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後編

31.最後の治療-2

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「お疲れ様」
「ありがとう」

 アルヴィドの差し出した、水の入ったグラスを受け取り、体を起こして喉を潤す。
 それを傍らのテーブルへ置くと、イリスはアルヴィドへ向き直った。

「初めて過去との対峙訓練をしたときのことを、覚えているか」
「ええ。酷い有様だった」
「その時に比べて、今回はどう感じた?」

 初回のように自らを失う程の恐怖や苦痛に襲われることはもうない。中断せず、淡々と終わりまで一貫して話せるようになった。

「すごく、嫌な記憶であることに変わりはないわ……。でも、今にして思えば、初めて話したときは、ずっと思い出さないように目を背けていたから、私の中で未消化のまま隣に付きまとう、今の記憶になってしまってたのだと思う。今の出来事だから、あれほど鮮烈で怖かった」

 アルヴィドは表情を変えることなく、静かに相槌を打っている。

「もう分かっているわ。今は思い出しても、記憶が襲い掛かってくるような感覚はない。ちゃんと、過去の記憶にできてると思う。思い出せば嫌な気持ちになるし、悲しくなる。けれど、思い出すことは危険じゃない。この記憶に、これ以上傷つけられることはない」

 記憶は、一つを思い出せば紐づく他の記憶も引き出される。
 あの出来事を思い返すと、同時に、この数か月アルヴィドと共に乗り越えてきた治療の記憶もよみがえる。彼も苦しみながらイリスを前へ進ませてくれた、折れそうになる心を奮い立たせる記憶。

「あのことで、自分を責めてしまったり、他人を信じられなくなったりしていた。そこに何か変化はあるか?」

 かつてのアルヴィドが悪事を働いたとしても、イリスは自分に落ち度があったのではないかと、少なからず思っていた。同級生に安易な同情をしてよく分からない場所へ着いて行き、学校の有名人だからと差し出された飲み物を不用意に口にした。何か、抵抗できたのではないか、と。
 だが、それらは以前の考えだ。

「もし、私の家族が同じ目に遭ったら、必ず言うわ。あなたのせいじゃない、って」

 安全なはずの学校の中で、どうしてあのような惨禍に遭遇すると警戒できるのか。教師の信頼も厚い上級生から差し出された物を、他の生徒もいる前でどうして突き返すことができたというのか。

「あの日、エレーンさんに同情しなければよかったと、ずっと後悔してた。なんて馬鹿なことをしたんだろうと。他人の心の内なんて、知るのも、思いやるのも、もうしたくなかった。……けれど、あの一回が、全部じゃないと分かったわ。あなたと、グンナル先生の心が知れて、信じて、本当に良かったと思ってる」

 グンナルの悔恨と覚悟、そしてイリスを案じる心が分かったから、治療へ踏み出せた。
 アルヴィドがイリスと同じ心の傷を持ち、罪悪感に身を焼かれていると知ったから、その辛い治療への励ましを、疑わず受け入れることができた。

 彼らだけではなく、他の同僚たちや生徒たちも、心を閉ざして接さねばならないほどの人はいない。セムラクで、世界から自分の心を守る必要はない。
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