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中編
13.心の病気と治療法-1
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魔法契約を交わした後、アルヴィドはイリスへ治療の詳細について語った。
「先ほど、過去の体験が現在目の前で起きているように感じられることを、君の心の病の症状の一つだと話した。これには逆行再現という名前がある。同じように、心の傷は精神的外傷といい、君の心の病は外傷神経症と呼ばれる」
イリスは彼の言うところの外傷神経症の原因である、過去の辛い体験、すなわち心の傷を記憶ごと取り除く方法により患者を治してきた。しかしながらイリスが担ってきたのは患部を切除するという、治療のごく一幕だけ。国立病院の精神科医のように、精神治療の専門的な知識はない。イリスの研究領域は、記憶分離の魔術を安全に普及させるための改良だ。
「外傷神経症の症状には様々なものがあるが、逆行再現だけでなく、君の諸々の回避行動も、一般的な症状に含まれる」
「回避行動……?」
「心の傷を思い出させるものを避けることだ。回避は大きく二つに分けられて、一つ目は元になった体験に関係すること全部を頭の中から追い出してしまうこと。二つ目は元の体験を思い出すきっかけになる似た状況や人間を避けることだ。君の場合、セムラクによってその場で受けるべき恐怖や苦痛を先送りにしているが、それも回避行動にあたる」
普段イリスは、あの日のことを思い出すものを避けている。男性とは基本的に二人きりにならないし、やむを得ない接触も最低限にしている。セムラクで自分を守っていても解除時の反作用が重くなるので、特に昔のアルヴィドに似た容姿の男は全力で避けている。
困ったことに同僚に一人似ている男がいるので、上手く他の教師を介してやり取りすることを心がけ、接触を軽減していた。
その他、店以外で他人から出された飲み物に口をつけない。
「外傷神経症を患うほどの深い心の傷は、命の危険など辛く苦しい体験により負わされる。近い状況や思い返すことを避けようとするのは当然の反応だと思うが、残念ながら病を長引かせているのは回避行動だ。避けているものに向き合って、乗り越えなくては、君の心は治らない」
イリスはセムラクで距離を置いた自分の心が、不快と落胆の入り混じった鬱々とした状態になっているとわかった。
元凶から、面と向かって逃げていると指摘される不快感。そして、彼の言うことが正しいのであれば、自ら苦しみを長引かせてしまっていたことへの落胆。
「私は自分を守っているつもりでしたが、それは逃げだったのですね……」
テーブルへ置いた自分の手に視線を落としていたアルヴィドが、イリスの呟きに反応して視線を上げかけて、慌てたようにすぐ逸らした。
「……私は、逃げとは言っていない。仮に逃げるという言葉を使うとしても、逃げることが必ずしも悪いことだとは思わない。逃げた先が十分安全であれば、それも一つの正解だ。だが、君の場合は回避した先の方が状況が悪い。だから、治すべきだ」
アルヴィドの言う通り、現状のままの回避方法を続けると、規制薬物の横領で逮捕されかねない。グンナルが薬事局へ提出する管理簿を誤魔化せるうちに、鎮静剤へ頼らない程度まで治さなくてはならない。
「先ほど、過去の体験が現在目の前で起きているように感じられることを、君の心の病の症状の一つだと話した。これには逆行再現という名前がある。同じように、心の傷は精神的外傷といい、君の心の病は外傷神経症と呼ばれる」
イリスは彼の言うところの外傷神経症の原因である、過去の辛い体験、すなわち心の傷を記憶ごと取り除く方法により患者を治してきた。しかしながらイリスが担ってきたのは患部を切除するという、治療のごく一幕だけ。国立病院の精神科医のように、精神治療の専門的な知識はない。イリスの研究領域は、記憶分離の魔術を安全に普及させるための改良だ。
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普段イリスは、あの日のことを思い出すものを避けている。男性とは基本的に二人きりにならないし、やむを得ない接触も最低限にしている。セムラクで自分を守っていても解除時の反作用が重くなるので、特に昔のアルヴィドに似た容姿の男は全力で避けている。
困ったことに同僚に一人似ている男がいるので、上手く他の教師を介してやり取りすることを心がけ、接触を軽減していた。
その他、店以外で他人から出された飲み物に口をつけない。
「外傷神経症を患うほどの深い心の傷は、命の危険など辛く苦しい体験により負わされる。近い状況や思い返すことを避けようとするのは当然の反応だと思うが、残念ながら病を長引かせているのは回避行動だ。避けているものに向き合って、乗り越えなくては、君の心は治らない」
イリスはセムラクで距離を置いた自分の心が、不快と落胆の入り混じった鬱々とした状態になっているとわかった。
元凶から、面と向かって逃げていると指摘される不快感。そして、彼の言うことが正しいのであれば、自ら苦しみを長引かせてしまっていたことへの落胆。
「私は自分を守っているつもりでしたが、それは逃げだったのですね……」
テーブルへ置いた自分の手に視線を落としていたアルヴィドが、イリスの呟きに反応して視線を上げかけて、慌てたようにすぐ逸らした。
「……私は、逃げとは言っていない。仮に逃げるという言葉を使うとしても、逃げることが必ずしも悪いことだとは思わない。逃げた先が十分安全であれば、それも一つの正解だ。だが、君の場合は回避した先の方が状況が悪い。だから、治すべきだ」
アルヴィドの言う通り、現状のままの回避方法を続けると、規制薬物の横領で逮捕されかねない。グンナルが薬事局へ提出する管理簿を誤魔化せるうちに、鎮静剤へ頼らない程度まで治さなくてはならない。
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