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第二部

@31 合流

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 九月二日、僕とユヅハは列車に揺られていた。再び中華人民共和国へ向かうためだ。藍色戦線の主な拠点はFRCにあるが、中華人民共和国にも隠れた支部がある。我々はそこと合流をするのだ。
 この列車にウェイと李閲慕はいない。FRC人は中華人民共和国に合法的な手段で入国することはほとんど不可能なのだ。彼らは身分を隠して入国するために他の手段を使うとのことだった。いったいどんな手段を使うのかは興味深かったが、聞きそびれてしまった。
 入国後、駅から出た僕たちの前に無人の車が停まった。ウェイが用意したものだ。懐かしい自動運転の車が連れて行ってくれたのは郊外にある二十四時間営業のカフェだった。着いた頃にはすでに深夜だった。
「長旅ご苦労さまです」
 僕とユヅハはコーヒーを注文してウェイたちのいる卓に就いた。広い店内には離れた席に見える夜遊びの若者集団や、コーヒー一杯で夜を明かそうとしている老人しかいなかった。若者たちの笑い声が響く。
「君たちこそ」
「はいどうぞ」
 李閲慕は紙包みを二つ机の上に置いた。僕とユヅハはそれを手に取り、僕は持ち慣れたその重さですぐに何かわかった。重さからして李閲慕が丁寧なことに弾丸を装填してくれたことがわかった。
「二時間後に出発するわ」
「何かを待っているのかい?」
「私たちは個人証明IDを持っていないの。だからスキャナーを避けなくっちゃ」
 個人証明IDは個人証明企業から発行されるもので僕たちや中国人なら誰でも持っているが、FRC人である彼らはそれを持っていない。スキャナーで個人証明IDを所持していないことが判明したらすぐに不法入国者だとバレてしまう。
「街中のスキャナーは常に稼働しているわけではありません。スキャナーごとに空白の期間が発生します。基本的には複数台が稼働することでその空白期間をカバーしていますが、それでも隙間が生まれます」
「それが二時間後というわけか」
 ウェイと李閲慕が頷く。僕とユヅハは席について冷たいコーヒーを啜った。良い眠気醒ましになる。
「萩原孔樹についてはどれほど摑めましたか?」
 ウェイが李閲慕に尋ねる。萩原孔樹、ユヅハの父親、そしてユヅハが復讐を誓った相手。
「だいたいは萩原ユヅハから聞いた通りね。審査所の環華人民銀行側の最高責任者で、妻の萩原陶(すえ)と施設内で生活してる。施設からはめったに出ないって感じ」
 僕たちの急襲計画では警備体制が本格的に起動する前に決着をつけなくてはならない。そのため萩原孔樹についての調査はあまり大きな意味を持たない。これは完全に復讐のための事前調査だ。
「ここからがあんたたちの欲しい情報でしょ? 環華人民銀行は厳しい社則でも知られてる…失敗は許されず責任は重大。審査所の責任者は強大な権限を付与される代わりに、絶対にフィネコン社の審査所を危険に陥らせることがあってはならないってワケね。万が一は許されず、何かがあった場合の処罰は重い…らしいわ。良かったわね」
「それってつまり…」
「審査所への急襲は復讐になる」
 そう呟いたユヅハの視線は鋭かった。
 それから二日後、ゴビ砂漠にある藍色戦線の拠点と合流するために僕たちは砂漠に走る長い道路を車に乗って進んでいた。窓の外に見えるのは一面の黄砂だった。長く黒い道路に僕たちの他に車はなく、単調な景色は数時間も続きまるで僕たち以外の人類がみな消え去ったかのように感じた。風に運ばれた砂埃が窓に当たって音を立てる。李閲慕がつけたラジオが雑音混じりの歌を流し続けている。今の時代ラジオ番組はほとんど消滅しており、今流れているのは定期点検代わりの著作権の切れた古い曲ばかりだった。半世紀か、下手したら一世紀も前の曲ばかりを聞いていると本当に自分たちが世界から孤立しているようにすら感じられた。
 ウェイは車の操作盤に命令を入力して車を停めた。待ち合わせ場所に着いたのだ。待ち合わせ場所といっても辺りに目印となるものは何もなく、どこまでも伸びる道路とどこまでも広がる砂漠しかなかった。
 僕たちは強い陽射しから目を守るためにGDAIグラスをサングラスモードに切り替えた。視界が暗くなり最適な色味と明るさになった。車から降りた僕は靴越しに伝わる地面の熱さに驚く。乾燥した熱風がびゅうびゅうと吹き、砂塵を舞い上げる。
 初めにそれに気づいたのはユヅハだった。彼女の指差した先には小さな点がいくつも動いていた。動物の群れにも似たそれらは砂漠の砂を踏みしめながら僕らの方へと近づいてきた。彼らが道路の近くに来て僕はようやくその奇妙な輪郭の正体を知った。彼らは武装した人間だったが、奇妙な乗り物に跨っていた。六本の脚が生えた、大きめな馬ほどの大きさの機械だった。彼らはそれをまさに馬のように手繰っており、その機械や彼らの服は砂漠と同じ黄褐色だった。それだけでなく彼らの銃も同じく砂色で迷彩されていた。注目していないとかなり近づいていても見逃してしまいそうだ。
 彼ら、十数人のうちの一人が前に進み出てきた。覆面をしていて顔が見えない。彼は僕らの方を向き、何かを話した。しかしその男が発したのは意味のない英語の単語群だった。
 ウェイは呼応するように別の単語群を返した。その落ち着いた声色から僕はこれが敵味方を識別する類のものであると勘付いた。男は覆面を外して友好的な笑顔を見せた。彼は若い西洋人だった。
「彼は藍色戦線、ゴビ砂漠拠点の基地司令です」
 若い男はウェイといくつか挨拶を交わした。ウェイは藍色戦線の中でかなり重要な地位にいるらしく、男は敬意を払ってウェイと接していた。
 僕たちは男の指示に従って彼らと同じように機械に跨った。乗って初めてわかったがこれは意外と安定している。砂漠地帯ではきっと車よりも良い移動手段なのだろう。
 僕たちが動き出してしばらくすると、乗ってきた車はひとりでに転身して来た道を戻っていった。あれは僕たちがレンタルした車輌だ。使用を終了すると自動で帰るようになっている。ウェイによると記録を改竄しているので我々がここまで来たことは探知できないとのことだった。
 道路の上の車には到底敵わないが、機械の移動速度は想像以上に速かった。周期的に上下する背中に乗って砂漠を進むとラクダに乗っているような気分になった。
「車は使わないの?」
 李閲慕は基地司令に尋ねた。
「こういった地形では車輪よりも脚の方が安定して移動できる。だから我々はこの”Mule(ラバ)”を六十台所持している」
 李閲慕は答えに納得したようだった。そして僕はこの六本脚の乗り物がMuleと呼ばれていることを知った。もちろん動物としてのラバには似ても似つかないので、人や荷物を運ぶという役割から付けられた名前だろう。
 数時間後、基地司令に渡された水筒が空になった頃に僕たちは基地に着いた。僕は拠点は地下にあるのだろうと勝手に思っていたが、着いたのは大規模なテント群だった。テントの表面も彼らの服と同じ黄褐色だった。これもまたよほど近づかないと見つかりそうになかった。テントは完全に周囲と同化していた。
「みすぼらしく見えるかい?」
 基地司令は僕の考えを察したかのようにそう言った。
「こう見えても最先端の技術が詰まっている。このテント幕はほとんどの電磁波を偽装したり遮断することができるので人工衛星からは完全に周囲と同化して見える。設備だって小型化と低電力化の粋が詰まっている。例えばこのスーツケースは軍用の遠距離通信機と同程度の性能を持っている」
 僕たちはジッパーを開けてテントに入った。僕はようやく眩しすぎる日光から逃れられることを喜んだ。
「高原遊牧民族のパオを知っているか? この基地はあれを先端技術で再現したものだ。すべての機能は数時間で解体することができ、数時間で構築することができる」
 若い基地司令は僕たちに基地を自慢するのに忙しいようだった。外からの人間は珍しいのだろうか。中華人民共和国と藍色戦線、この基地はいわば敵地に拠点を設置しているのと同じことだ。位置を知られるということは壊滅に直結する。いざというときにすぐに逃げられるような設計は大胆だが意味がありそうだ。
 僕はテントの中にいる人間たちを見て驚いた。彼らのほとんどが僕たちぐらいの年齢から二十代後半ほどだったのだ。
「驚いた。みんな若いんだね」
「ああ、ここのメンバーのほとんど十代から二十代だ」
 基地司令が答え、ウェイが後に付け足す。
「そもそも藍色戦線自体が成り立ちからして学生運動と密接に結びついた組織ですからね。若い人間が多いんです」
 僕は彼らとの間に深い溝を感じた。彼らは人生のごく初期に思想を自分のものとして、そしてその思想に命や人生を捧げる覚悟をしたのだ。僕のような政治や思想を自分とは関係のないものだとして遠巻きに眺めていた人間とはまったく違う。
「電力や彼らの食糧は? 補給経路はなさそうだけれど」
 尋ねたのはユヅハだった。
「いい質問だ。まずエネルギーだが、陽光発電やメタン発酵で大部分が賄える。基地の全ての機器は極低電力で動作するように設計されている」
 僕はテント内のすこしだけ薄暗い電灯を見上げる。
「そして食糧は…実際に見せよう」
 彼は僕たちをひときわ大きいテントに案内した。中を見て僕は紫色の電灯に驚いた。棚に並んだ大量の鉢から見たことのない植物が生えていた。
「紫外線が出ているので電灯を直視しないように。これは我々の生命線だ。じゃがいもを改良したものだが…五十人の戦士の腹を満たすカロリーと栄養価を提供する。別のテントでは動物性蛋白質の培養をしている。この基地はMuleや工作員を使って定期的な補給を受けているが、補給なしでも約三ヶ月間活動できるように設計されている」
 僕は感嘆した。この基地は藍色戦線に持っていた印象そのものだ。最先端の技術を駆使してその姿を隠し、常に最前線で息を潜めて機会を伺っている。
「コズさん、ユヅハ、こちらへ。渡すものがあります」
 僕とユヅハはウェイのいるテントに移動して折りたたみの椅子に座った。薄い板を折り紙のように立体化したものだった。試しに畳んでみると軽い一枚の板になった。
「新しい個人証明IDです。ここで偽造したものですが一週間しか効果を持ちません。二人ともケイタス物流の従業員という設定です」
 彼は僕たちに上下の肌着と多機能端末、GDAIグラスを渡した。
「その肌着は今埋め込まれているチップを隠蔽し、偽造された身分を表示します」
 親が個人証明企業と契約していると僕たちは出生時に米粒ほどの電子情報チップを肩か尻に埋め込まれる。そこには個人証明IDが記載されており、空港で通った奇妙な鳥居のようなスキャナーで読み取ることで身分が特定される。
 僕とユヅハはそれらを受け取った。
「さっそく色々送っとくわね」
 李閲慕が僕たちの新しい多機能端末にいくつもファイルを転送した。そのほとんどが計画に関するものだった。
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