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中編
18.他人事-1
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アルヴィドとの初回の面談を終えた翌日。イリスは校長室を訪ねていた。
昨日設定された課題に取り組むため、グンナルへ協力を依頼した。彼は現在、隣の私室で準備をしており、イリスはそれを待っている。
この日取り組む課題は、セムラクを使わずにグンナルと対面することだった。
課題をこなす際には自分の恐怖の度合いを測り、そしてそれが収まるまでその場に留まる必要があるため、感情を先送りするセムラクを使ってはならない。
校長室へ着いてから、セムラクを解除した。
グンナルに対しては、やはり弱みを握っていたことや、既に二人きりで話すことを繰り返していたためか、セムラクを解除してもそこまで不安にはならなかった。
『セムラクなしで外出すること』に紐づき、その前段階として設定されている課題の一つ目が、このグンナルとの対面だ。これはもうほぼ問題なかったので、次の、研究室の前の廊下へ誰もいない時に出る課題へ移ってもいいかもしれない。
恐怖の度合いを手帳に書き込むと、イリスは続いて『店以外で他人から出された飲み物に口をつけること』に挑戦してみようと考えた。
そこでグンナルに内容を説明して、彼に飲み物を用意してもらうことになった。今隣室で作ってもらっている。
「待たせたな」
それにしても時間がかかっていると思い始めた頃に、ようやくグンナルが校長室へ戻ってきた。
「……先生、これは何ですか?」
グンナルがイリスの前へ置いた、厚手の陶器のカップ。そこから湯気を立ち上らせるのは、限りなく黒色に近い緑の液体だった。においはあまりしない。
カップを手に取って揺らしても、中身があまり動かないほどの粘度だ。ヘドロと形容しても失礼には当たらなさそうな、むしろそれにしか見えない何か。
「魔法薬だ。肝臓と腎臓の機能向上を主目的に調合した」
丸テーブルの対面の席に着いたグンナルの手には、普通のお茶のカップがある。
再び自分の前のカップへ視線を落とし、イリスは生唾を飲みこんだ。
通常魔法薬は、飲みやすさを度外視して作られる。味を誤魔化せるという範疇にない素材を原料とすることと、調味系の素材を加えるとせっかくの魔法的な作用が損なわれる場合があるからだ。
セムラクを使っていないため、イリスが尻込みしていることはグンナルにもよく分かっただろう。
いつも通り眉間にしわを寄せながら、しっかり念押ししてくる。
「飲みなさい」
何か飲み物を用意してほしいと頼んだ手前、わがままは言えない。一般的なものを指定しなかったイリスの落ち度だ。
「……いただきます」
意を決して口をつけると、どろりとした糊状のものがゆっくり流れ込んできて、苦味と塩味と酸味と辛味の、各方面へ振り切った表現しがたい味わいが舌を突き刺した。
「うっ、ふぐ……」
一口だけでも味覚が破壊されそうだ。イリスは何としても吐き出すまいと口元を押さえる。
「少しずつ飲むように。一度に飲むと負担がかかる」
一気に片を付けることも許されない。また、効能から推測されるこの魔法薬の材料は、水を含めたほぼ全てのものと飲み合わせが悪いので、別の飲み物で流し込むとか、何か食べて誤魔化すとか、そういったこともできない。
ただし、グンナルが嫌がらせでそうしているわけではないと、イリスはわかっている。
鎮静剤の多用で、イリスの内臓機能、特に肝臓と腎臓に悪影響が出ている。今のところ食欲不振や倦怠感しか症状はないが、放っておいてもあまり良くはならない。また、体内には鎮静剤の主原料である規制植物の成分が蓄積されており、自然な代謝に任せるには時間がかかる。検査をされれば私的流用がすぐにわかってしまう。
体から薬の成分を早急に排出し、弱った内臓の機能を回復させるために、グンナルは頼んでもいないのに手間暇のかかる魔法薬を用意してくれた。イリスが規制植物の横領で逮捕されても、グンナルに大した被害がないことは先般の理解の通りである。
セムラクを解除して接すると、グンナルの心はすんなりと伝わって受け取れるようになった。彼はイリスを心配している。本当に、学生時代とは違うのだ。
イリスはグンナルの心遣いの不味さに時折痙攣しつつ、ゆっくりそれを飲み下していった。
昨日設定された課題に取り組むため、グンナルへ協力を依頼した。彼は現在、隣の私室で準備をしており、イリスはそれを待っている。
この日取り組む課題は、セムラクを使わずにグンナルと対面することだった。
課題をこなす際には自分の恐怖の度合いを測り、そしてそれが収まるまでその場に留まる必要があるため、感情を先送りするセムラクを使ってはならない。
校長室へ着いてから、セムラクを解除した。
グンナルに対しては、やはり弱みを握っていたことや、既に二人きりで話すことを繰り返していたためか、セムラクを解除してもそこまで不安にはならなかった。
『セムラクなしで外出すること』に紐づき、その前段階として設定されている課題の一つ目が、このグンナルとの対面だ。これはもうほぼ問題なかったので、次の、研究室の前の廊下へ誰もいない時に出る課題へ移ってもいいかもしれない。
恐怖の度合いを手帳に書き込むと、イリスは続いて『店以外で他人から出された飲み物に口をつけること』に挑戦してみようと考えた。
そこでグンナルに内容を説明して、彼に飲み物を用意してもらうことになった。今隣室で作ってもらっている。
「待たせたな」
それにしても時間がかかっていると思い始めた頃に、ようやくグンナルが校長室へ戻ってきた。
「……先生、これは何ですか?」
グンナルがイリスの前へ置いた、厚手の陶器のカップ。そこから湯気を立ち上らせるのは、限りなく黒色に近い緑の液体だった。においはあまりしない。
カップを手に取って揺らしても、中身があまり動かないほどの粘度だ。ヘドロと形容しても失礼には当たらなさそうな、むしろそれにしか見えない何か。
「魔法薬だ。肝臓と腎臓の機能向上を主目的に調合した」
丸テーブルの対面の席に着いたグンナルの手には、普通のお茶のカップがある。
再び自分の前のカップへ視線を落とし、イリスは生唾を飲みこんだ。
通常魔法薬は、飲みやすさを度外視して作られる。味を誤魔化せるという範疇にない素材を原料とすることと、調味系の素材を加えるとせっかくの魔法的な作用が損なわれる場合があるからだ。
セムラクを使っていないため、イリスが尻込みしていることはグンナルにもよく分かっただろう。
いつも通り眉間にしわを寄せながら、しっかり念押ししてくる。
「飲みなさい」
何か飲み物を用意してほしいと頼んだ手前、わがままは言えない。一般的なものを指定しなかったイリスの落ち度だ。
「……いただきます」
意を決して口をつけると、どろりとした糊状のものがゆっくり流れ込んできて、苦味と塩味と酸味と辛味の、各方面へ振り切った表現しがたい味わいが舌を突き刺した。
「うっ、ふぐ……」
一口だけでも味覚が破壊されそうだ。イリスは何としても吐き出すまいと口元を押さえる。
「少しずつ飲むように。一度に飲むと負担がかかる」
一気に片を付けることも許されない。また、効能から推測されるこの魔法薬の材料は、水を含めたほぼ全てのものと飲み合わせが悪いので、別の飲み物で流し込むとか、何か食べて誤魔化すとか、そういったこともできない。
ただし、グンナルが嫌がらせでそうしているわけではないと、イリスはわかっている。
鎮静剤の多用で、イリスの内臓機能、特に肝臓と腎臓に悪影響が出ている。今のところ食欲不振や倦怠感しか症状はないが、放っておいてもあまり良くはならない。また、体内には鎮静剤の主原料である規制植物の成分が蓄積されており、自然な代謝に任せるには時間がかかる。検査をされれば私的流用がすぐにわかってしまう。
体から薬の成分を早急に排出し、弱った内臓の機能を回復させるために、グンナルは頼んでもいないのに手間暇のかかる魔法薬を用意してくれた。イリスが規制植物の横領で逮捕されても、グンナルに大した被害がないことは先般の理解の通りである。
セムラクを解除して接すると、グンナルの心はすんなりと伝わって受け取れるようになった。彼はイリスを心配している。本当に、学生時代とは違うのだ。
イリスはグンナルの心遣いの不味さに時折痙攣しつつ、ゆっくりそれを飲み下していった。
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