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第二部
@32 馬鈴薯
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基地での生活はそうひどいものではなかった。しかし基地の外は違った。ゴビ砂漠の昼は火のように暑く、夜はかなり冷える。僕は定期偵察に同行しなければいけない場合を除いてほとんどをテントのなかで過ごした。この基地は荒涼とした砂漠にぽつんと存在するオアシスのようだった。
夕食時、僕は料理をスプーンで口に入れる。
「悪くない」
ユヅハが呟いた。改良されたこのじゃがいもは植物として見ると奇妙だが味は美味しかった。合成された動物性蛋白質と一緒に煮込まれたこの料理は日本の肉じゃがを思い出させる。味が濃くカロリーが高いのと引き換えに量は少なかった。僕は他の皆が誰もこの量に対して文句を言っていないのを見て更に要求することはできなかった。
「これだけ? 少なくない?」
僕の意見を代弁したのは李閲慕だった。彼女の隣に座っていたウェイはそれを聞いて頷いた。
「砂漠ですからね。食べるものや飲み水があるだけマシですよ」
李閲慕はそれを聞いて文句を謹んだ。
「二人はけっこう長い付き合い?」
ユヅハがウェイと李閲慕に尋ねた。
「もう数年になるでしょうか…藍色戦線に参加しないかと誘ってくれたのも彼女です」
「初めて出会ったのは68年ね」
「ああ、だから会ったことがない」
ユヅハは2067年に中華人民共和国を離れて日本の中学に入学した。もしそれ以前にウェイが李閲慕と出会っていたらウェイと仲が良かったユヅハとも親交があって良さそうなものだ。僕はそこまで考えてふと疑問に思った。
「ウェイ、君は生粋のFRC人じゃないのかい?」
ユヅハが小学校時代を過ごしたのは北京だ。そこで彼女はウェイと知り合った。ウェイはもともと中華人民共和国に住んでいたのだ。何かがあって後々にFRCに国籍を変更したと考えるの自然だ。考えてみれば彼の出自について僕はほとんど何も知らなかった。質問にウェイは頷いた。
「ええ。二年前、70年に李閲慕の助けを借りてFRCに亡命しました」
「それまで邏陽はお兄さんと暮らしてたんだけどね。病気で亡くなっちゃったの」
僕とウェイは視線を交差させた。幽霊が見えるのは僕と彼だけだ。僕はもう一つ疑問を抱いた。ウェイの両親は何があったのだろうか。僕がそれを尋ねるか迷っていると李閲慕がフォークを前に突き出して話し始めた。
「ウェイったらすごいのよ。コンピュータの技術だけですぐに私より上の階級に行っちゃったんだから」
ウェイはそれを聞いてすこし照れくさそうだった。李閲慕はまるで自分の武勇伝のようにウェイの輝かしい戦績をいくつも語った。ウェイは幾度も中国共産党や環華人民銀行にサイバー攻撃を仕掛けた。
例えば先月、環華人民銀行のサービスに二秒間異常が発生した事件があった。これもウェイの仕業だった。ウェイは彼のケーブルまみれの部屋から環華人民銀行に攻撃を仕掛けたのだ。
「そういえば二人はどうして藍色戦線に入ったんだい?」
「私は親や周りの人がそうだったからよ。入ったのは自分の意志だけどね」
「自分は…」
ウェイがそこまで言って言葉を切った。僕たちはウェイの言葉を待った。しかし口を開いたのは李閲慕だった。
「まあ私が可愛すぎたのもあるかもね。こんなコに誘われたら入らないほうがおかしいって」
李閲慕は自分にかなりの自信を持っているらしく、たびたび自分のことを可愛いと形容した。ウェイはそんな彼女の助け舟に迷いながらも乗ったようだ。
「ええ、まあ、それもあるかもしれませんね」
「え⁉ ほんとに⁉ やっぱり私可愛い⁉」
李閲慕はウェイの苦笑まじりの返事にはしゃいだ。
「この娘、邏陽のことが好きなんじゃないの?」
ユヅハは小声で僕に日本語で話しかけた。ああ、君と違って彼女はとても露骨だ。ウェイは実際、男女どちらからも好かれそうな容姿をしている。
「そういえばウェイの性対象はどっちなんだい?」
僕も小声でユヅハの耳元に囁く。
「…さぁ?」
ユヅハはそもそも興味がなさそうだった。
ウェイと李閲慕の出身地が違うことは彼らが英語で会話している理由でもあった。僕はてっきり彼らが中国語のわからない僕を気遣ってくれているものと思っていた。
李閲慕は広港市で生まれた。その広港市では広東語という方言が支配的だ。方言といっても発音は標準的な北京官話と全く違うらしい。李閲慕は中国語ではその広東語しか話せず、広港市に移住したばかりのウェイもまた中国語では北京官話しか話せないのであった。機密性の高い会話もする彼らにとってはオンライン翻訳を使うよりも英語を使うほうが合理的だったのだ。
「その刺青、何か意味があるの?」
ユヅハは李閲慕に尋ねた。彼女の腕や腹、顔にはいくつも派手な模様が刻まれていた。左頬の薔薇が特徴的だった。
「いんや、ただのオシャレよ。その気になればいつでも消せるしね」
刺青を入れる人は年々増えている。刺青自体は除去技術が進歩したことで完全な可逆性を持っている。しかし皮膚に模様を刻むという神秘性は衰えていない。
「あんたたちも何か入れてあげようか? こう見えても腕に自信はあるわ。ここのとかも自分で入れたのよ」
彼女は腹に描かれた銃弾を指差した。描かれた銃弾は立体感を持っており、彫った人間の技量の高さを示していた。僕とユヅハは顔を見合わせる。
「互いの名前を入れるっていうのはどう?」
ユヅハの提案は魅力的だったが、痛みが数週間も続くということを聞いて僕はせめて計画が成功してからにしようとユヅハを説得した。
夕食時、僕は料理をスプーンで口に入れる。
「悪くない」
ユヅハが呟いた。改良されたこのじゃがいもは植物として見ると奇妙だが味は美味しかった。合成された動物性蛋白質と一緒に煮込まれたこの料理は日本の肉じゃがを思い出させる。味が濃くカロリーが高いのと引き換えに量は少なかった。僕は他の皆が誰もこの量に対して文句を言っていないのを見て更に要求することはできなかった。
「これだけ? 少なくない?」
僕の意見を代弁したのは李閲慕だった。彼女の隣に座っていたウェイはそれを聞いて頷いた。
「砂漠ですからね。食べるものや飲み水があるだけマシですよ」
李閲慕はそれを聞いて文句を謹んだ。
「二人はけっこう長い付き合い?」
ユヅハがウェイと李閲慕に尋ねた。
「もう数年になるでしょうか…藍色戦線に参加しないかと誘ってくれたのも彼女です」
「初めて出会ったのは68年ね」
「ああ、だから会ったことがない」
ユヅハは2067年に中華人民共和国を離れて日本の中学に入学した。もしそれ以前にウェイが李閲慕と出会っていたらウェイと仲が良かったユヅハとも親交があって良さそうなものだ。僕はそこまで考えてふと疑問に思った。
「ウェイ、君は生粋のFRC人じゃないのかい?」
ユヅハが小学校時代を過ごしたのは北京だ。そこで彼女はウェイと知り合った。ウェイはもともと中華人民共和国に住んでいたのだ。何かがあって後々にFRCに国籍を変更したと考えるの自然だ。考えてみれば彼の出自について僕はほとんど何も知らなかった。質問にウェイは頷いた。
「ええ。二年前、70年に李閲慕の助けを借りてFRCに亡命しました」
「それまで邏陽はお兄さんと暮らしてたんだけどね。病気で亡くなっちゃったの」
僕とウェイは視線を交差させた。幽霊が見えるのは僕と彼だけだ。僕はもう一つ疑問を抱いた。ウェイの両親は何があったのだろうか。僕がそれを尋ねるか迷っていると李閲慕がフォークを前に突き出して話し始めた。
「ウェイったらすごいのよ。コンピュータの技術だけですぐに私より上の階級に行っちゃったんだから」
ウェイはそれを聞いてすこし照れくさそうだった。李閲慕はまるで自分の武勇伝のようにウェイの輝かしい戦績をいくつも語った。ウェイは幾度も中国共産党や環華人民銀行にサイバー攻撃を仕掛けた。
例えば先月、環華人民銀行のサービスに二秒間異常が発生した事件があった。これもウェイの仕業だった。ウェイは彼のケーブルまみれの部屋から環華人民銀行に攻撃を仕掛けたのだ。
「そういえば二人はどうして藍色戦線に入ったんだい?」
「私は親や周りの人がそうだったからよ。入ったのは自分の意志だけどね」
「自分は…」
ウェイがそこまで言って言葉を切った。僕たちはウェイの言葉を待った。しかし口を開いたのは李閲慕だった。
「まあ私が可愛すぎたのもあるかもね。こんなコに誘われたら入らないほうがおかしいって」
李閲慕は自分にかなりの自信を持っているらしく、たびたび自分のことを可愛いと形容した。ウェイはそんな彼女の助け舟に迷いながらも乗ったようだ。
「ええ、まあ、それもあるかもしれませんね」
「え⁉ ほんとに⁉ やっぱり私可愛い⁉」
李閲慕はウェイの苦笑まじりの返事にはしゃいだ。
「この娘、邏陽のことが好きなんじゃないの?」
ユヅハは小声で僕に日本語で話しかけた。ああ、君と違って彼女はとても露骨だ。ウェイは実際、男女どちらからも好かれそうな容姿をしている。
「そういえばウェイの性対象はどっちなんだい?」
僕も小声でユヅハの耳元に囁く。
「…さぁ?」
ユヅハはそもそも興味がなさそうだった。
ウェイと李閲慕の出身地が違うことは彼らが英語で会話している理由でもあった。僕はてっきり彼らが中国語のわからない僕を気遣ってくれているものと思っていた。
李閲慕は広港市で生まれた。その広港市では広東語という方言が支配的だ。方言といっても発音は標準的な北京官話と全く違うらしい。李閲慕は中国語ではその広東語しか話せず、広港市に移住したばかりのウェイもまた中国語では北京官話しか話せないのであった。機密性の高い会話もする彼らにとってはオンライン翻訳を使うよりも英語を使うほうが合理的だったのだ。
「その刺青、何か意味があるの?」
ユヅハは李閲慕に尋ねた。彼女の腕や腹、顔にはいくつも派手な模様が刻まれていた。左頬の薔薇が特徴的だった。
「いんや、ただのオシャレよ。その気になればいつでも消せるしね」
刺青を入れる人は年々増えている。刺青自体は除去技術が進歩したことで完全な可逆性を持っている。しかし皮膚に模様を刻むという神秘性は衰えていない。
「あんたたちも何か入れてあげようか? こう見えても腕に自信はあるわ。ここのとかも自分で入れたのよ」
彼女は腹に描かれた銃弾を指差した。描かれた銃弾は立体感を持っており、彫った人間の技量の高さを示していた。僕とユヅハは顔を見合わせる。
「互いの名前を入れるっていうのはどう?」
ユヅハの提案は魅力的だったが、痛みが数週間も続くということを聞いて僕はせめて計画が成功してからにしようとユヅハを説得した。
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