94 / 116
25.届く言葉-2
しおりを挟む諦念と絶望の中に沈んだヴィオラは、その日も温室の小さな広場のカウチソファに座って、ぼんやりと虚空を眺めて過ごしていた。
以前は、どうにかしなくてはと必死に頭を働かせていた。だが、もう今は何も考えていない。考えないようにしている。考え始めてしまったら、自分のしてしまったことや、温室の外の社会では全てを失っていることが目の前に迫ってきて、気が触れそうになるのだ。
なるべく思考を止めて、それが難しければイザークのことだけを思い出すようにしている。今日は朝には来なかったから、代わりに夜に来てくれるはずだ。
イザークは、ヴィオラが全てを諦め愛欲に溺れはじめてからは、酒を飲ませなくなった。酩酊させずとも、ヴィオラは彼の求める言葉を返すからだ。
既に、逃げ出すことは欠片も考えなくなっていた。出入り口の外に立って守る近衛兵や、世話をしに来る侍女にも、解放や協力を訴えかけなくなった。むしろ今は、外のことなど知らせないで欲しいと思っている。
(……いつもの時間より早い)
噴水の水音に混じって、この小さな広場へ続く道の煉瓦を踏む足音が近付いてきている。
一人ではない。普段は侍女がこの後に夕食を運んでくるが、まだ外は日が落ちたばかりで、早すぎる。
座ったまま、広場の入り口である茂みの間へ、顔を向けて待つ。
そうして現れたのは、一組の男女。金色の髪を背に流した女性と、身長の高い帯剣した男。
「――ぁっ……!」
王妃のオフェリアと護衛騎士のグスタフだ。
二人が誰なのかを認識すると、思考にかかっていたもやが一瞬にして晴れ、ヴィオラは即座に地面へ平伏した。
吐き気がするほどの緊張。遅れて嫌な汗が噴き出てくる。
筆頭秘書官であった時には、王妃をこのように恐れたことなどなかった。だが今は、ヴィオラは彼女にとって、夫を、王子たちの父親を、最も低俗とされる年初の相手との不貞へ引きずり込み、堕落させた罪人だ。
必死に頭の中から追い出していた現実の一部が、自ら温室の中へやってきた。
ヴィオラは、王妃が自らを処断するために来たのだと考え、震えていた。
罰が怖いのではない。何ならこの場でグスタフに切り捨てられても文句は言えない立場だと理解している。それよりも、彼女と王子たちへ与えた苦痛がいかほどのものか、それを突きつけ責められることが恐ろしいのだ。
「お、王妃様……。どうか……」
許しを乞う言葉が出かけて、呑み込んだ。
ヴィオラは国王の秘書官でしかなかったが、オフェリアに声をかけられて、私的な内容で談笑したこともある。王子や姫を、抱かせてもらったり、少しの間遊び相手を任せられたりもした。イザークとオフェリアとその子供たちは、仲の良い、幸せな家族だった。
それをヴィオラが壊したのだ。許しを乞える立場でも、許される程度の罪でもない。
0
お気に入りに追加
80
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
【R18】愛され総受け女王は、20歳の誕生日に夫である美麗な年下国王に甘く淫らにお祝いされる
奏音 美都
恋愛
シャルール公国のプリンセス、アンジェリーナの公務の際に出会い、恋に落ちたソノワール公爵であったルノー。
両親を船の沈没事故で失い、突如女王として戴冠することになった間も、彼女を支え続けた。
それから幾つもの困難を乗り越え、ルノーはアンジェリーナと婚姻を結び、単なる女王の夫、王配ではなく、自らも執政に取り組む国王として戴冠した。
夫婦となって初めて迎えるアンジェリーナの誕生日。ルノーは彼女を喜ばせようと、画策する。
女性執事は公爵に一夜の思い出を希う
石里 唯
恋愛
ある日の深夜、フォンド公爵家で女性でありながら執事を務めるアマリーは、涙を堪えながら10年以上暮らした屋敷から出ていこうとしていた。
けれども、たどり着いた出口には立ち塞がるように佇む人影があった。
それは、アマリーが逃げ出したかった相手、フォンド公爵リチャードその人だった。
本編4話、結婚式編10話です。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
(R18)灰かぶり姫の公爵夫人の華麗なる変身
青空一夏
恋愛
Hotランキング16位までいった作品です。
レイラは灰色の髪と目の痩せぎすな背ばかり高い少女だった。
13歳になった日に、レイモンド公爵から突然、プロポーズされた。
その理由は奇妙なものだった。
幼い頃に飼っていたシャム猫に似ているから‥‥
レイラは社交界でもばかにされ、不釣り合いだと噂された。
せめて、旦那様に人間としてみてほしい!
レイラは隣国にある寄宿舎付きの貴族学校に留学し、洗練された淑女を目指すのだった。
☆マーク性描写あり、苦手な方はとばしてくださいませ。
巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる