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後編
34.許し-2
しおりを挟む幸いにもアルヴィドはまだ学校の敷地内にいた。
校舎から正門までの、植え込みに挟まれた広く長い通路。薄紅色の花をつけた木が整然と並び、風が吹くたびその小さな花弁を散らして道に積もらせる。
その春の柔らかな光景の中を、トランク一つの身軽な後ろ姿が歩いていく。
イリスが走って追いつくと、アルヴィドは少し離れたところで立ち止まった。
「まだ、一年経っていないわ」
振り返りかけたアルヴィドは横顔を見せたが、すぐに前を向き直す。
「……イリス、君はまた僕を許そうとしてくれているのだろう。僕が昔と変わったから、先ほどのことも何かの間違いだと。だが、理性を留める魔術が破れた途端にあのようなことができた僕は、おそらくエーベルゴート家での記憶にかかわらず、異常者だ」
人格形成の根幹を成す生家での記憶を消されたアルヴィドは、そこから他人の記憶を引き継いだも同然の別人と化した。残されたおぞましい記憶を抱えて生きるにあたり彼を支えたのは、元の怪物と自らは違う、絶対に同じことはしないという、一種の自信だった。そうでなくては耐えられなかった。
しかしそれは同時に、何かの拍子にかつての自分と同じ思考へ戻らないか、同じ愚挙を犯さないかという怖れにも繋がった。
イリスは息を整えながら、かぶりを振る。
「違う、アルヴィド。セムラクが破れた時は反作用で、押し込めてきた感情に呑まれて、人としての箍が外れてしまうことがある。その結果、正常なら絶対にしない行動を取ってしまう。あれはあなたがした行いだけれど、あなたが自分の意思で決めたことじゃないわ」
「許さなくていい。君が許すとしても、僕はこれ以上君を傷つけたくない」
アルヴィドは頑なに背を向けたままだった。
もう何の言葉も、その中にある心も、届かなくなってしまったのではないか。そんな不安がイリスの胸に湧き起こる。
「傷ついてなどいないわ。あの時は何が起きているのか、わからなくて怖かった。でも今はわかっているから、怖くない。あなたに掴みかかった時、悲しかったのは、治療が終わってあなたも喜んでくれると思っていたのに、心を閉ざしてしまっていたから。やっと、あれを過去のことにして、何の後ろめたさもない関係になれると……、未来へ目を向けて、新しく始められると思っていたから」
イリスはアルヴィドへ歩み寄り、後ろからその手を握る。彼の手は震えていた。
振り払って逃げられてしまわないか心配だったが、アルヴィドはその場にとどまっている。
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