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21.帰る場所-2

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 騎士たちからヴィオラの誘拐の報を受けた公爵は、イザークの動きの不可解さに気付いた。
 なぜ一旦帰した娘を、わざわざ近衛兵を使ってまで連れ去ったのか。ヴィオラの方に関係を継続するつもりはないようだったが、姦通した相手を手元に置くためというなら、帰さずそのまま捕まえておけばよかったはずだ。
 その疑問が湧けば、たった一日で素早く姦通の噂が広まったことも妙に思える。城で働く者だけでなく、登城した貴族の幾人かの耳に入るほど、早く広く伝わっていた。何者かの働き掛けがある。それは、結果から遡って考えれば、イザークに他ならない。
 二人の不貞の事実を流布して社会的地位を貶め、噂を聞いた公爵にヴィオラを責めさせ実家へ帰る道も潰す。それらをヴィオラ本人に理解させた上で誘拐した。これ以外に一度帰した理由や噂の浸透速度の説明がつかない。全てイザークが仕組んだのだ。
 であれば、晩餐の席でヴィオラが、抑えた酒量にもかかわらず泥酔したことは、無関係とは思えない。発端である姦通そのものすら、イザークの弄した策略だったのではないか。
 公爵は、もうそこまで行き着いているのだろう。だからこそ、葡萄酒の正体を問うている。

 しかし、イザークはこれを公爵に隠すつもりはなかった。

「……いや。多量に飲めば、獣欲で見境なく襲い掛かり、記憶も失う麻薬だ。一度目はグィリクス王国で私が盛られ、二度目は晩餐の席で騙してヴィオラへ飲ませた。どちらも、そなたの娘を凌辱した。この答えで満足か」

 ほんの一瞬、公爵の瞳の焦点がぶれた。あまりの怒りに気が遠のいたのかもしれない。それと同時に、彼の手が反射的に自分の腰の左側を探ったのを、イザークは見逃さなかった。

「剣を取り上げておいたのは、正解だったようだな」

 部屋の前に立つ近衛兵に、事前に公爵から武器を預かるよう指示しておいた。もし公爵の腰に剣が下げてあれば、イザークは切り伏せられていたかもしれない。

「陛下は、娘を凌辱しておきながらそれを不貞と思い込ませ、同様に周囲へ知らしめ、行き場がなくなるよう仕向けられたのですか。そのために、娘の名誉を地に叩き落したというのですか」

 身の内で怒りを滾らせるであろう公爵の目つきは、ともすれば普段と変わりなく、冷静に見えた。だが親しくしてきたがために、彼のあらゆる表情に接してきたイザークには分かる。この初めて向けられた、悪寒のするほど冴え冴えとした眼差しこそが、公爵の抱く殺意なのだ。覚悟して臨んでいるイザークでも、その深く突き刺すような視線に慄然とせざるを得ない。
 だが、イザークは落ち着きを装い、あえてゆっくりと足を組んで座り直した。

「そうだ。私がヴィオラを手に入れるために、彼女の誇りと尊厳を踏みにじった。これでヴィオラは、公爵家はおろか、伯爵家も頼ることができない」

 イザークの凶行とその原因は自らにあるという誤解。さらに全てを失ったという絶望が、ヴィオラの冷静な思考を奪っている。全ての策はこの状況を整えるためだ。
 公爵に真相を語っているのは、別に彼にだけ知らせたいからではない。イザークが真実を隠したい相手はヴィオラだけだ。そしてヴィオラに誤解を与えることに成功し、彼女に外部と連絡を取る手段がない今となっては、他の誰に知られても構わない。

「娘がどれほどの努力を重ねて、秘書官の座をつかみ取りその地位を確立したのか、陛下ならばご存じでしょう。それをこのようなやり方で貶めるなど、惨すぎる仕打ちでは――」
「わかっている!」
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