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後編

30.返還-2

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 まだ気持ちは晴れないようで目を伏せていたイリスだったが、それを振り払うように顔を上げた。

「さっき、守ってくれてありがとう。あなたも、怖かったでしょう。彼、昔のあなたにそっくりだったから」
「え?」

 突然言い当てられて、アルヴィドは驚きのあまり誤魔化すことも忘れた。
 アルヴィドは、かつての自分の顔に対しての克服だけはできていなかった。だから毎日、当時とは様変わりしているとしても、自分の顔を見ないよう鏡を遠ざけている。
 今回久しぶりに顔を合わせた実弟のベネディクトは、あまりにも昔のアルヴィドに似ていた。イリスがあの場に居合わせなければ、恐怖で何もできなかっただろうと思っている。

「気付いてたのか」
「ええ。あなたもカッセル先生、苦手でしょう」

 くすくすとイリスは笑いを零した。
 カッセルは、ベネディクトほどではないが、昔のアルヴィドに似ている。だからアルヴィドは彼が苦手だし、イリスも同様であった。
 しかし、アルヴィドは自分の顔への恐怖を、イリスに隠しているつもりだった。まさかカッセルへの抑えた反応でも悟られているとは、予想だにしなかった。自分も苦手だから、イリスにはわかったのかもしれない。

「でも、あなたも立ち向かえた」
「あ……」

 アルヴィドにそのつもりはなかった。
 だが、とっさのことだったとしても、イリスを庇うために、結果としてあの顔のベネディクトへ身を竦ませず対峙できた。遠ざけていた現実に、一歩近づけた。
 これは、イリスへ説いてきた治療と同じだった。

「アルヴィド、手を出して」

 思いがけない自らの状況の進展に混乱しながら、アルヴィドは求められて右手を差し出した。

 その手に向けて、イリスは緊張の面持ちで、両手を伸ばす。

 まだイリスは、他人に触れる訓練へ入っていない。
 現実との対峙訓練は、急に負荷をかけてはならないのだ。軽いところから徐々に重くしていかなくてはならない。彼女の心の傷の原因であるアルヴィドではなく、グンナルなど安全で信頼のおける相手と始めるべきだ。

「イリス、無理は……」
「違うの。大丈夫」

 アルヴィドの方まで不安により呼吸を浅くしながら、イリスの手の動きを見守る。
 呼吸を整えるかのように息を深く吐くイリス。震える指先が近づいてくる。

 そして、アルヴィドの差し出した手を、上下から両手で包むように、握った。
 手のひらに、何か固いものの触れる感触がする。

 イリスは安心したように、ふっと息を漏らして笑顔を浮かべた。

「ほら、やっぱり。大丈夫だった」

 触れた今は、無理をしている様子はない。それどころか、課題は通常挑戦し始めに恐怖や不安があり、その状況へ身を置き続けることで不安の低減を待つのだが、イリスは既に落ち着いている。

「だから――」

 イリスの手が、そっと離れる。
 アルヴィドは、自分の目を疑った。
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