

 キン、キン、キン!
 とツルハシを振るっていると、ホアンに話しかけられた。

「ガスパルさん、現場で何か困ったことはありませんか」
「ないっスね」

 あたかも知り合いではない風を装って話しかけているが、五人の班で俺は班長でもないのに俺にだけ話しかけたら、不自然だろう。
 俺は目を合わせずに切り捨てた。

「……何かあったら、遠慮なく言ってくださいね」
「別の鉱山に送ってほしい。もっとキツイところがいい」

 ダラダラやってると屈強な大男に鞭で殴られるようなところがいい。物理的な痛みと酒は、苦しみの輪郭をあいまいにしてくれる。

 宿舎に戻り、四人部屋のカーテンを閉めようと窓に手をかけると、窓を見上げながら、薄暗い庭をウロウロしている栗色の頭が見えた。

 何やってるんだアイツは……。
 俺は無言でカーテンを閉めた。

 ◇ ◇ ◇

「日替わり定食」
 数日後、食堂でトレイを持って並んでいると、後ろにホアンが立った。
「俺も日替わり定食」

「……気が変わった。麺コーナーに並び直すわ」
 俺が列を抜けようとすると、
「俺も麺コーナーにしようかな」
 ホアンも列を抜けてついてきやがった。

「ついてくんじゃねえよ」
「いや、俺も麺がやっぱりいいなって」

 日替わり定食コーナーでは、もう次の奴が定食を受け取っていて、その後に十人以上行列が続いている。
 ちっと舌打ちして俺は麺コーナーに並んだ。

「……なんでお前がこんなところにいるんだよ」
「タカハシさんが言ってたじゃん。若者再チャレンジプログラムだって」

 ひそひそ声でホアンが言った。

「一緒にお昼食べたら、ゆっくり話せるじゃん」

 昔と変わらない人懐っこい笑顔で、俺の顔を覗き込んでくる。
 俺はたまたま向かい合わせで空いている席に座ったのだが、ホアンはちゃっかり向かいの席にトレイを置いた。

「あのね、俺学校に行って、卒業したんだよ!」

 牢屋でホアンは、あのサトルとかいうガキになんかよくわからないことを色々教わったらしい。
 何やら難しいことを色々教えられ、ほぼ忘れたが、とりあえず読み書きと簡単な計算はできるようになったという。
 それから学校に行って、つい最近そこを卒業したのだが、立ちんぼをやっていてしかも逮捕歴のある若者を雇ってくれる、まともな勤め先はなかなかない。
 というわけで、「若者再チャレンジなんとか」とかいう、よくわからないプログラムの一環で、この鉱山で職業経験を積むことになったという。

「サトルが、学校を卒業してもガスパルに会いたい気持ちが変わらなかったら、会わせてくれるって約束してくれたんだ」

 俺がここにいることがわかっていたのに、ホアンが赴任したのはそういうわけだったのか。
 へへへ……とホアンは頬を染めて笑った。

 ──やめろ。お前と俺は立ちんぼやってる男娼とその情夫、それだけの関係だったんだ。そんな純粋で健気な関係じゃない。

 俺は無言で空の食器を持って立ち上がった。

「ガスパル!」

 ホアンは返却口にまでついてきた。
 俺はトレイを戻しながら、イライラとつぶやいた。

「……もう俺に近づくな」
「え……」
「もう会えただろ。それで用は済んだはずだ。……じゃあな」

 しょぼくれているホアンを置き去りにして、俺は午後の作業に向かった。

 ◇  ◇  ◇

 酒が欲しい。

 久しぶりに会ったホアンが、俺のことをまだ想ってくれている……。
 そう考えて浮き立ってしまう気持ちを、酒かクスリで押さえつけたいところだったが、残念ながらこの安全で衛生的な鉱山には、酒もクスリもなかった。
 夜は早く寝ることになっており、許されている趣味は、読書とボードゲームと軽い運動。賭け事も禁止だ。

 仕方ないので、部屋に戻るなり俺は、いち早く布団に入った。
 同室の奴が声をかけてくる。

「おい、お前あの新しく来た現場監督のホアンってヤツと知り合いなのかよ」
「知らねえ。知り合いと間違われただけだ」

 適当な嘘をついた。
 俺との関係が明るみに出たらホアンが迷惑する、とかそんな殊勝な心掛けじゃない。単純に、その辺の三下に俺とホアンの思い出を教えてやる気がしなかった。

「あいつけっこうかわいいツラしてるよな」
 あははは、と笑った男に、同室の奴らが同調する。
「エルフの現場監督より話が合いそうじゃないか?」
「外出日にイイとこ誘──」
「それより、今度トイレで──」

 俺は三人を骨折させ、奥歯を何本かへし折って、懲罰房送りになった。


 懲罰房には、その夜一泊しただけだった。
 てっきり牢屋に逆戻りさせてくれるかと思ったのに、翌日、アンガーマネジメントだかなんだかいう、わけのわからない話を一日中聞かされただけで、あっさり部屋に返された。
 いずれ部屋替えがあるらしいが、さしあたりは一人部屋だ。気兼ねなく本でも読むか。

「あ、ガスパル、お帰り~っ」
「ああ……って、なんでお前がいるんだよ」
 ドアを開けると飛び込んできたはずんだ声に、うっかり返事をしてしまった。

「だって、俺のために懲罰房送りになっちゃったんでしょ?」
 ホアンは俺のベッドから飛び下り、八重歯を見せて駆け寄ってきた。

「……違う。ムシャクシャしてただけだ。だいたいお前が三下にコナかけられてビビるようなタマかよ」
「そりゃそうなんだけどさ……」

 俺はホアンの肩を押しのけて自分のベッドに向かった。
 ごろりと横になり、図書室から借りてきた三文小説を広げた。

「ガスパル……」
 ベッドに何かが乗っかってきて、背中に生暖かい何かが触れた。
 やめろ。小説の内容がわかんなくなるだろ。

「ガスパル……。俺、やっぱりガスパルのこと好きだよ」
 生暖かい何かは、俺の背中にぎゅっと抱きついてきた。

「俺がお前に何したかわかってんのかよ」
「わかってるよ……。色んな人に、何度も聞かされた。騙されたんだ、本当に愛されてたわけじゃないって」
 背中に硬い頭がこすりつけられた。

「ミゲル殿下って人の肖像画も見たよ。……あんま似てなかったけど」
 初めて会った時は、酒とクスリでラリってたからな。ミゲル殿下プレイはその時限りだ。

「代わりにされてただけだって……」
「んーまあな」

 最初はな。
 どこのどいつか知らんが、何を言ってるんだ。不敬罪だぞ。ミゲル殿下は、アホじゃないし、フェラもしないし、ケツマンコが縦割れでもない。ホアンのケツがいまだに縦割れなのかどうかは知らないが。八重歯もないし、笑い方が人懐っこくないし、俺に抱きついてきたりもしない。

「最初は、施設の人の言うことが信じられなくて……。でも、学校に行って、色んな人に会って……」

「……やっぱり騙されてたな、って思った!」
 ホアンはあっけらかんと言った。
 なのに、背中にしがみつく手は、離れなかった。

「でも、俺を騙したのは、ガスパルだけじゃないって気づいて……。都会の方が稼げるよって言って俺を追い出した伯父さんと伯母さん、立ちんぼをすれば簡単だよって声をかけてきたオッサン、こんな仕事辞めなよって言いながらちんぽしゃぶらせて、それっきり来なかったヤツ……。あの時、なんだかんだ言いながら俺の面倒を見てくれたのは、ガスパルだけだったよ……」

 俺は胴体に回されたホアンの手をひっぺがした。

「……俺なんかに執着するな。せっかく学校行かせてもらったんだ。もっといい奴がいるはずだ」
「やだよ。ガスパルがいい!」
 ホアンはまた俺の背中にしがみついてきた。

「ガスパル……好きだよ……」

 やめろ……。

「ガスパルは、俺のこともう好きじゃない?」

 ──そんなわけねえだろ。

「……五年も思い続けるほど、律儀じゃねえよ」
「じゃあ、もっかい好きになってよ」
 しつこいな。これじゃ断ってもキリがねえ。

「それでその先どうするんだよ」
「決まってるじゃん。ガスパルがここを出たら、一緒に暮らすんだよ……?」

 へへへ……と小さな笑い声が聞こえて、背中にくっついた生暖かいものの温度が上がった気がした。

「……無理だろ」
「……無理じゃないもん……」

 小説の字面を追うのをあきらめ、背中を丸めて布団をかぶると、ホアンがスッとベッドから出て行く気配がした。

 ◇ ◇ ◇

 次の外出日。
 ホアンは他の現場監督たちに、町へ誘われているようだった。
 作業服をこざっぱりした外出着に着替え、似たような服装の男女と一緒に門を出て行く姿を見て、俺は一安心した。

 俺は宿舎から一番近い酒屋へ出かけ、度数が強めの蒸留酒をしこたま買い込み、空っぽの物置で飲んだ。
 門限破りにはなりたくなかったし、かといって部屋で酒を飲むのは禁じられていたからだ。


 おかしい。
 五年以上、酒を飲んでいないうちに、どうやら俺はすっかり酒に弱くなったようだ。
 浴びるように飲めた酒が、消毒液の匂いが鼻について全然喉を通らない。
 それでも無理矢理飲もうと顔をしかめながら瓶を口に当てる。

 ──俺は一体、何の方向に頑張ってるんだ……。

『ガスパルがここを出たら、一緒に暮らすんだよ……?』

 あばら家でホアンを抱きまくっている時の妄想でもしながらマスをかこうとしていたのに、早くもアルコールでぼやけた頭に浮かぶのは、先日のホアンだった。

 気づいたら俺はダラダラと涙を流していた。

 終戦からの俺の七年間と、ホアンの七年間を思った。
 もしも、まちがえなかったら──?

 ──何を考えているんだ。まちがえなかったら、ホアンとは出会ってなかった。

 路地裏で飲んだくれているクズだから、ホアンと出会えたというのに。
 それでも……。
 妄想の中で、俺とホアンは小さなアパルトマンで一緒に暮らし、わずかな稼ぎの中から贈り物をしあってささやかに暮らしていた。
 そんな殊勝でおきれいな人間じゃないだろ、俺たちは……。いや、ホアンはもう含めたら悪いか。

 俺はともかく、ホアンにはそんな幸せを味わってもらいたい。
 それだけは……。それだけは本心だ。嘘つきで強がりばかりでダメな俺の。

 俺は物置小屋で心置きなく泣いた後、酒を全部排水溝に流した。

 ◇ ◇ ◇

「シャワーは時間外ですよ」
「湯は出なくていい」
「はあ、だったらどうぞ」

「お客様、体格がいいから、こういうカッチリしたスタイルもお似合いですよ~。え、着ていく? お買い上げ、ありがとうございます~」

「あえてヒゲを残しとくのも野性味があってカッコイイけど……え、さっぱりしたい? じゃあ剃っちゃいますね~。カラーはどうされます?」

「すみません、赤いバラはこの季節には入らないんですよ~。なんとなくでいいので、こんな感じにしたいっていうのをいただければお作りしますよ~? 差し上げる方のイメージカラーとかでもいいですよ。……オレンジ色ですね? 承知しました~」


 外出日と言っても、鉱山から日帰りで行ける町は、小さな田舎町一つだけだ。

 飲食店をいくつか覗いたが見当たらないので、商店街を歩き回る。途中で知り合いに声をかけられたがこちとら急いでいるので無視した。

 ようやく目当ての栗色の頭を見つけたのは、装飾品店だった。
 隣にはシュッとしたエルフの男が立っている。
 ホアンは、見たことのない笑顔で笑っていた。オレンジ色の瞳をキラキラさせ、ゴキゲンなのか血色のいい頬をしていた。

 ドアに手をかけると、店内の音が聴こえてきた。
「ペアリングが見たいんだ」

 心臓をどつかれたような気がして、思わず足が止まった。

 ──まさか……、まさか……。

 踵を返そうと後ろを振り向くと、向かいの店のショーウィンドウに、情けないオッサンの姿が映った。

 今さら何をやっているんだ。「俺はもう死んだも同然」みたいな、斜に構えた生き方をしておいて、まだ傷つくことを恐れている。

 俺は深呼吸すると、再びくるりと身体を回転させて、店のドアを開けた。

 ホアンが、ポカンとした顔でこっちを見た。

「ガスパル? どうしたのそのカッコ!」

 ホアンの瞳が驚きに見開き、頬がぼっと染まった。

 深呼吸しながら十秒数えると、俺は余裕ぶって言った。

「俺のサイズは、21号だ」

 七年以上も前の情報だから変わってるかもしれないが。

 ホアンは、オレンジがかった瞳を細めて、
「よかった~! そしたら、今日注文していけるねっ!」
 と笑った。
 傍らの、シュッとしたエルフの男を見ると、奴はカウンターに肘をついてニヤニヤ笑っている。

「……おう」
 俺は、まるで「前から知ってたぜ」みたいな返事をした。

「その前に……」
 俺は後ろ手に隠していた花束を出した。

「俺が……ここを出たら、一緒になってくれ」

 ホアンは目を大きく見開いて呆然としている。

 返事がないので沈黙が居心地悪くなり、俺は言葉を続けた。

「いつになるかわからねえが……。俺はお前よりも十五も年上のオッサンだし、ここを出てから仕事にありつけるかどうかもわからねえ。それでも、よければ……」

 ホアンは俺に飛びついてきた。

「……うっ、ううっ……」

「俺、初めてもらったお給料で、ガスパルに何か買いたいなって思って……、そしたらペアリングとかいいんじゃないかって思って……、よくわかんないからついてきてもらって……。俺あんまお金持ってないから、安いやつしか買えないけど……」

 買ったばかりの真っ白なシャツに顔をこすりつけ、グシグシと泣いている。

「俺……人生でこんなこと、俺の人生に起きるなんて、思ってなかった……」
「そうか」

 俺はホアンの栗色の髪を撫でた。
 そういう思いをさせてやりたかった。

「俺がその気になれば、いつでもできたのにな……。遅くなって、悪かったな……」

「うう……っ……ガスパル~っ」
 ホアンはシャツを涙と鼻水でぐっしょり濡らして、顔を上げた。
 初めて見る表情に、行動するのが遅かった自分がますますアホに思えた。

 俺たちはその場で指輪を注文すると、手を取り合って……宿舎に帰った。
 ホアンはぶつくさ言っていたが、絶対に門限破りをする自信があったから、おつとめが終わるまでは、我慢しようと思ったのだ。

 ◇ ◇ ◇

 俺だけのものになったホアンを抱いたのはそれから一年後、初めて会ってから八年以上が経過していた。
 俺は無事に鉱山でのおつとめを終えて山を下り、ふもとの工房で働き始めた。
 ホアンも、若者なんちゃらプログラムの間に色々資格を取って同じ町で仕事を見つけた。

「嬉しい」「嬉しい」と言って、涙を流しながらケツイキするホアンにキスをして、俺はまた「もっと早く気づきゃよかったな」と後悔した。

「ねっ、無理じゃなかったじゃん?」
「そうだな」

 朝日が差し込む小さな部屋で、俺たちは裸で抱き合った。
 枕元には、俺とホアンがたまたま昨日、それぞれ一輪だけ買ってきた花が、空き瓶に生けてあった。



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番外編 おわり
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