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クワイエット・テラー

作倉暦 Ⅵ

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 そっけないマイカを追って、桐原も慌てて部室を出た。マイカは、体調が悪いとは思えないぐらいスタスタと廊下を歩いていく。

「送ってくわ。」桐原はマイカを追いかけながら言った。「なんか調子わりぃみたいだし」

「大丈夫です。ひとりで帰れます」マイカはまっすぐ前を向いていて、桐原には目もくれない。

「つれないなぁ。送らせてくれよ?なんか俺まずいこと言っちまったみたいだし」

 桐原はマイカの様子が明らかに変なので、自分なりに慎重に対応しようとした。

「好きにしてください」

 マイカはなんとなく、今のモヤモヤした感情のまま、誰かと話す気にはなれなかった。だからと言って、いちいち桐原を振り払う気にもなれなかったので、マイカは適当に返事をした。

「よしきた!」

 桐原は面倒くさがられているということなど気にしない。それどころか、お供の許しがでたとたんに、急に饒舌になった。

「いやぁ、ここに来る前、広美先生に会ったんだけどさ。部室で都とイチャイチャするなって言われちまったよ~」

「イチャイチャなんてしたことありましたっけ?」マイカが冷たくあしらう。

「いやぁ、そんなふうに映っちゃってたんだなあ。まぁ、俺たちが付き合ってるって、女子の間で噂になってるぐらいだからなぁ。」

 桐原はそう言って、マイカの顔を横目でチラッとのぞいた。

「はた迷惑な噂ですね。」

 マイカは、桐原の意図などくみ取る気は全くないようだった。桐原も手ごたえを感じなかったので、次の話題に移ろうと思った。

「そういや、俺、数学はこよみちゃんに教えてもらってんだ。」

 マイカは黙っていた。

「俺数学なんて大っ嫌いだったんだけどさぁ、なんかこよみちゃんだと少しだけやってみようって気になるんだよなぁ」

「へぇ……」マイカは申し訳程度の相槌を打った。

「それにしても、女子の人気はすごいよな。数学なんか興味ねーだろって言うギャルっぽいやつでも授業終わった後質問しに行くんだぜ?ウケるよな」

 桐原はまたマイカの顔をチラチラとのぞき見て、様子を窺っている。

「都はどうなんだ?」

「どうって……?」

「こよみちゃんだよ。なんというか、俺よりはほんのちょっと劣るけどイケメンだし、その……都にも魅力的に映っちまうのかなって」

「私は別に……。今日初めて話したし」

 マイカはそう言って、階段を降りていった。体が揺れて頭に響く。とても不愉快で、マイカの顔がひきつった。それを見て、桐原はマイカが自分の言葉でご機嫌斜めになったと勘違いした。

「もしかして、こよみちゃんにひどいことされたのか!?」

 桐原はさっきから作倉の話題を出すとマイカが怒ったような表情になるので、これ以上マイカの機嫌を損ねたくはなかったが、そう聞かずにはいられなかった。

「いいえ、本当に何もないですから」マイカは相変わらず真顔で、桐原の問いかけを遮った。作倉のことは、自分でも混乱しているのに、言葉で自分が作倉に何をされたか、どう思っているのかなど到底説明できるとは思えなかった。

 放課後で、もうあまり生徒が校舎に残っていなかったこともあり、マイカは誰もいない階段を降りるのに、次第に速足になっていった。

「おい、もっとゆっくり歩いたほうが……」

 桐原がそう言った矢先、マイカは階段から足を踏み外し、前方に踏み外した足をもっていかれ、バランスを崩した。

「キャッ!」とマイカは思わず声を上げる。

 体が後ろに倒れかけたところを、桐原がマイカの体を抱え込んだ。もう少しで階段の角に強く頭をぶつけてしまうところだった。

「ほら、言わんこっちゃない。大丈夫か?」桐原が心配そうに言った。

 マイカは一瞬のことでびっくりして、「あ……はい」とだけしか答えられなかった。桐原はその風貌や言葉遣いに似合わず、紳士的にマイカが姿勢を整えるのを補助した。

 マイカは、今度はゆっくりと慎重に階段を降りた。

「すいません、ありがとうございます」マイカがこのときようやく桐原の顔を見て、小さく礼を言った。

「いいって!いいって!とにかく無事でよかったよ。」桐原がマイカの肩をポンポンと叩く。

「やっと、俺の顔見てくれたな!」

 マイカはそう言われると、すぐに真正面を向いた。

「あれ、照れてるのか?」桐原が今度は堂々とマイカの顔を覗き込む。

「それはありません」マイカはムスッとして答えた。

 2人は3階から1階まで降りてきて、昇降口に向かう。その途中で、女子2人組が桐原に声をかけてきた。真面目な生徒が多く通う若王子の中でも、イケイケの部類の女子だ。長髪で、先生に注意されない程度に化粧をしている女子とショートヘアで、やや髪色が明るい女子だ。どうやら桐原の同級生らしい。

「あれ、昴美くんじゃん。まだ帰ってなかったんだ!」長髪の女子が言った。

「おう。まあね」桐原が足を止めて陽気に答える。

 マイカはお構いなしに歩いて先に行ってしまった。一方、桐原は、その女子2人組にあっさり囲まれてしまった。

「私たちこれから、カラオケ行こうと思うんだけど、昴美くんもどう?」今度はショートヘアの女子が言った。長髪の女子も「行こうよ。」と、桐原の腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張った。

 桐原は、先に行ってしまったマイカを目で追った。そして、慌てて両腕を掴んでいる2人の手を優しく解いた。

「ごめん!ごめん!今日は先約があるんだ」桐原はマイカに聞こえるように大きな声で2人に言った。

「えー?先約ってあの子?昴美くん、やっぱ付き合ってんの?」ショートヘアの女子が不機嫌そうに言う。

「それは秘密。また今度誘ってね!」桐原はそう言って、2人の間を割って通り抜けた。

 ダッシュで桐原はマイカに追いつき、「いやぁ、参ったな。」とわざとらしく言った。すると、マイカは立ち止まり、仏頂面で桐原を見つめた。

「私、別に先輩と何も約束してないですけど?」

 マイカは、桐原の「先約」という言葉が聞こえていた。自分を断る口実に使われたのだと分かっていた。

「俺が勝手にとりつけたんだ。無事家まで都を送り届ける約束をね」桐原が自信ありげに答えた。

 マイカは何も言い返さず、再び昇降口に向かって歩き出した。桐原も、横にぴったりと並んでマイカの歩調に合わせる。マイカは、みどりにしても、桐原にしてもどうして自分の予定を崩してでも私に構うのかと不思議に思った。

「あ、やっべ」と唐突に桐原が言う。「朝錬で着たウェア、部室に置きっぱだったわ」

「どうします?」マイカは歩みを止めずに訊いた。

 桐原は一瞬ためらう様子を見せたが、「いいや。明日持って帰るよ」と答えた。

「そうですか。」とマイカはボソッと答えた。

 だが、マイカはこのまま昇降口に向かうことが、どこか納得いかないと感じた。マイカは、いきなり立ち止まった。桐原も「おっと」と前のめりになりながらブレーキをかけた。

「とってきてください」マイカが桐原に言った。

「え?いいよ。明日持って帰るから」

 桐原はマイカに置いてかれるのかと思った。しかし、次にマイカの口からでた言葉は桐原にとって意外なものだった。

「待ってますから。昇降口で」

「え?いいの?」桐原はあっけにとられた。マイカは「じゃあ」と言って、再び歩き始めた。

「ダッシュでとってくる。」

 そう言って、桐原はニヤニヤしながら全速力で廊下を走って、部室棟に向かった。

 マイカは昇降口で上履きから靴に履き替え、外にあるベンチに座って待っていた。相変わらず、ガンガンと響く頭痛が止まない。マイカも「イテテ」と思わず口にしてしまい、額をおさえた。

 マイカは桐原を待っている間、今日あったことを思い出していた。とりわけ作倉とのことが気にかかっていた。あの世界へは本当に作倉に導かれたのか。

――疑うまでもないわ。だって、あの先生の手に触れた瞬間、あそこに飛ばされたんだから。それに、先生は何もなかったって言っているけど、小宮山先輩と桐原先輩が言ってたこととは、食い違う……。

 マイカは、あの夢の世界をより鮮明に感じたことも気になった。いつも見ていた夢では、あの世界は不鮮明だった。夢では、視界もはっきりしないし、体もシナリオ通りにしかコントロールできなかった。

――でも今日は、あの世界が鮮明だった。体も自由にコントロールできたし、頭もスッキリしていた。まるで現実世界にいるようだったな。

 考え込むマイカの耳に、「おーい!」という遠くから発せられたであろう桐原の声が入ってきた。

 走って桐原がやってきた。マイカの座っているベンチに座りこんで、ゼエゼエと苦しそうに呼吸していた。通学用かばんとは別にパンパンのリュックサックを背負っていた。

「助かったよ。前も持って帰るの忘れたとき、洗濯が増えるって母ちゃんに怒られたからな」

 マイカは「いえ」と言って立ちあがり、桐原の呼吸が整うのを待った。桐原はそれに気付き、「わりぃわりぃ」と言ってひょいと立ちあがった。

 2人は学校を出て、海沿いに敷設されている歩道を歩いて帰った。この歩道は隣町まで、10km以上伸びており、夕方は散歩する人やランニングする人で賑やかだ。

 マイカは頭痛がますますひどくなるのを感じた。学校を出たとたんに一気にその波はやってきた。帰れるという安心感で少し油断したか。

「あ、イタタ」マイカが額をグイグイと押して、痛みを和らげようとする。

「大丈夫か?」桐原が心配する。

「ずっと気を張ってたのが、学校を出たら緩んだせいで、今、一気にきました」

「歩けるか?あ、そうだ。おぶってやるか?」

「それはいいです」

 桐原がいくらお節介焼きだと言っても、マイカはそれだけは勘弁してほしかった。

「お気遣いなく。あとちょっとですから」

「メンタル強いな、都は!サッカー部のヘタレ連中に見習ってほしいもんだぜ」桐原は感心するように言った。

「あはは」とマイカは愛想笑いをする。一方で、桐原は会話をとぎれさせないように、次々と何かを言てくる。

「前から聞こうと思ってたんだけど、都は、なんであんな部活に入ったんだ?」

「単純な理由です。楽そうだったからです」マイカは即答した。

「そんな理由かよ」桐原は含み笑いをした。

「ええ。私なんてそんなもんです。先輩みたいにサッカーがとても上手で、望まれて部活に入るなんてご立派なもんではないですよ」マイカは自分を蔑むように言った。

「いや、そう言うつもりで言ったわけじゃ……」桐原は言葉が詰まった。

「それにしても、あんな小宮山みたいな根暗男といっしょじゃつまらないんじゃないか?あいつクラスでもいるのかいないのか分かんない奴だぜ?」桐原は慌てて小宮山の話題にすり替えた。

「いえ、別に。小宮山先輩はいい人だと思いますけど。」

「え?そうなの?マジかよ。あいつなんかクラスじゃ誰も相手にしてないぞ?いかにもオタクって感じでさ。友達多分ひとりもいないんじゃないかな?」

「じゃあ桐原先輩が友達になればいいじゃないですか?優しくていい人です。そうやってちゃんと接してないのに悪く言うのはどうかと思います」マイカは軽蔑するような目で桐原を見た。

「おいおい、あんなやつの味方するのかよ?」桐原はマイカの視線が突き刺さりあたふたした。

「味方してるわけじゃ……」

 そう言いかけて、マイカは「アタタ」と言って何度も額をグイグイ押した。

「じゃあ、俺と小宮山だったらどっちが魅力的だよ?」桐原はややムキになっていた。

「わかりません。どっちもどっちです。」マイカは頭痛で苦しいのに、そんなことは考えられなかった。

 桐原は愕然とした。圧勝を確信していた上でのインタビューであっただけに、この回答はショックだった。しかし、桐原はそこで立ち止まってしまう男ではない。

「嘘だろ?じゃあルックスは?ルックスなら分かりやすいだろ?さぁ答えてくれ。小宮山と俺ではどっちが上だ?」

 マイカはバカバカしい質問だと思った。桐原自身も、小宮山などと自分を比べるなんてプライドに傷がつくと感じていたが、勝利をつかむまではこの話に終止符を打てられなかった。

「まぁ、それは桐原先輩……」マイカは仕方なく答えた。

「そうだろう、そうだろう」と桐原はなんとか1勝をあげて、満足げに胸を張って言った。

「分かりきっていることだけどな。よかった。もしまたどっちもどっちだなんて言い出したら、このまま眼科に連れていくところだったよ」

 桐原が調子のいいことを言うので、マイカは少し反論したくなった。

「でも総合的には、他人を貶めない分、小宮山先輩の方が上かもしれません」

 桐原は薄氷の1勝に酔っていて、そのマイカのボソッと言ったその言葉をしっかりと聞き取れなかった。

「え?なんて言ったんだ?」

「いえ、何でもないです」マイカはこの話題を完全に頭から除外した。

「ここでいきなりクーイズ!」桐原が唐突に腕を振り上げて言った。「俺のサッカーのポジションはどこでしょうか!?」

 マイカはいきなり何を言い出すのかと思ったが、小宮山の悪口を聞くよりはだいぶマシだと思った。サッカーに関しては、マイカも姉のリナといっしょに、よく昔、父親にプロの試合を観に連れて行ってもらったことがあったので、ある程度知識はあった。

「先輩、エースなんでしょ?……ミッドフィルダ―というか……司令塔ですか?」

「おお!おお!」桐原のテンションがさらに高まった。「やるじゃん!まさにその通りって感じ!やっぱ俺のこと分かってるじゃんか!」

――当たったんだ。

 だからと言って、マイカは、あまりうれしくはなかったが、むしろ正解されてしまった桐原の方が異様に喜んでいて、少しおかしかった。

「今、鼻で笑っただろ?」桐原がマイカのそんな仕草を見逃さなかった。

「だって、あまりにも嬉しそうだから。」

「もしかして、都、サッカー好きなのか?」

「父が好きだっただけです。私自身はすごい興味があるわけじゃないですけど」

「いやぁ、またひとつ都との共通点が見つかったなあ!」桐原は有頂天だった。「そんでさ、そうなんだよ!俺は一番大事なポジション任されてるってわけ!花形のポジションってやつ?攻撃のタクトを振うって感じ?華麗に前線の選手へスルーパスを供給するんだ。県下で俺はナンバーワンのパッサーだって言われてるよ」

「すごいじゃないですか」マイカは素直にそう思った。

「だろ?もしかして見直したりしちゃった?」桐原は体全体を左右にゆすって言った。

「どちらかというと」そう言って、マイカは独り言のように呟いた。「私は、がむしゃらにゴールを狙う感情むき出しのファイターって感じの点取り屋が好きですけど」

「え?ファイター?」桐原はいきなりマイカが意外なことを口にしたので唖然とした。

「じゃあ、私の家、もうすぐそこなんで。」マイカはそう言って、急に立ち止まった。

「ここで大丈夫です。送っていただいてありがとうございました。」
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