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第三部

@47 冬

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「冬はやっぱりこれだな」
 手の中にあるコーンスープの紙カップで手を温める。冬の食堂は食事時でないときはこうやって日替わりのスープを提供している。食堂の角っこの席に僕は座り、多機能端末をそばに置いて雪と話していた。多機能端末をそばに置くのは僕以外に雪が見えないので通話のフリをするためだった。食堂はそこそこの話し声がするので僕と雪の会話は程よく隠れた。
「む~、ボクも飲みたい~」
 僕は何気なくカップを雪の方に突き出したが、彼が浮いているのを見て雪は幽霊だったと思い出した。
「ああ、そうか…飲めないのか。すまない」
「別にいいけどね~」
 僕は雪を撫でる。といっても触れることはできないので頭のあたりで手を動かすのみだった。それでも雪は喜んでくれた。
「そういえば、今年って雪降るかなぁ」
 昨夜、僕と経馬が交わした会話を雪は覚えていた。
「雪は降ってほしいのかい?」
「ボクの名前ってそこから来てるんでしょ? でも一回も見たことないからさ~」
「そうだったな、でも今年降らなくても来年も再来年もあるさ」
「…そうだね」
 僕はスープをずずっと啜る。
「お兄ちゃんは見たことあるんでしょ? どんな感じだった?」
 僕は記憶を遡る。最後に降ったのを見たのは…三年ぐらい前だろうか。中学生の頃で、僕が図書館でその日の勉強を終えて一人で帰っている途中に、頭にぽつりぽつりと降り出した。
「綺麗だった、でもすこし寂しかったよ」
 僕はその夜、傘を持っていなかった。頭や肩に雪は積もり続けた。寒さよりも、雪が降ったという話題を共有する相手がいなかったのが寂しかった。家に帰って僕は母親に言おうとしたが、母親はもう寝ていた。
「ふーん、なんか不思議~」
「しかしもう冬か…時間が経つのは本当に早い」
 九月に僕とユヅハと帰国し、ユヅハは正式に親と絶縁をした。下旬にも僕らは復学し、学校側から留年の通達を受けた。そして僕は経馬と仲を直し、すべてが元に戻った。僕やユヅハが良くない過去を思い出し精神的に疲弊することはあったが、その都度お互いに支えることで僕たちは安定して過ごせた。
「なんかお兄ちゃん、老人みたい」
 雪がへらへらと言う。
「これでも十八なんだけどね」
「そうだ、お兄ちゃんにひとつ教えてあげる」
 雪が僕に顔を近づける。きめ細やかな白い肌と大きな紅い眼がよく見えた。
「へぇ、何だい?」
 雪がこうやって自分から何かを話そうとするのは珍しく、僕は興味を持った。
「ボクってたびたび消えるでしょ?」
 深く考えたことはなかったが、雪が見えなくなるという状況はよくある。例えば僕が深くなにかに集中しているときや他の人間と話しているとき、雪は騒いだりしない。雪なりに僕に配慮をしてくれているのだ。しかし雪がそれを”消える”と表現しているのはすこし不思議だった。
「ああ、僕の邪魔にならないようにしてくれてるんだろう?」
 僕は雪のそんな配慮に感謝をしていた。
「ううん、お兄ちゃんがボクを消してるんだよ」
 思わずカップから口を離す。僕が雪を見ていないとき、雪は存在していないのだろうか。いいやそんなはずはない。雪はずっと僕のそばにいる。
「消えるって…君が隠れてるってことかい?」
 雪はぶんぶんと首を横に振る。
「そーゆーときは本当にいないんだ、どこにも」
「…その間の意識もないのかい?」
 いくつもの疑問が僕の心に浮かんだ。僕は雪の言うことを信じられなかった。僕がふと振り向けば雪はいつでもいる。消えてなどいないはずだ。
「うん、寝てるっていうのかな。そんな感じ。でもお兄ちゃんが振り向くとボクはいるんだ。しばらくするとずっと前から起きてたよーな気分になる」
 雪の認識もかなり曖昧なようだが、僕は何となく理解することができた。”寝てる”という表現は適切だと思われた。意識が遠のき、靄がかったようになるのだろうか。それ自体は僕が授業中に経験していることだ。
 そして僕は最も重要な疑問を尋ねた。
「その、嫌だったり怖かったりするのかい? 意識が途切れるのが…」
 雪が”消える”のは僕たちの睡眠とはわけが違う。雪の存在そのものが一時的であれ消失しているのだ。雪は僕の質問を聞いて、視線を上に向けて考える素振りを見せた。
「うーん…、よくわからないかも…消えたら何もないから。でも、」
 雪は空中を回転しながら続ける。
「消えてるあいだお兄ちゃんと話せないのはちょっと残念かも」
 僕は雪が”消える”ことを怖がっていてそれを今まで僕に隠していたのではないかと考えたが、少なくともそうではないようだったので安心した。
「知らなかった、もっと早く教えてくれても良かったんじゃないかい?」
「いまさら気づいたんだ~。さいきんよく消えてるから」
 僕がユヅハや経馬と話す機会が増えたからか、確かに最近雪を見ない時間は増えた。雪と出会った当初はずっと見えていた。雪にとって干渉できる相手は僕しかいない。僕は雪にとって無二の存在なのだ。そんな僕が雪に構わないのを彼は気にしているのだろうか。
「もっと君を意識した方がいいだろうか」
 雪は優しく首を横に振る。
「ううん大丈夫、寝てるのも悪くない気分なんだ。でもたまには話しかけてね」
 僕は目の前の幽霊を愛おしく思った。雪が僕のもとへ来てくれて本当に良かった。
「ああ、そうするさ。もし…ほかに何かしてほしいことがあったらいつでも言ってくれ」
 雪はくすくすと笑う。
「お兄ちゃん、優しくなったね」
 雪に言われると照れくさかった。僕は自分の変化を多少なりとも自覚している。そしてその要因の大きな部分を雪が占める。雪が僕を変えてくれたのだ。
「君がいるならどんな障壁も乗り越えられる気がしてきたよ」
 自分が自分らしくないと感じるほどに僕は楽観的になっていた。夏休みの一連の出来事でも僕は何度も雪に救われた。彼は僕に不可欠な存在になっていた。
「いまのお兄ちゃんならきっと一人でも大丈夫だよ」
 僕は自分の顔がほころぶのを感じた。
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