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三・五章『あなたは生き残りのドラゴンの息子に嘘をついた』
第45話 あの記憶は幻ではありません
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「無駄です。私の魔法のほうが速い」
凄まじい爆発音。
ドラゴン態の巨体が、黒煙をあげながら吹き飛ぶ。
「シドウ!」
「大丈夫!」
一度バウンドしたのちに体勢を立て直したシドウは、ティアの声に応えた。
そしてアランの手の動きを読み、地面からの炎を小さな跳躍でかわすと、ふたたびシドウは突入した。もちろんまた火魔法で弾かれる。
シドウは突入を繰り返した。
炎も吐いた。やはり彼にはほぼ無力だった。氷魔法で相殺されるだけだ。
爪も使った。足も使った。それでも彼には届かない。攻撃は読まれ、かわされ、逆に魔法で吹き飛ばされた。
――だめだ。戦闘能力が違いすぎる。
彼は長い時間を費やし、ドラゴンに対抗するためだけの努力を重ねてきた。
しかしシドウには、それだけでは説明できない差が存在しているように感じた。
『私は世界有数の魔法使いです』
彼は冗談半分のような調子で何度もそう言っていた。実はそれも嘘なのではないか。
地面から過不足のない炎を出せるほどの自由自在な火の操作ができて、たった一人でドラゴンを何体も同時に相手にできる? そんな魔法使いなど伝説にすら存在しない。
世界有数どころか、世界一……。
初めての人間との戦い。それがこんなに絶望的なものになるとは夢にも思わなかった。
でも自分は戦わなければいけない。
「うまく致命傷にならないように立ち回っているのは伝わってきますが……。もったとしてもあと一発というところですかね」
シドウは彼を見た。
相変わらず、表情は一緒にいたころのものではない。明らかに違う。何度見ても違う。
やはり直視がつらい。つらいが、シドウは彼の顔を、濃い碧の目を見据えた。
今自分が見ているものは、現実。
しかし。
イストポートを出てからの馬車で見せていた、あの柔らかい笑顔。
マーシアの町に着いてから、なんの利益にもならないのに一緒に問題解決にあたってくれていた、あの面倒見の良さ。
孤軍奮闘する少年薬師に見せていた、あの優しさ。
別れ際に頭の上に載せられて、髪越しでも感じられた、あの温かい手。
あれらはすべて幻だったのか?
『私はそんなに優しくありません』?
それは――。
絶対、違う。
だからなおさら、勝たなければいけない。
ここで自分が敗れても誰も幸せにならない。
『ぶん殴っちゃって!』
打開を模索するシドウの頭の中に、ティアの発破が唐突に蘇った。
――そうか。
それは最高のタイミングだった。
シドウは最後の攻撃に出た。
一緒にいたころには見えなかった彼の瞳の奥。それは今も見えない。
だが今度は確信をもって突っ込んでいった。
アランが手のひらをシドウに向けた。
「これで終わ――」
彼の言葉が、途切れた。
その濃い碧眼が、見開いた。
火魔法の爆音が……
起きなかった。
代わりに鳴り響いたのは、鈍い叩打音。
アランの黒服の中央に、人の拳、人間態のシドウの拳が刺さった。
シドウはドラゴン態を解除して攻撃を繰り出したのである。
赤髪の青年が、後方に吹き飛んだ。
大きな岩の壁面中央に背中から叩きつけられ、破片が飛び散る。
そのまま岩肌を滑り、地面へと落ちた。
シドウは人間態のままゆっくりと近づくと、すぐ前に立った。
「アランさん。魔法撃てたのに……撃ちませんでしたね」
岩を背に長座するような姿勢でだらりと下がっていたアランの首が、動く。
赤い筋がつたう顔で、シドウを見上げた。
「まさか……変身を……解くとはね……。人間の姿のあなたを見たら……撃てなくなってしまいました」
そう言うと、その口からゴボっと血が噴き出した。
「やっぱり、アランさんは優しい人なんです」
シドウは続けた。
「実は俺ら、ここに空から直接来たんじゃなくて、麓の登山道から来たんです。倒れていた兄や姉も見ました。誰も死んでなかったです。森も焼けていなかった」
「なるほど。そこから見られていたわけですか……。私の負けです。私の復讐の旅は……ここで終わりですね」
「安心してるんでしょう?」
「そうですね……全部あなたやティアさんの言うとおりだったのかもしれません」
アランはそう言って、目を伏せた。
ここでシドウが彼から目を離していたら、間に合わなかっただろう。
だが、シドウは顔を逸らさなかった。それが幸いした。
彼が腰の剣を抜き、自身の首に当てようとしたからである。
シドウはすぐに彼の手を払った。
彼の剣が回転しながら飛び、硬い地面にぶつかって乾いた音を立てた。
「だめですって!」
「もう終わりです。死なせてください。私は今日のためにここまで生きてきたようなも――」
「だめです!!」
シドウの声が大きかったせいか、アランの言葉が止まる。
「お願いです! 俺らはこれから昔の魔王城に行きます! 行って、アンデッドの実験をやめてもらうよう頼んでくるつもりです! でも俺、向こうに行ってもできるだけ乱暴なことをしたくないです! 甘いと言われるかもしれません! でもできれば平和に解決したいです! それにはきっと力が必要です! 俺らだけでは足りないかもしれません! だからアランさんが必要です! お願いします!」
自分でも気づかないうちに、シドウは彼の前で土下座していた。
「いや、俺らだけじゃない! 世界があなたの力を必要としていると思います! あなたはそれくらい力がある人なんでしょう!? 勝手なお願いなのはわかっています! でもお願いします! 俺らを、世界を、その力で助けてください!」
額が地にめり込む。いつのまにか流れていた涙が、硬い地面を濡らしていった。
「アランさんの故郷のことは! 俺でよければ一生謝り続けます! だからお願いです! 一緒に来てください! このとおりです! お願いします! お願いします! お願いします!」
シドウは何度言ったのかわからないくらい、大声でお願いしますと言い続けた。
……乱れた亜麻色の髪の上に、手が乗るまで。
「――!」
それは一度だけ、だがふわりと柔らかく、優しく乗った。髪越しでも温かい。
彼のものであることはすぐにわかった。
驚いて顔をあげると、すでに赤髪の青年は横を通り過ぎていた。
ゆっくりと、彼はデュラのもとへと歩いて行く。
その足取りはふらつき、背中のマントは汚れていたが、どこか凜然とした後ろ姿だった。
シドウは追わなかった。
アランが母親デュラの前に立つ。
デュラは横から顔を向けていたティアに一つ小さくうなずくと、姿勢を正した。
「赤髪の人間よ――」
「おっと。あなたの謝罪は受けません。息子さんにも謝らせません。私のちんけなプライドです。尊重してくださると嬉しく思います」
アランはデュラの言葉を遮ると、続けた。
「逆に私からの謝罪と頼みを受けていただきたい。私はあなたの息子さんによこしまな目的で近づき、行動を共にしていました。どうかお許しください。
そして、これからあなたの息子さんが大きなお仕事をされようとしていますが、私がそれに同行することを許可いただきたく思います。今度は、仲間としてね」
シドウからはアランの姿は後ろ側しか見えない。
だが確信した。きっと今は、記憶にあるものと同じ微笑を浮かべているのだろう、と。
「是非、母親としてお願いしたい」
お互いに頭を下げる両者。
シドウの全身が、やっと緊張から解き放たれた。
後ろに寝転がる。
空はいつの間にかところどころ雲が切れており、光が差していた。
「シドウ、お疲れさま。でも休憩するならこれ着てからにして」
ティアが近くに来たようだ。
「……あ、そうだね。ありがとう」
全裸であることを忘れていたシドウは起き上がり、顔を半分逸らしている彼女から着替えを受け取った。
気が抜けたせいと急激な変身解除をしたことによる負荷のせいか、急速に襲ってくる眠気。それに耐えながら、下の服を履き、上の服に頭を通す。
彼女のほうを見ると、ニヤニヤしていた。
「ん、何?」
「シドウってさ。人間の姿でも大きな声、出せたんだね」
「……まあ、一応」
「ねえ、わたしにも大きな声出してみて!」
ウキウキした顔で言われ、ただでさえ力の入らない全身から一層力が抜けた。
視界が白っぽく、遠くなっていく。
「そのうちね」
シドウはそう言うと、服を持ってきてくれたこと以外にも礼を言わなければならないことがあることに気づいた。
「あ、そうだ……ティア……」
「ん?」
彼女に近づきながら、話し始める。
「ありがとう……今の戦い、ティアの……おかげで……」
しかし途中で眠気に耐え切れず、彼女のほうに向かって倒れ込んだ。
「え、ちょっと!?」
そんな声が聞こえる。
全身が柔らかい感触で包まれたところで、完全に眠りに落ちた。
(三・五章『あなたは生き残りのドラゴンの息子に嘘をついた』 終)
凄まじい爆発音。
ドラゴン態の巨体が、黒煙をあげながら吹き飛ぶ。
「シドウ!」
「大丈夫!」
一度バウンドしたのちに体勢を立て直したシドウは、ティアの声に応えた。
そしてアランの手の動きを読み、地面からの炎を小さな跳躍でかわすと、ふたたびシドウは突入した。もちろんまた火魔法で弾かれる。
シドウは突入を繰り返した。
炎も吐いた。やはり彼にはほぼ無力だった。氷魔法で相殺されるだけだ。
爪も使った。足も使った。それでも彼には届かない。攻撃は読まれ、かわされ、逆に魔法で吹き飛ばされた。
――だめだ。戦闘能力が違いすぎる。
彼は長い時間を費やし、ドラゴンに対抗するためだけの努力を重ねてきた。
しかしシドウには、それだけでは説明できない差が存在しているように感じた。
『私は世界有数の魔法使いです』
彼は冗談半分のような調子で何度もそう言っていた。実はそれも嘘なのではないか。
地面から過不足のない炎を出せるほどの自由自在な火の操作ができて、たった一人でドラゴンを何体も同時に相手にできる? そんな魔法使いなど伝説にすら存在しない。
世界有数どころか、世界一……。
初めての人間との戦い。それがこんなに絶望的なものになるとは夢にも思わなかった。
でも自分は戦わなければいけない。
「うまく致命傷にならないように立ち回っているのは伝わってきますが……。もったとしてもあと一発というところですかね」
シドウは彼を見た。
相変わらず、表情は一緒にいたころのものではない。明らかに違う。何度見ても違う。
やはり直視がつらい。つらいが、シドウは彼の顔を、濃い碧の目を見据えた。
今自分が見ているものは、現実。
しかし。
イストポートを出てからの馬車で見せていた、あの柔らかい笑顔。
マーシアの町に着いてから、なんの利益にもならないのに一緒に問題解決にあたってくれていた、あの面倒見の良さ。
孤軍奮闘する少年薬師に見せていた、あの優しさ。
別れ際に頭の上に載せられて、髪越しでも感じられた、あの温かい手。
あれらはすべて幻だったのか?
『私はそんなに優しくありません』?
それは――。
絶対、違う。
だからなおさら、勝たなければいけない。
ここで自分が敗れても誰も幸せにならない。
『ぶん殴っちゃって!』
打開を模索するシドウの頭の中に、ティアの発破が唐突に蘇った。
――そうか。
それは最高のタイミングだった。
シドウは最後の攻撃に出た。
一緒にいたころには見えなかった彼の瞳の奥。それは今も見えない。
だが今度は確信をもって突っ込んでいった。
アランが手のひらをシドウに向けた。
「これで終わ――」
彼の言葉が、途切れた。
その濃い碧眼が、見開いた。
火魔法の爆音が……
起きなかった。
代わりに鳴り響いたのは、鈍い叩打音。
アランの黒服の中央に、人の拳、人間態のシドウの拳が刺さった。
シドウはドラゴン態を解除して攻撃を繰り出したのである。
赤髪の青年が、後方に吹き飛んだ。
大きな岩の壁面中央に背中から叩きつけられ、破片が飛び散る。
そのまま岩肌を滑り、地面へと落ちた。
シドウは人間態のままゆっくりと近づくと、すぐ前に立った。
「アランさん。魔法撃てたのに……撃ちませんでしたね」
岩を背に長座するような姿勢でだらりと下がっていたアランの首が、動く。
赤い筋がつたう顔で、シドウを見上げた。
「まさか……変身を……解くとはね……。人間の姿のあなたを見たら……撃てなくなってしまいました」
そう言うと、その口からゴボっと血が噴き出した。
「やっぱり、アランさんは優しい人なんです」
シドウは続けた。
「実は俺ら、ここに空から直接来たんじゃなくて、麓の登山道から来たんです。倒れていた兄や姉も見ました。誰も死んでなかったです。森も焼けていなかった」
「なるほど。そこから見られていたわけですか……。私の負けです。私の復讐の旅は……ここで終わりですね」
「安心してるんでしょう?」
「そうですね……全部あなたやティアさんの言うとおりだったのかもしれません」
アランはそう言って、目を伏せた。
ここでシドウが彼から目を離していたら、間に合わなかっただろう。
だが、シドウは顔を逸らさなかった。それが幸いした。
彼が腰の剣を抜き、自身の首に当てようとしたからである。
シドウはすぐに彼の手を払った。
彼の剣が回転しながら飛び、硬い地面にぶつかって乾いた音を立てた。
「だめですって!」
「もう終わりです。死なせてください。私は今日のためにここまで生きてきたようなも――」
「だめです!!」
シドウの声が大きかったせいか、アランの言葉が止まる。
「お願いです! 俺らはこれから昔の魔王城に行きます! 行って、アンデッドの実験をやめてもらうよう頼んでくるつもりです! でも俺、向こうに行ってもできるだけ乱暴なことをしたくないです! 甘いと言われるかもしれません! でもできれば平和に解決したいです! それにはきっと力が必要です! 俺らだけでは足りないかもしれません! だからアランさんが必要です! お願いします!」
自分でも気づかないうちに、シドウは彼の前で土下座していた。
「いや、俺らだけじゃない! 世界があなたの力を必要としていると思います! あなたはそれくらい力がある人なんでしょう!? 勝手なお願いなのはわかっています! でもお願いします! 俺らを、世界を、その力で助けてください!」
額が地にめり込む。いつのまにか流れていた涙が、硬い地面を濡らしていった。
「アランさんの故郷のことは! 俺でよければ一生謝り続けます! だからお願いです! 一緒に来てください! このとおりです! お願いします! お願いします! お願いします!」
シドウは何度言ったのかわからないくらい、大声でお願いしますと言い続けた。
……乱れた亜麻色の髪の上に、手が乗るまで。
「――!」
それは一度だけ、だがふわりと柔らかく、優しく乗った。髪越しでも温かい。
彼のものであることはすぐにわかった。
驚いて顔をあげると、すでに赤髪の青年は横を通り過ぎていた。
ゆっくりと、彼はデュラのもとへと歩いて行く。
その足取りはふらつき、背中のマントは汚れていたが、どこか凜然とした後ろ姿だった。
シドウは追わなかった。
アランが母親デュラの前に立つ。
デュラは横から顔を向けていたティアに一つ小さくうなずくと、姿勢を正した。
「赤髪の人間よ――」
「おっと。あなたの謝罪は受けません。息子さんにも謝らせません。私のちんけなプライドです。尊重してくださると嬉しく思います」
アランはデュラの言葉を遮ると、続けた。
「逆に私からの謝罪と頼みを受けていただきたい。私はあなたの息子さんによこしまな目的で近づき、行動を共にしていました。どうかお許しください。
そして、これからあなたの息子さんが大きなお仕事をされようとしていますが、私がそれに同行することを許可いただきたく思います。今度は、仲間としてね」
シドウからはアランの姿は後ろ側しか見えない。
だが確信した。きっと今は、記憶にあるものと同じ微笑を浮かべているのだろう、と。
「是非、母親としてお願いしたい」
お互いに頭を下げる両者。
シドウの全身が、やっと緊張から解き放たれた。
後ろに寝転がる。
空はいつの間にかところどころ雲が切れており、光が差していた。
「シドウ、お疲れさま。でも休憩するならこれ着てからにして」
ティアが近くに来たようだ。
「……あ、そうだね。ありがとう」
全裸であることを忘れていたシドウは起き上がり、顔を半分逸らしている彼女から着替えを受け取った。
気が抜けたせいと急激な変身解除をしたことによる負荷のせいか、急速に襲ってくる眠気。それに耐えながら、下の服を履き、上の服に頭を通す。
彼女のほうを見ると、ニヤニヤしていた。
「ん、何?」
「シドウってさ。人間の姿でも大きな声、出せたんだね」
「……まあ、一応」
「ねえ、わたしにも大きな声出してみて!」
ウキウキした顔で言われ、ただでさえ力の入らない全身から一層力が抜けた。
視界が白っぽく、遠くなっていく。
「そのうちね」
シドウはそう言うと、服を持ってきてくれたこと以外にも礼を言わなければならないことがあることに気づいた。
「あ、そうだ……ティア……」
「ん?」
彼女に近づきながら、話し始める。
「ありがとう……今の戦い、ティアの……おかげで……」
しかし途中で眠気に耐え切れず、彼女のほうに向かって倒れ込んだ。
「え、ちょっと!?」
そんな声が聞こえる。
全身が柔らかい感触で包まれたところで、完全に眠りに落ちた。
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