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後編
29.天秤の女神像-2
しおりを挟む「アルヴィド、自分で治せるか」
「いっ、はい……」
グンナルに声をかけられて、アルヴィドはようやく負傷と痛みを思い出した。
呪文を詠唱し、自らへ施して肩の傷を治す。続いて再生の魔術でシャツも修復した。
後ろへかばっていたイリスを振り向くと、床に座り込んだまま放心している。
ベネディクトへ一度は怒りをぶつけたが、その前に彼に直接触られていたし、魔力で攻撃されかけた。まだ起きたことを受け止めきれていないのだろう。
「立てるか、イリス」
「え、ええ……」
声をかけると、気が抜けた返事をしてくる。
先に立ち上がったアルヴィドは手を貸そうと腕を差し出しかけたが、彼女に対してはこれは逆によくないと思い直して引っ込めた。まだ訓練を始めていない。
「怪我がなくてよかった。まさか警察官のくせに私闘へ持ち込んでくるとは思わなかった」
ベネディクトはイリスのアルヴィドへの擁護ではなく、彼女から反論されたこと自体に激していた。仮にイリスが自身への過去の行いについて責めても攻撃してきただろう。
あれで警察官が務まっているのだから、かつてのアルヴィド同様、公と身勝手な私の切り替えは上手くできているのだろうと想像された。
アルヴィドは、女神像に触れるグンナルへ向き直る。
「それにしても、常識外れの魔法道具をお作りになりましたね、先生」
詳細な条件は不明だが、悪事を働けば罰を下す魔法道具など、聞いたこともない。
しかしグンナルはかぶりを振った。
「そのようなものを作る能力があるのなら、街角の至る所へこれを設置する。これは人を、少しばかり正直にさせるだけのものだ」
曰く、この女神像はグンナルが製作した魔法道具ではなく、以前から学校に収蔵されていたものを、この廊下へ移動してきたのだそうだ。
グンナルは眩しそうに、薄暗い廊下の女神像を見上げる。
「悪心を引き出されて自覚すれば、後ろめたさが些細なことを報いだと思い込ませる。まずは悔いなくては、償うこともできない……」
振り向いたグンナルは、立ち上がって服の埃を払うイリスに、不器用そうな微笑を向けた。
「自らの恐れるものとの対峙は、ひどく不安にさせられるな……。それに何度も立ち向かってきたお前たちを、尊敬する」
「先生……」
グンナルは、今回は道を違えなかった。
だがアルヴィドとイリスの表情は曇ったままである。グンナルがベネディクトによる姑息な手段で罷免されないか、懸念しているのだ。
「心配しているとおりになったとしても、構わない。本来は、初めに道を踏み外したときに、出ていくべきだったのだ。あるべきところへ戻るだけのこと」
イリスがこれ以上誰にも知られないことを望んだため、アルヴィドだけでなくグンナルも、法の下に正しい裁きを受けての償う道を失った。後悔したその時には、自ら償い方を考えるしかなくなっていた。彼の選んだ償いはルーヘシオンの改革だったが、そのためには保身により守った学校での地位を手放すわけにはいかなかった。
だがおそらく、後悔を始めた時から、罪の証でもある地位を捨てたかったのだろう。ただ捨てて逃げるのではなく、イリスたちに何か貢献できる方法で。それが今日だった。
穏やかに述べたグンナルの眉間のしわは、普段より少し和らいで見えた。
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