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八話
しおりを挟む私が帰宅した時、邸宅は妙な雰囲気に包まれていた。
みんな、気まずそうにしていたり、ソワソワしていたりしている。
でもそれを不思議に思うことはない。
なぜなら邸宅の前に停めてある馬車、そこに描いてあった紋章で彼らが何を言いたいのかを理解していたから。
「奥様……、申し訳ありません…。」
「気にしなくていいわ。貴方のせいではないもの。」
執事長のトーマスが申し訳なさそうに謝罪してくる。
私は別に気にしていないのでそれを軽く流した。
しかしトーマスはどこか顔色が悪い。
大丈夫だろうかと心配していたその時、応接室から旦那様とピンク色の髪の女性が顔を出した。
どうやら私の予想は当たったようだった。
「何だ、もう帰って来たのか。」
「…ええ。予定より早く帰路に着けました。」
数時間ぶりとは言え、帰宅した妻にかける第一声がそれなのだろうか。
今のは帰ってくるな、と言う言葉として受け取ってよかったんだろうか。
私にはそれくらい冷たい言葉に思えた。
確かに私が留守にしている間に女性を連れ込んでいたようだから、尚更。
というか、昨日の今日でよく不倫疑惑のある女を家に入れたな……と逆に感心してしまう。
そう思っていると、その隣に並んでいたフワフワした女性が元気よく私に声をかけて来た。
「アルヴィラ様!はじめまして~!私、ダリウスの幼馴染のマーガレットと申します!ぜひ仲良くしてくださいね!」
そう言い終わるや否や、マーガレット様は旦那様の腕にこれ見よがしに抱きついた。
なるほどな、と私は全てを理解すると同時に旦那様を見る。
当の旦那様はそれを振り解くことはしない。
そんな光景を見て、いつもこうして2人で歩いているのかと想像する。
不倫していないとあれほど強く言っておきながら、こんなことをしていては社交界で噂が流れるのは当然だろうし、これでは私が旦那様は不倫していると勘違いしても仕方ないのでは…?と思った。
振り解かないのは多分、旦那様もマーガレット様が腕に巻き付いてくることが旦那様の中での"当たり前"になっているのだろう。
2人は"幼馴染"だから。
「存じ上げておりますよ。ロミストリー伯爵家のマーガレット様ですよね。」
「まあ!知って下さっていたのですね!嬉しいですぅ~」
私はマーガレット様が抱きついている相手。
つまり旦那様をキッ睨みつけた。
すると旦那様もジッとこちらを見ていて、普段あまりしない私の睨みに動揺したのか、いつもの仏頂面を少しだけ動かした。
そんな旦那様に私は捲し立てるようにこう言った。
「旦那様。まさか昨日の今日で女性を家に上げるとは思いませんでしたわ。しかも私が知らない間に。本当に驚きました。」
「ーーー違う。これは……」
また自分本位の自己中心的な考えを話すつもりなのか、はたまた言い訳か、わからないが何かを話そうとしていた。
そんな旦那様を無理やり遮るかのように、マーガレット様が口を挟んだ。
「なになに~?ダリウスったら昨日の今日でって……、まさか昨日女の人を連れ込んでたの~?ダメじゃな~い!奥さんがいるのに!」
わざとらしい芝居だけど、こういうあざといところに男性は惹かれるんだろうなと思った。
しかしこの女の性根が腐っていることをすでに知っている私に、その手は通用しない。
そして次にマーガレット様はとんでもないことを言った。
「でもぉ~......それってアルヴィラ様に魅力がないからなんじゃないんですか?それなのに怒ったりしたらダメじゃないですか~!あなたのせいなのに!そんなんじゃまた社交界で噂されちゃいますよ~!石女だって!」
その瞬間、その場にいた全員が凍りついた。
マーガレット様だけがただ笑っていた。
この発言はどう考えても無礼だ。
さすがの私も怒りを覚え、口を挟もうとした。
その時、旦那様の一足早い一言で、またその場の空気が動き出す。
「……マーガレット、もう帰れ。」
「え~!どうして~?私、まだダリウスと一緒にいたい!」
目の前で繰り広げられるのは、まるで恋人同士の会話だ。
そうしてマーガレット様は甘えた声を出すと、旦那様をジッと見つめた。
しかし旦那様はそんな彼女を気にも留めず簡単に遇らう。
そして言いづらそうにこう言った。
「……アルヴィラが困っている。」
(いや、何でそこで私を理由に使うのよ……!たしかに困ってはいたけど……。サポートの仕方が少し違うんですけれど……。)
そう思うがそれと同時に、私の気持ちがわかったのか、と少しだけ感心する。
まあ、それだけで好感度なんてものは上がったりはしないけど。
だってそれが当たり前なのだから。
しかし旦那様は自分で言ったは良いものの不安なのか、私を確かめるように見て来た。
(あってはいるわよ……そこで私の名前を出さないでほしかったけれどね………。)
そんな私たちの目線だけのやり取りを見て何を思ったのか、マーガレット様は急に素直になった。
「………わかったわよ。」
言いくるめられた彼女はそれが気に食わなかったのか、単純に私が気に食わなかったのか、私に向かってこう言った。
「そうだ!今度お邪魔する時は親愛の印にベリータルトでも持ってこようかしら!」
「…………。」
私はこれがマーガレット様からの牽制だとわかり、思わず顔を歪ませた。
ベリータルトに関しては、私の髪色がベリー色だから言っているのだろう。
貴族女性はこうして言葉を巧みに使って相手を皮肉るのが上手い。
実際、社交界に行ったことのない使用人達や、男性である旦那様たちは今の発言の真意に気づいていない。
今の言葉の意味をそのままの意味として受け取っただろう。
しかし私にはわかる。
今、マーガレット様は私のことを馬鹿にしたのだと。
別に私は旦那様を好きではないし、むしろこんな夫がほしいなら貰ってくれて構わないとさえ思う。
そう思っても私が彼女に何も言わないのは、この1ヶ月、挽回に勤しむ旦那様のためでもあった。
「アルヴィラ?」
これが皮肉だと分かっていない旦那様は、私が険しい顔つきをしていることを不思議そうに見ていた。
私がいつまでも黙り込んでいたらマーガレット様が自分の方が優位に立っていると勘違いする。
私は別に旦那様を取り合うつもりは毛頭ないけど、私は自分の威厳を守るためだけに言い返した。
「……まあ!マーガレット様は雰囲気的にものんびりされている方だと思っておりましたが、お気遣いもできるお方だったのですね!さすがですわ!」
相手に対して使うこの"のんびり"と言う言葉は、相手を遠回しに"アホ"と言いたい時に使う貴族女性の言葉だ。
脳内お花畑なマーガレット様にピッタリの言葉だと思った。
私は心底ニコリと微笑むと、それに対してマーガレット様はムッとした表情をした。
マーガレット様はご自分の立場を弁えていらっしゃらないようだ。
私はこれでもまだアレンベル家の侯爵夫人。
いくら私が社交界で蔑ろにされているとは言え、ただの伯爵令嬢であるマーガレット様が馬鹿にして良いような相手ではない。
今までの社交界でも散々なことを言われたり、嫌がらせを受けて来たが、私はできる限りではあるがやり返してはいた。
今までもこれからもやられっぱなしじゃいられないから。
私が5年前、この家に嫁いで来て一番最初に学んだことが、自分の身は自分で守るということだった。
何故なら当時から社交界で笑い者にされていた私を、誰も助けてくれる人はいなかったから。
それは多分、今も、そしてこれからもそうだろう。
ずっとそう思っていた。
しかし目の前で突然、トーマスが激怒したようにマーガレット様に向かって叫んでいた。
「マーガレット様!先ほどから聞いていれば……無礼ですぞ!!奥様は侯爵夫人です!貴方が侮辱して良い相手ではありません!!!」
相当怒りを溜め込んでいたのか、トーマスはこの5年の間で私が初めて見るくらい、マーガレット様に対して激しく怒りを露わにしていた。
そんなトーマスが気に食わなかったのか、彼女もそれに応戦する。
「…ッ何よ!この老害!たかが使用人の分際で、私に歯向かうつもり?!」
どうやらマーガレット様はトーマスをあまりよく思っていないようだった。
とてもじゃないがその言葉遣いは品の良い淑女とは思えない。
使用人とは言え、トーマスに対してすごい物言いをしていた。
そこから2人の会話はさらにヒートアップしていった。
「トーマス!貴方、昔から目障りなのよ!いつもダリウスに偉そうに説教して!!ダリウスは貴方の主人なのよ?!」
「主人の間違いを正すのもまた使用人であり、当時から旦那様の教育係を担当していた私の責任でもあります!!マーガレット様に口を挟まれる言われはありません!!!」
「このッ……!」
「やめろ。」
マーガレット様がまた何かを言いかけた。
その時、旦那様の静止の声が入った。
その一言で2人の言い争いはピタリと止む。
「……マーガレット。先ほど帰れと言ったはずだ。何度も言わすな、早く帰れ。」
「何でよ!ダリウス!!」
「これ以上、ここで騒がれたら不愉快だ。………それに俺はこの後アルヴィラと話すべきことがある。」
そう言って何か含みのある目で私を一瞥する。
察するに先ほどマーガレット様に遮られた"言い訳"のことだろう。
その話に関しては別に聴きたくもないのでしなくても良いと思っていたが、マーガレット様には一刻も早く帰ってほしいと思っていたので、彼女を帰らせる口実になるのなら、と思い何も言わなかった。
そんな私を見た後、それを承諾と受け取った旦那様は使用人に指示を出した。
「……誰か、マーガレットを馬車まで送ってやれ。」
「ちょっと!ダリウス!」
尚もここに居座ろうと反抗するマーガレット様を執事達が取り囲んだ。
そしてその手を掴んで出口へと向かわせる。
「離しなさい!私は伯爵令嬢なのよ…?!この無礼者ども!!」
ここは侯爵邸だ。
ロミストリー伯爵家ではない。
使用人達は自身の主人ではないマーガレット様の指示には絶対に従わない。
マーガレット様は無理やり使用人たちに出口へと連れられながら、私の横を通る時、私にしか聞こえない声量で私に呟いた。
「アンタさえいなきゃ、私がここに居るはずだったのに……!この石女!早く出て行きなさいよ…!」
(そうしたいのは山々なんですけどね……。)
私は思わずため息を吐いて、憐れむような目でマーガレット様を見つめた。
しかし私を牽制することしか頭にないらしい彼女のその可愛らしいお顔は、今は見る影もなく嫉妬に歪んでいて、すごいことになっている。
「そうですか。いいですよ、別に。貴方が後妻になられたらいかがですか?」
「え……?」
マーガレット様はつい昨日、私が旦那様に離縁を叩きつけたことを知らないのだろう。
私に闘争心がないことに驚いたようだった。
その証拠に、彼女は拍子抜けしたような顔をしている。
「ちょっと、それどう言う意味よ、ねえ、」
彼女は使用人に腕を引っ張られながらながら、必死に質問するので私は律儀に返してあげた。
「そのままの意味ですが?本当にお似合いだと思いますよ?」
(2人揃って無礼なところが、特にね。)
最後の言葉は言わなかったが、心の中でだけで私はそう呟いた。
そして私は最後に満面の笑みで彼女を見送る。
マーガレット様はまだまだ良い足りないのか、納得いかないのか、外に出される最後の最後まで何かを言っているようだったが、トーマスや使用人達によって強制的にこの邸宅から出された。
「………アルヴィラ。」
騒々しい空気から一変、静かになったこの邸宅で旦那様の弱々しいその声に振り返る。
先ほど言ったように、私に話したいことがあるらしい。
確かに、今の私たちには話し合わなければならないことがありそうだと思った。
マーガレット様のこと然り、旦那様のこと然り。
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