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後編
34.許し-4
しおりを挟む「あらぁ? セーデルルンド先生?」
間延びしたような声に呼ばれて、涙が収まる程度の時間を抱き合っていた二人は、弾かれるように勢いよく離れた。
忘れてはならない。ここは学校という職場の、正門から続く道であり、春休みとはいえ真昼間だ。
いつの間にか正門の側から歩いてきていたらしい声の主は、若い女性であった。
「お久しぶりねぇ。ちょっと雰囲気変わられたかしら」
「お、お久しぶりです。ディーサ先生……」
十代半ばの少女にしか見えないその人は、アルヴィドの前任のベゼルス部顧問である、産休へ入った変身魔術の教師のディーサだ。
彼女は今でこそ、その道の先駆者であるが、若いころの変身魔術の失敗により、少女の姿から成長しなくなってしまっている。実年齢は三十代前半だそうだ。
イリスは、往来でアルヴィドと抱き合い口づけまでしてしまったことに、今さら焦って羞恥心を覚えていた。アルヴィドも同様で、現場を見られて決まりが悪そうにしている。
「そちらはどなた?」
アルヴィドはディーサが休みに入ってから雇われたため、面識がない。
「こちらは、ベゼルス部顧問として勤められている、ノイマン先生です。ノイマン先生、こちらが、今産休へ入られている、変身魔術の教師で、部活の前任のディーサ先生です」
双方へ紹介すると、二人はお互いに名乗って挨拶を交わした。
「ディーサ先生、その、先程のことは……」
どう口止めを頼んだものかとしどろもどろになるイリスに、ディーサはからっとした笑い声を上げる。
「心配しなくても誰も見てないわぁ。……私と、グンナル先生以外」
イリスは背後へ向けられた彼女の視線の先へ、勢いよく振り返る。
校舎の陰から咳払いをしながら出てきたのは、校長室にいたはずのグンナルだった。
「追いついたか気がかりでな……。すまなかった」
グンナルは常に眉間にしわを寄せている外見の印象通り、好き好んで他人の色恋沙汰を見に来るような人ではない。本当に心配して追いかけて来てくれたところ、気まずい場面へ遭遇してしまったらしい。目を逸らしている。
ディーサを除いて居心地悪く感じていたが、幸いにも彼女が話題を変えてくれた。
「グンナル先生、来てくださって丁度良かったわぁ。校長室をお訪ねしようと思ったら、塔を上らなきゃいけないんですもの」
どうやら、産休中のディーサが学校を訪れた理由は、グンナルに用事があってのことのようだ。
「夫からご相談があったかと思いますけど、産休に続けて新年度から彼と二人で育児休暇を取らせていただきたいの。産んでみたら双子ちゃんで、しかもすでに魔力を放つものだから長い時間は預けられないし、私一人じゃ手に負えないのよぉ」
アルヴィドがどうやら知らない様子だったので、イリスは話を遮らない声量で耳打ちする。
「ディーサ先生の旦那さんは、カッセル先生」
「あの人結婚してたのか」
グンナルは特段考え込む様子はなく、深く頷いた。
「当初の想定から状況が変わることはある。気にせず休みなさい。カッセル先生にも話してある」
「ありがとうございます、グンナル先生」
赤ん坊の内に魔力を発現していると、まだ幼いためにうまく制御できない。魔術として放っていないので、ただの魔力の塊でしかないが、馬鹿に出来ない威力を持っていることがある。その子を世話する際、場合によっては、防御障壁を築く魔術を常にかけておかなくてはならない。
カッセルは普段寮暮らしのため、隣町へ構えたディーサの待つ自宅へは、休日にしか戻らない。ディーサ一人で魔力持ちの赤ん坊二人を世話するなど、イリスには想像もつかない波乱の育児環境だろうと、他人事ながらぞっとした。
ディーサとの話がついたグンナルは、アルヴィドへ向き直り、書面を一通取り出した。アルヴィドの受け取ったそれは、彼が提出したはずの退職届だった。
「アルヴィド、これはもう不要かと思うが、新年度から戦闘系魔術の授業を受け持つ気はないか。正規の教師として。丁度席が空いた」
カッセルが担当していた科目だ。
ルーヘシオンで教鞭を執るには並の魔術師では務まらない。だが、アルヴィドの戦闘技能の優秀さは、イリスを襲撃した魔術師を即座に制圧したことでお墨付きを与えられている。
戦闘系魔術の授業は目が行き届くよう少人数で行うため、担当教師が複数在籍している。受け持つ生徒の人数を調整すればいいので、カッセルが戻ってきても人員が余ることはない。従って産休へ入ったディーサの代理のように、期限付きの雇用にする必要もない。
アルヴィドは話が順調に進み過ぎていることが信じがたいのか、少し呆けていたが、すぐにグンナルへ頭を下げた。
「よろしくお願いします、グンナル先生」
こうしてアルヴィドは、部活顧問しか担当しない薄給の非常勤講師から、正規雇用の戦闘系魔術の担当教師に変わったのだった。
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