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中編

20.過去との対峙-4

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 具合が悪いからと言って、帰ろうとした。立ち上がると、急に視界が狭まって、倒れそうになった。両肩を持たれて、支えられる。

 彼は休もうと言った。
 でもイリスは無理にでも帰るべきだと思った。
 何かが、絶対に、おかしい。ここは危ない。

 肩を抱かれている。手の力が強い。
 帰りたいのに足が真っ直ぐ前へ出ない。踏み出しても誘導される。ふらついて自力では立てない。
 彼が向かったのは隣の部屋へ続く扉だった。他の生徒たちの隣を通っているのに、誰も見向きしない。声も出ない。
 
「隣の部屋……。ソファと、埃除けの布のかかった、家具がいくつか、残ってる……」
「今の恐怖の度合いは」
「九十……」
「この時の君じゃない。思い出している、今の君の恐怖だ」
「……七十」

 扉が閉まる音。元いた部屋の話声などは聞こえなくなった。絶えず大きな笑い声がしていたのに、こちらの部屋はひどく静かだ。

 今聞こえている、はあ、はあ、という荒い呼吸は、記憶の中の音ではない。現実で語るイリスの息遣いだ。

「動けない。声も、出ない。怖い。でも悪いことなんて、起きるはずない」
「それ以外に何か思ったか」
「彼に、何かされることなんて、ない。自分を、安心させようと、してた」

 ひどく喋りづらい。言葉を続けるための息が足りない。

 突き飛ばされて、ソファに倒れ込む。アルヴィドが馬乗りになった。
 侮辱の言葉。淫魔。雑ざりもの。

「下着を、脱がされて」
「場面が飛んでる。戻るんだ」
「笑ってる。あ、あぁ……。彼が、私の、足を持ち上げて……」
「まだその場面じゃない。今の恐怖の度合いは」

 誰かの声が遠くに聞こえる。それよりも、息遣いの方が近くて、その声が何を話しているのかわからない。

「な、中に、入ってきて……。あ、刺されてる、みたいで、痛くて、怖くて、そ、れで……!」
「息をして」

 言葉が、出ない。苦しい。

「い、や……!」

 傷を、繰り返し抉られるような痛み。体が強張って動かない。
 息が、止まる。
 あの男は、笑っている。
 このまま、壊される。

「しっかりしろ、イリス!」
「あッ……!」

 がくん、と揺さぶられて、圧し掛かる影が消えた。

「ここは公園だ! 実際に起きていることじゃない! 記憶は君を傷つけたりしない!」

 急な眩しさに襲われる。

「目を開けて、僕を見ろ!」

 右手が痛い。だが、温かい。

「あ……、はっ、はぁっ……!」

 急に呼吸が戻った。
 あの男はいない。あの部屋ではない。屋外で、空の下にいる。日光を遮る影。

 徐々に視界が慣れてくる。
 誰かが隣にいる。イリスを揺さぶった手がまだ肩に置かれている。右手も、その人が握っていた。
 見上げると、一瞬誰かわからなかった。全く別人の姿だから、記憶の続きにはならなかった。

 右手に何かの雫が落ちる。

「どうして……、あなたが泣いてるの」

 やっと正面からイリスと顔を合わせたアルヴィドは、涙を流していた。
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