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後編
30.返還-3
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「だから――」
イリスの手が、そっと離れる。
アルヴィドは、自分の目を疑った。
残されたアルヴィドの手のひらの上には、古めかしい意匠の指輪があった。アルヴィドを念じるだけで操れる魔法道具。治療に際し、アルヴィドの危険性を無くすための、イリスの生命線。
「これも、もう無くて大丈夫」
後で魔法契約も解除しようと、イリスはそう告げた。
「本当は、もっと前から無くても良かったんだと思うわ。でも、私にそれを確かめる勇気がなかった。あなたのことを信じているのに、体が勝手に怖がってしまったら、どうしようかと」
指輪を手放し、危害を加えられない魔法契約も解除するという。
それらは、イリスの、心からの信頼の証に他ならなかった。
ベネディクトへ立ち向かった彼女の言葉が、今さら胸に染み渡っていく。彼女はアルヴィドが、記憶の一部が無いだけではなく、その性根も昔とは違うと信じてくれている。
「泣かないで」
「……っ、すまない」
いつの間にか、涙が頬を流れ落ちていた。アルヴィドは慌ててシャツの袖で拭う。
イリスは、かつても、そしてつい最近までも見せたことのない、穏やかで、それでいて内側から輝くような微笑みを浮かべる。
「行きましょう、休憩時間に入ってしまうわ」
そしてアルヴィドの手を取ると、階段を下り始めた。
イリスに触れられた手が、彼女を映す目が、心臓が、熱い。
手を引きながら踊り場に着いたイリスは、思い出したように振り返る。
「そうだ。私が治ったら、今度はあなたの残りの治療をしましょう。私が先生になるわ」
アルヴィドは、過去との対峙訓練という、心の傷の原因となった記憶を他人へ語る治療が行えていない。それが未だに治り切らない原因でもあった。
イリスは、アルヴィドを許し、治そうとしている。
『――私はこの病気を必ず治す。自分のためだけではなく、みんなのためにも』
以前そう決意を口にした彼女に、アルヴィドはまさかグンナルだけではなく、自分のことまで許そうとしているのではないかと、都合の良い期待をしそうになって自嘲した。
だがおそらくイリスは、この時からすでに、やはりアルヴィドまで癒やそうとしてくれていたのだろう。
「君は……、いや、何でもない」
イリスへ向ける自らの感情が、感謝や希望、尊敬などだけであればよかった。
しかしアルヴィドは、彼女の笑みや触れる手が、鼓動を早め、胸に熱を灯らせる理由に気付いている。彼女の些細な癖を見つけるほどに目を離せなかったのだから、おそらく兆候は以前からあった。
自らの中に宿ったその思いがひどく恐ろしくて、アルヴィドはイリスの手を、ついに握り返すことができなかった。
この思いは絶対に、イリスにだけは知られてはならない。
イリスの手が、そっと離れる。
アルヴィドは、自分の目を疑った。
残されたアルヴィドの手のひらの上には、古めかしい意匠の指輪があった。アルヴィドを念じるだけで操れる魔法道具。治療に際し、アルヴィドの危険性を無くすための、イリスの生命線。
「これも、もう無くて大丈夫」
後で魔法契約も解除しようと、イリスはそう告げた。
「本当は、もっと前から無くても良かったんだと思うわ。でも、私にそれを確かめる勇気がなかった。あなたのことを信じているのに、体が勝手に怖がってしまったら、どうしようかと」
指輪を手放し、危害を加えられない魔法契約も解除するという。
それらは、イリスの、心からの信頼の証に他ならなかった。
ベネディクトへ立ち向かった彼女の言葉が、今さら胸に染み渡っていく。彼女はアルヴィドが、記憶の一部が無いだけではなく、その性根も昔とは違うと信じてくれている。
「泣かないで」
「……っ、すまない」
いつの間にか、涙が頬を流れ落ちていた。アルヴィドは慌ててシャツの袖で拭う。
イリスは、かつても、そしてつい最近までも見せたことのない、穏やかで、それでいて内側から輝くような微笑みを浮かべる。
「行きましょう、休憩時間に入ってしまうわ」
そしてアルヴィドの手を取ると、階段を下り始めた。
イリスに触れられた手が、彼女を映す目が、心臓が、熱い。
手を引きながら踊り場に着いたイリスは、思い出したように振り返る。
「そうだ。私が治ったら、今度はあなたの残りの治療をしましょう。私が先生になるわ」
アルヴィドは、過去との対峙訓練という、心の傷の原因となった記憶を他人へ語る治療が行えていない。それが未だに治り切らない原因でもあった。
イリスは、アルヴィドを許し、治そうとしている。
『――私はこの病気を必ず治す。自分のためだけではなく、みんなのためにも』
以前そう決意を口にした彼女に、アルヴィドはまさかグンナルだけではなく、自分のことまで許そうとしているのではないかと、都合の良い期待をしそうになって自嘲した。
だがおそらくイリスは、この時からすでに、やはりアルヴィドまで癒やそうとしてくれていたのだろう。
「君は……、いや、何でもない」
イリスへ向ける自らの感情が、感謝や希望、尊敬などだけであればよかった。
しかしアルヴィドは、彼女の笑みや触れる手が、鼓動を早め、胸に熱を灯らせる理由に気付いている。彼女の些細な癖を見つけるほどに目を離せなかったのだから、おそらく兆候は以前からあった。
自らの中に宿ったその思いがひどく恐ろしくて、アルヴィドはイリスの手を、ついに握り返すことができなかった。
この思いは絶対に、イリスにだけは知られてはならない。
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