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中編

20.過去との対峙-1

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 自らの身に起こったことを語り終えたアルヴィドは、この日の面談で取り組むことを説明し始めた。

「今日は以前説明した、避けている記憶への向き合い方の、二つ目を実践する」

 一つ目は先週から実施している、避けている現実の不安な状況等に少しずつ触れていく訓練のことである。

「二つ目は、君の心の傷の原因となった記憶を、声に出して話すことだ。過去との対峙訓練とでも呼ぼうか。繰り返し口にすることで、その時の記憶を整理し、今の自分に起きているわけではないと理解する」

 アルヴィドに犯された記憶を、本人へ語って聞かせるという、多大な羞恥と嫌悪を伴う治療方法だ。これ以上誰にも知られたくないというイリスの事情と治療経験から、やむなく彼に治療者を任せているため、本人へ語る羽目になっている。
 イリスは当初説明された際にも難色を示したが、セムラクを使っていない今は、一層気が進まない。胃が痛み、吐き気がしてくる。

「繰り返し語ることは、現実との対峙訓練と似ている。思い出すことは不安で苦痛な時間だが、危険な行為ではない。不安な現実の状況へ身を置いて、慣れさせ、恐怖を減らしていくように、記憶を何度も思い返すことが、不安の軽減につながる」

 ため息をつきそうになったのを誤魔化すように、イリスは口元を押さえた。手袋越しに左手の中指の指輪の感触がある。

「逆行再現や悪夢についての話と重複するが、脳がそれらを見せるのは、君が思い出すことを避けている記憶を、理解させたいからだ。理解することで、記憶を消化して、過去の出来事にしようとしている。口に出して語るのは、仔細へ意識を向けて思い出し、自分の言葉で表現する過程で、理解を深めるためだ」
「夢や逆行再現で、嫌でも思い出しているはずですが、それではいけないのですか」

 イリスはそれらのせいで何度も思い返してしまい、自らの記憶分離の魔術を用いても忘れることができなくなっている。無理にその全部の記憶を取り出せば人格を損なうからだ。
 これまでの夢と逆行再現で足りないというのなら、途方もない回数を重ねなくてはならない。

「悪夢や逆行再現は、おそらく、最も辛い一部分を切り取って見せられていると思う。かといって平常時も、記憶を呼び起こすことを避けているだろうから、出来事を一連で詳細に思い出したことはほぼ無いんじゃないか。この訓練で思い返す範囲は、出来事の始めから終わりまでを対象としている」

 たしかに、イリスの逆行再現に現れる場面は偏っており、最も恐ろしかったところに集中していた。また、彼の言うように一連の記憶として回想したことはない。思い出さないようにしている。

「これに取り組むことで、あの時何が起きたのか、どんなことを考えていたのかといった、記憶を構成する、視覚に限らない要素全部へ触れられるようにする。現実の体を不安な状況へ近づけるのが一つ目の方法なら、これは頭の中、自分の精神を、君の心の傷へ近づける方法だ」

 彼がイリスに正面から語り掛けることはない。ベンチへ腰かけて、お互い同じ方向へ向いたまま話すのが基本だ。イリスは不快感が減るのでその方が良いと思っている。

「繰り返し記憶を語ると、慣れてきて不安は減り、思い返しても怖くなくなる。そして詳細な理解が進むから、あの時に起きたことと、似ているが危険ではないことを判別できるようになる。例えば、君はカッセル先生が苦手だ。昔の私に似ているから。治療を進めれば、多少似ているけれど全くの別人だと心から区別できるようになってくる。いずれ彼への忌避感も薄れる」

 現実との対峙訓練では、今後セムラク無しで日中の勤務時間を過ごす課題を予定している。その際最も懸念されるのはカッセルとの遭遇だった。おそらく彼に話しかけられれば、恐怖で体が硬直するなどして、目に見えての異常をきたす。
 イリスは自分に起きていることを隠してきた。これからも絶対に隠し通したい。だから、この課題へ入る前に、今から取り組む過去との対峙訓練で、カッセルへの拒絶反応を低減しておきたい。
 なお、同じくセムラクなしで会いたくないアルヴィドは、相変わらず必要な時以外イリスを避けている。以前のようにイリスへ使い魔を付けることはしていないが、これまでの傾向と授業の時間割から行動を推測して、顔を合わせないようにしているようだ。

「この訓練を続ければ、自分の心を制御できるようになったと自信が持てるだろう。……さあ、始めよう」

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