43 / 78
第二部
@43 飯店
しおりを挟む
ホテルは僕に不釣り合いに高級なところで、大きな窓からは輝く北京の夜景が見えた。僕は冷たい窓ガラスに触れ、そこに反射するウェイの姿を見た。彼はホテルの寝間着に身を包み白いベッドに座っていた。
「今になってようやく自分がどれほど冷静さを失っていたかわかります。あの計画は元々成功する可能性なんてなかった!」
審査所の急襲計画───。僕は彼の気持ちが痛いほどわかった。僕たちはそれぞれの動機に理性を失っていた。
「僕たちの実力が足りなかったのは事実だ。でも君が提案しなくとも…砂漠基地のメンバーはいずれあそこを襲っていただろう」
むしろ今回、一人も死傷者を出さなかったことを安堵するべきなほどだ。僕は誰もが引き金を引かなかったことを今更になって安心した。すこしでも状況が違っていたならと考えるとゾッとする。
「私が、もっと前にあそこが偽物だと気づいていたなら、誰も逮捕なんてされなかったんです…」
「ウェイ、自分を責めない方がいい」
僕は振り向いてテーブルの上にある小さな瓶を手にとり、それをすこし仰いだ。紅い星のロゴが入った白酒だ。口の中に一気にアルコールの味が広がる。眠れなかったら飲もうと思ってホテルの売店で買ったものだった。僕はそれをウェイに差し出す。彼もそれを一口仰ぎ、ため息を吐いた。
「北京に移住することに決めました」
「それはまたどうしてだい?」
「萩原孔樹に提案されたんです。私はもはや、藍色戦線にとっては裏切り者です。彼らは私を排除しようとするでしょう。なれば身の安全のために監視の行き届いている北京に移住してはどうかと」
「ああ、なるほど…」
僕は納得した。彼は居場所をひとつ失ったのだ。
「そこでひとつ…提案があるんです」
彼は僕と眼を合わせた。僕は中性的な彼の容姿に芸術的な美しさを感じた。
「今すぐに決めるような話じゃありません。ただ、検討してもらえたなら…」
ウェイは彼らしからぬ予防線の張り方をした。
「…私と暮らしませんか? ───もちろん、ここはあなたにとっては外国ですから…あなたが不便しないよう私が努力します。それに…チャンスがあれば一緒に日本に移住することだって…」
「それは…ユヅハと離れることになるのかい?」
突拍子もない彼の提案に僕は驚きつつも真っ先にそう尋ねる。彼は長い沈黙を挟んだ。
「今なら…聞きたいですか? ユヅハのもうひとつの隠し事を」
「…そうだな」
僕はアルコールに感謝をした。酒がなければ僕はまた傷つくことを恐れていたかもしれない。たまには思考を朦朧とさせることが必要なのかもしれない。
「わかりました。これを見てください」
彼は僕にMFD端末の画面を見せた。一人の青年が写っている───僕の写真だった。背景は何気ない都市風景だった。しかし問題は僕がこの写真を撮られた記憶がないことだった。写真の服装も記憶にない。僕はこれを良くできたコラージュ画像なのかと考えた。
「ウェイ、これは?」
「私の兄です」
彼は別に短い動画を僕に見せた。ウェイと彼の”兄”が写っている自撮りの動画だ。”兄”は病院のベッドに横たわっており、今より少し若いウェイと中国語で笑い合っていた。ウェイはまだ前髪が伸びておらず、顔がよく見えた。僕はその全く僕に似た人間を観察して、声質や振る舞いから彼が僕とは別人だと確信した。
動画だったとしても合成の可能性は拭い去れないが、僕はウェイにそれをする動機がないことを知っている。
「コズさん、あなたは私の兄、魏 雷進(ウェイ レイジン)に本当に似ているんです」
僕は病床に横たわる青年、レイジンを見た。僕と同じ顔をした別の人間だ。
「でも…これをなぜそんなに重大な隠し事だと?」
僕と似た人間がいたということが、なぜそれほどまでに隠されなければいけないのだろうか。
「私の兄が義肢職人だったということはもうご存知でしたよね」
「ああ、君の兄がユヅハの左腕の義手化を担当したことも知っている」
彼は気まずそうに言葉を繋げる。
「それでユヅハは、私の兄を…何というか…特別視したんです。おそらくは、私の兄を…自分の親から解放してくれる存在だと感じたのでしょう…」
僕は少しずつ、ある残酷な可能性を組み立てた。
「ユヅハが僕に近づいたのは…君の兄に似ていたから…?」
そうとしか考えられない。ユヅハが廃教会で経馬シンではなく僕に話しかけたのも、僕に彼女の弱点を見せたのも───
「僕は…ユヅハにとって…代わりでしかなかったんだ…」
「コズさん、ユヅハがこの真実を隠していたのは決してユヅハが実際にあなたを兄の代わりだと感じていたからではありません。ユヅハは…あなたがこの可能性に辿り着くことを恐れたのです」
ウェイは僕の肩に触れた。
「少なくとも彼女は私に、あなたのことを個人として愛していると言っていました」
「僕は君の兄さんの偽物なんだ」
「コズさん、あなたは特別です」
視界が潤んでぼやける。
「誰も僕を愛してくれないんだ。やっぱりそうだったんだ。当たり前だったんだ。僕のような人間なんて誰も…」
「コズさん、それは違います。あなたは特別なんですよ。私もあなたを個人として───愛しています」
僕は顔を上げる。ウェイがぼやけた輪郭で写る。
「…嘘だ」
僕は疑心暗鬼になっていた。それが単なる慰めなんじゃないかと。僕は彼の兄という英雄を妬まずにはいられなかった。
「ユヅハはあなたに嘘をついていました。あなたはその嘘のために命すら危険に晒した…」
彼の言葉は僕が感じていることを的確に貫いていった。
「私の傷は本物です」
彼は僕の手を彼の首もとに押し当てた。盛り上がった瘢痕の奥に彼の体温を感じる。
「コズさん、あなたは何も悪くない。あなたは被害者なんです」
僕は彼の言葉に裏があることを知っている。しかし今、僕は彼の言葉を必要としていた。僕は彼の体温をもっと受け取りたかった。
「…君はずるいよ」
彼は僕の手を引いて僕を彼に寄りかからせた。心臓の鼓動が聞こえる。僕は彼の骨ばった身体にもたれた。
「コズさん。あなたが信じてくれない限り、私があなたを兄の偽物として愛しているわけではないことを証明できません。だから、まずは私を信じてくれませんか」
ウェイが耳元で囁く。僕はどこか破滅的な欲望を感じた。何もかもが重要でなくなる。藍色戦線のメンバーたちや、あるいはユヅハのことだって。すべての責任を放棄したい。ただずっと彼の傍にいれたならどんなにいいだろう。
彼は僕に接吻をした。僕には驚きも抵抗もなかった。それが至極当然なことのように感じた。家族がハグをするような、そんな自然さ。彼は僕の腰に手を回し、あることを尋ねた。僕は迷いなく答える。彼の懸念はあまりに杞憂だったのだ。
「性別なんて関係ないよ」
「今になってようやく自分がどれほど冷静さを失っていたかわかります。あの計画は元々成功する可能性なんてなかった!」
審査所の急襲計画───。僕は彼の気持ちが痛いほどわかった。僕たちはそれぞれの動機に理性を失っていた。
「僕たちの実力が足りなかったのは事実だ。でも君が提案しなくとも…砂漠基地のメンバーはいずれあそこを襲っていただろう」
むしろ今回、一人も死傷者を出さなかったことを安堵するべきなほどだ。僕は誰もが引き金を引かなかったことを今更になって安心した。すこしでも状況が違っていたならと考えるとゾッとする。
「私が、もっと前にあそこが偽物だと気づいていたなら、誰も逮捕なんてされなかったんです…」
「ウェイ、自分を責めない方がいい」
僕は振り向いてテーブルの上にある小さな瓶を手にとり、それをすこし仰いだ。紅い星のロゴが入った白酒だ。口の中に一気にアルコールの味が広がる。眠れなかったら飲もうと思ってホテルの売店で買ったものだった。僕はそれをウェイに差し出す。彼もそれを一口仰ぎ、ため息を吐いた。
「北京に移住することに決めました」
「それはまたどうしてだい?」
「萩原孔樹に提案されたんです。私はもはや、藍色戦線にとっては裏切り者です。彼らは私を排除しようとするでしょう。なれば身の安全のために監視の行き届いている北京に移住してはどうかと」
「ああ、なるほど…」
僕は納得した。彼は居場所をひとつ失ったのだ。
「そこでひとつ…提案があるんです」
彼は僕と眼を合わせた。僕は中性的な彼の容姿に芸術的な美しさを感じた。
「今すぐに決めるような話じゃありません。ただ、検討してもらえたなら…」
ウェイは彼らしからぬ予防線の張り方をした。
「…私と暮らしませんか? ───もちろん、ここはあなたにとっては外国ですから…あなたが不便しないよう私が努力します。それに…チャンスがあれば一緒に日本に移住することだって…」
「それは…ユヅハと離れることになるのかい?」
突拍子もない彼の提案に僕は驚きつつも真っ先にそう尋ねる。彼は長い沈黙を挟んだ。
「今なら…聞きたいですか? ユヅハのもうひとつの隠し事を」
「…そうだな」
僕はアルコールに感謝をした。酒がなければ僕はまた傷つくことを恐れていたかもしれない。たまには思考を朦朧とさせることが必要なのかもしれない。
「わかりました。これを見てください」
彼は僕にMFD端末の画面を見せた。一人の青年が写っている───僕の写真だった。背景は何気ない都市風景だった。しかし問題は僕がこの写真を撮られた記憶がないことだった。写真の服装も記憶にない。僕はこれを良くできたコラージュ画像なのかと考えた。
「ウェイ、これは?」
「私の兄です」
彼は別に短い動画を僕に見せた。ウェイと彼の”兄”が写っている自撮りの動画だ。”兄”は病院のベッドに横たわっており、今より少し若いウェイと中国語で笑い合っていた。ウェイはまだ前髪が伸びておらず、顔がよく見えた。僕はその全く僕に似た人間を観察して、声質や振る舞いから彼が僕とは別人だと確信した。
動画だったとしても合成の可能性は拭い去れないが、僕はウェイにそれをする動機がないことを知っている。
「コズさん、あなたは私の兄、魏 雷進(ウェイ レイジン)に本当に似ているんです」
僕は病床に横たわる青年、レイジンを見た。僕と同じ顔をした別の人間だ。
「でも…これをなぜそんなに重大な隠し事だと?」
僕と似た人間がいたということが、なぜそれほどまでに隠されなければいけないのだろうか。
「私の兄が義肢職人だったということはもうご存知でしたよね」
「ああ、君の兄がユヅハの左腕の義手化を担当したことも知っている」
彼は気まずそうに言葉を繋げる。
「それでユヅハは、私の兄を…何というか…特別視したんです。おそらくは、私の兄を…自分の親から解放してくれる存在だと感じたのでしょう…」
僕は少しずつ、ある残酷な可能性を組み立てた。
「ユヅハが僕に近づいたのは…君の兄に似ていたから…?」
そうとしか考えられない。ユヅハが廃教会で経馬シンではなく僕に話しかけたのも、僕に彼女の弱点を見せたのも───
「僕は…ユヅハにとって…代わりでしかなかったんだ…」
「コズさん、ユヅハがこの真実を隠していたのは決してユヅハが実際にあなたを兄の代わりだと感じていたからではありません。ユヅハは…あなたがこの可能性に辿り着くことを恐れたのです」
ウェイは僕の肩に触れた。
「少なくとも彼女は私に、あなたのことを個人として愛していると言っていました」
「僕は君の兄さんの偽物なんだ」
「コズさん、あなたは特別です」
視界が潤んでぼやける。
「誰も僕を愛してくれないんだ。やっぱりそうだったんだ。当たり前だったんだ。僕のような人間なんて誰も…」
「コズさん、それは違います。あなたは特別なんですよ。私もあなたを個人として───愛しています」
僕は顔を上げる。ウェイがぼやけた輪郭で写る。
「…嘘だ」
僕は疑心暗鬼になっていた。それが単なる慰めなんじゃないかと。僕は彼の兄という英雄を妬まずにはいられなかった。
「ユヅハはあなたに嘘をついていました。あなたはその嘘のために命すら危険に晒した…」
彼の言葉は僕が感じていることを的確に貫いていった。
「私の傷は本物です」
彼は僕の手を彼の首もとに押し当てた。盛り上がった瘢痕の奥に彼の体温を感じる。
「コズさん、あなたは何も悪くない。あなたは被害者なんです」
僕は彼の言葉に裏があることを知っている。しかし今、僕は彼の言葉を必要としていた。僕は彼の体温をもっと受け取りたかった。
「…君はずるいよ」
彼は僕の手を引いて僕を彼に寄りかからせた。心臓の鼓動が聞こえる。僕は彼の骨ばった身体にもたれた。
「コズさん。あなたが信じてくれない限り、私があなたを兄の偽物として愛しているわけではないことを証明できません。だから、まずは私を信じてくれませんか」
ウェイが耳元で囁く。僕はどこか破滅的な欲望を感じた。何もかもが重要でなくなる。藍色戦線のメンバーたちや、あるいはユヅハのことだって。すべての責任を放棄したい。ただずっと彼の傍にいれたならどんなにいいだろう。
彼は僕に接吻をした。僕には驚きも抵抗もなかった。それが至極当然なことのように感じた。家族がハグをするような、そんな自然さ。彼は僕の腰に手を回し、あることを尋ねた。僕は迷いなく答える。彼の懸念はあまりに杞憂だったのだ。
「性別なんて関係ないよ」
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話
赤髪命
大衆娯楽
少し田舎の土地にある女子校、華水黄杏女学園の1年生のあるクラスの乗ったバスが校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれてしまい、急遽トイレ休憩のために立ち寄った小さな公園のトイレでクラスの女子がトイレを済ませる話です(分かりにくくてすみません。詳しくは本文を読んで下さい)
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件
森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。
学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。
そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる