96 / 114
後編
31.最後の治療-3
しおりを挟む「……おめでとう、イリス。今後、また辛いことがあったとき、もしかすると症状が戻ってくるかもしれない。だが君はもう、危険なことと、不安になるけれど実際には危険ではないことが、区別できるようになっている。だから、その時は自分の心へ意識を向けて、症状を自覚して、学んだことを生かしてその状況と向き合っていくといい。そうすれば、恐怖は減っていくはずだ」
まだ現実との対峙訓練は残っているが、アルヴィドとの面談は終わりだ。実質的に彼から施す治療が完了したのだ。
アルヴィドの結びの言葉を受けて、イリスはそれを再度認識した。
そして、頭の中で反芻し準備していた話を、彼の青い目を見つめて伝える。
「私、長い間将来のことをしっかり考えられてなかった。明日何をしなくてはならないとか、研究をどうするかとか、間近の予定だけで、やりたいことは全然思い描けなかったわ。きっと、嬉しさや楽しさを忘れていたからだと思う。でも今は少し、抽象的だけど、したいことがある。ありがとう、アルヴィド。私に未来へ目を向けさせてくれて。だから――」
だから、被害者と加害者ではなく、同じ傷を乗り越えた者として、対等な友に。
しかしイリスは、言いようのない違和感に、言葉を止めた。
じっと話を聞き入るアルヴィドは、真剣な様子ではある。だが、何かが違う。
その目から、感情が抜け落ちている。
先日までは、強い輝きはなくとも、穏やかで温かい眼差しをイリスへ向け、治療の進展を静かに喜んでくれていた。
このような、冷たさすら感じる凪いだ面持ちではなかった。思えば、今日は始めからこの様子だった。
急な変化に、長年それに頼ってきたイリスだからこそ、とある可能性へ思い至った。
「アルヴィド、あなた……、セムラクを使っているの?」
違うと言ってほしかった。だがアルヴィドは、隠しはしても、嘘はつかなかった。
「その答えは、君の治療に関係しない」
明確な拒絶は、同意だった。
彼は、セムラクで心を閉ざしている。イリスと、この場で感情を分かち合うことを拒んでいる。
アルヴィドは精神魔術の適性が低く、学生時代は授業も選択していなかった。だが低いだけであって、適性はなくはない。魔力と正確な詠唱さえあれば、精度は著しく落ちるが術の行使が可能だ。
愕然とするイリスは、一瞬息ができなくなった。
それを見たアルヴィドは、まるで煩わしいものを目にしたかのように、顔を背ける。
「どうして……」
「もう、帰らせてもらう。私の役目は終わった」
イリスは、立ち上がるアルヴィドに掴みかかった。
彼のシャツの胸元を握りしめ、まるで縋りつくようで、さぞ見苦しいことだろう。それでもイリスに自分を省みる余裕はない。
「どうして!」
「やめてくれ、イリス」
湧きあがる激情が、涙と、心をむき出しにした言葉を引きずり出す。
「やっと自分を守らずに外へ出られるようになったのに。あなたが私を治したのに……!」
イリスが恐ろしいというのなら、なぜ彼の説いた治療のように恐怖へ身を晒さず、セムラクへ逃げるのか。なぜ自分の心の傷だけは、共に治させてくれないのか。
「イリス、これ以上は――」
「どうしてあなたが、今さら私を拒絶するの!?」
「あ……」
イリスの心からの訴えに、無表情だったアルヴィドの様子が変わった。
セムラクが作用していれば、感情は出ないはずだ。だがため息のような微かな声を漏らした彼の瞳には、感情の色が乗っている。
イリスは、セムラクの使用者が踏み入れてはならない領域へ、アルヴィドの背を押してしまったのだ。
10
お気に入りに追加
132
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない
かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」
婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。
もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。
ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。
想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。
記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…?
不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。
12/11追記
書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。
たくさんお読みいただきありがとうございました!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる