10 / 116
04.正直者-1
しおりを挟む
イザークが八歳の時のことだった。
王家の狩猟場で父王や貴族たちが狩りを行う、季節の催しの日。まだ子供のイザークは連れてこられるだけで、危ないからと男たちが戻るのを待たされるばかりで面白くもなんともない。
天幕の傍を不機嫌にうろついていると、男が一人近寄ってきた。
黒に近い紫色の髪と鮮やかな青い瞳。怜悧な顔立ちのその男は、ルドヴィーク公爵だ。数代前の王弟が臣籍へ下り始まった家で、血は遠いが王家とも混じっている。年齢は父王と同じぐらいのはずだ。
「今年も殿下には退屈な催しのようですな」
礼をとってから顔を上げた公爵は、まるで子供に接するように穏やかに語りかけてきた。
確かに年齢としては子供ではあるが、イザークは父王の子の中で唯一存命の男児だ。王太子として自覚を持って日々邁進している。それを普通の子供のように扱われることは、正直不愉快に思っていた。
一方で公爵はイザークにおかしな遠慮がない。イザークの周囲にいる父王以外の他の人間は、大げさに褒めるなど過剰な配慮をしてくる。それがイザークにとっては苛立ちの種であった。だが公爵は、そのような半ば嘘の世辞は口にしない。イザークを煙に巻くことは言うが、本心で接してくれているように感じる。
だから、公爵からのそこはかとない子供扱いを不満に思いつつも、貴重な正直な人間として遠ざけることはしていなかった。
「猟場まで連れてくるだけ連れてきておいて、あとは放置するのだから、退屈で当然だ」
「そうでしょうな」
公爵はふっと笑みを漏らす。だが、それだけを話しにきたわけではないようだ。
「そう思慮いたしましたので、遊び相手はいかがでしょうか?」
「どの家の息子だ。そなたの息子たちはもう育ちすぎていて私とは満足に付き合えないようだが」
公爵には何人か息子がいて、イザークよりいくらか年上だ。息子たちはもう成長期を迎えているため、八歳のイザークとは体格にかなり差があり、遊びにならない。気遣われるのもやはりつまらない。
ところが公爵が用意した相手は、新しい人材だった。
「いえ、私の三人目の娘です」
「何?」
イザークは思い切り不満顔を浮かべた。父王には感情を易々と表に出すなと言いつけられているが、どう感じているか伝えなくては相互理解が進まないので、イザークは父王の目がない限り無視している。
そんなことより娘とは一体どういうつもりか。
「娘のヴィオラは陛下と同い年です。背丈も同じぐらいですかな」
遊び相手として娘で十分と言いたげな公爵は、イザークが全く乗り気でないことは見て取れただろうが、平然と話を進める。
近頃は城でも女性官吏を登用しているものの、貴族社会での役割分担は旧態依然としている。イザークは表立って口にしないが、内心は女とままごと遊びでもさせるつもりかと、公爵を叱りつけてやりたかった。
「公爵、そなたの娘は正直者か? そなたよりも」
そこで、別の方向から娘の資質を問うことにした。
公爵は顎に手を当てて少し考え、片膝をついてイザークと目の高さを合わせる。それはまさしく小さな子供相手だからこその行動だったが、眼差しだけは、先ほどと打って変わって真剣に細められた。
「……殿下。常に正直であることだけが、殿下にとっての信頼の条件だとお考えでしたら、それは狭量というものですな。悪意ある正直者も、善良な嘘つきもいるでしょう。そしてその時々に応じて行動は変わるはずです。殿下はご自分がいずれにあたるとお考えですか」
「私は何でも正直に答えている」
逆に自分の資質を問われているようで、憮然として返した。だが公爵は穏やかに笑うばかりだ。
「はは。善良か否かはお答えになりませんでしたな」
「父上もそなたも、私の揚げ足を取らなくては気が済まないようだな」
父王も、分かりやすくイザークへ苦言を呈したり叱責することはない。公爵のように遠回しに嫌味を言うことが多い。
「そうではありません。まあそうですな……。私の娘はそれなりに正直で、時に嘘つきですが、おおむね、おそらく私よりは善良ですよ」
「なぜそのように言える」
「早くにままならぬことを知り、その上で自分のできうることをしているからです。いずれ分かりましょう」
公爵は笑みを収め、いやに深く陰った目で、娘のことを語った。それがイザークには、真剣な空気で誤魔化そうとしているように感じられた。
「はぐらかすな」
「では代わりに、娘が嘘つきになっている時の癖を教えて差し上げましょう。少しの間目を閉じてから話します。嘘をつく時全てに当てはまるわけでありませんが、その仕草をした時は大概嘘です」
「ふうん」
それを使えば、公爵の娘がイザークに思ってもない世辞という嘘をついた時に、判別できる。たしかに便利かもしれない。
「ですが、これを娘の嘘を暴くことに利用してはなりません」
イザークにはわけが分からなかった。嘘は悪いことのはずだ。
「なぜだ。悪事は正さねばならないだろう」
「悪意のある嘘であれば悪事にあたるでしょうな。娘が嘘をつくとき、目的よりも、心情を想像してみてください。今後、殿下のお役に立ちましょう」
やはり公爵の話は分かりづらい。いつか役に立つとか、いずれ気付くとか。父王も公爵も、なぜイザークに、今、明確にものを語らないのか。
王家の狩猟場で父王や貴族たちが狩りを行う、季節の催しの日。まだ子供のイザークは連れてこられるだけで、危ないからと男たちが戻るのを待たされるばかりで面白くもなんともない。
天幕の傍を不機嫌にうろついていると、男が一人近寄ってきた。
黒に近い紫色の髪と鮮やかな青い瞳。怜悧な顔立ちのその男は、ルドヴィーク公爵だ。数代前の王弟が臣籍へ下り始まった家で、血は遠いが王家とも混じっている。年齢は父王と同じぐらいのはずだ。
「今年も殿下には退屈な催しのようですな」
礼をとってから顔を上げた公爵は、まるで子供に接するように穏やかに語りかけてきた。
確かに年齢としては子供ではあるが、イザークは父王の子の中で唯一存命の男児だ。王太子として自覚を持って日々邁進している。それを普通の子供のように扱われることは、正直不愉快に思っていた。
一方で公爵はイザークにおかしな遠慮がない。イザークの周囲にいる父王以外の他の人間は、大げさに褒めるなど過剰な配慮をしてくる。それがイザークにとっては苛立ちの種であった。だが公爵は、そのような半ば嘘の世辞は口にしない。イザークを煙に巻くことは言うが、本心で接してくれているように感じる。
だから、公爵からのそこはかとない子供扱いを不満に思いつつも、貴重な正直な人間として遠ざけることはしていなかった。
「猟場まで連れてくるだけ連れてきておいて、あとは放置するのだから、退屈で当然だ」
「そうでしょうな」
公爵はふっと笑みを漏らす。だが、それだけを話しにきたわけではないようだ。
「そう思慮いたしましたので、遊び相手はいかがでしょうか?」
「どの家の息子だ。そなたの息子たちはもう育ちすぎていて私とは満足に付き合えないようだが」
公爵には何人か息子がいて、イザークよりいくらか年上だ。息子たちはもう成長期を迎えているため、八歳のイザークとは体格にかなり差があり、遊びにならない。気遣われるのもやはりつまらない。
ところが公爵が用意した相手は、新しい人材だった。
「いえ、私の三人目の娘です」
「何?」
イザークは思い切り不満顔を浮かべた。父王には感情を易々と表に出すなと言いつけられているが、どう感じているか伝えなくては相互理解が進まないので、イザークは父王の目がない限り無視している。
そんなことより娘とは一体どういうつもりか。
「娘のヴィオラは陛下と同い年です。背丈も同じぐらいですかな」
遊び相手として娘で十分と言いたげな公爵は、イザークが全く乗り気でないことは見て取れただろうが、平然と話を進める。
近頃は城でも女性官吏を登用しているものの、貴族社会での役割分担は旧態依然としている。イザークは表立って口にしないが、内心は女とままごと遊びでもさせるつもりかと、公爵を叱りつけてやりたかった。
「公爵、そなたの娘は正直者か? そなたよりも」
そこで、別の方向から娘の資質を問うことにした。
公爵は顎に手を当てて少し考え、片膝をついてイザークと目の高さを合わせる。それはまさしく小さな子供相手だからこその行動だったが、眼差しだけは、先ほどと打って変わって真剣に細められた。
「……殿下。常に正直であることだけが、殿下にとっての信頼の条件だとお考えでしたら、それは狭量というものですな。悪意ある正直者も、善良な嘘つきもいるでしょう。そしてその時々に応じて行動は変わるはずです。殿下はご自分がいずれにあたるとお考えですか」
「私は何でも正直に答えている」
逆に自分の資質を問われているようで、憮然として返した。だが公爵は穏やかに笑うばかりだ。
「はは。善良か否かはお答えになりませんでしたな」
「父上もそなたも、私の揚げ足を取らなくては気が済まないようだな」
父王も、分かりやすくイザークへ苦言を呈したり叱責することはない。公爵のように遠回しに嫌味を言うことが多い。
「そうではありません。まあそうですな……。私の娘はそれなりに正直で、時に嘘つきですが、おおむね、おそらく私よりは善良ですよ」
「なぜそのように言える」
「早くにままならぬことを知り、その上で自分のできうることをしているからです。いずれ分かりましょう」
公爵は笑みを収め、いやに深く陰った目で、娘のことを語った。それがイザークには、真剣な空気で誤魔化そうとしているように感じられた。
「はぐらかすな」
「では代わりに、娘が嘘つきになっている時の癖を教えて差し上げましょう。少しの間目を閉じてから話します。嘘をつく時全てに当てはまるわけでありませんが、その仕草をした時は大概嘘です」
「ふうん」
それを使えば、公爵の娘がイザークに思ってもない世辞という嘘をついた時に、判別できる。たしかに便利かもしれない。
「ですが、これを娘の嘘を暴くことに利用してはなりません」
イザークにはわけが分からなかった。嘘は悪いことのはずだ。
「なぜだ。悪事は正さねばならないだろう」
「悪意のある嘘であれば悪事にあたるでしょうな。娘が嘘をつくとき、目的よりも、心情を想像してみてください。今後、殿下のお役に立ちましょう」
やはり公爵の話は分かりづらい。いつか役に立つとか、いずれ気付くとか。父王も公爵も、なぜイザークに、今、明確にものを語らないのか。
1
お気に入りに追加
83
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。
鯖
恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。
パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。


【R18】愛され総受け女王は、20歳の誕生日に夫である美麗な年下国王に甘く淫らにお祝いされる
奏音 美都
恋愛
シャルール公国のプリンセス、アンジェリーナの公務の際に出会い、恋に落ちたソノワール公爵であったルノー。
両親を船の沈没事故で失い、突如女王として戴冠することになった間も、彼女を支え続けた。
それから幾つもの困難を乗り越え、ルノーはアンジェリーナと婚姻を結び、単なる女王の夫、王配ではなく、自らも執政に取り組む国王として戴冠した。
夫婦となって初めて迎えるアンジェリーナの誕生日。ルノーは彼女を喜ばせようと、画策する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる