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09.愛犬-4
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階段を上り、外へ繋がる扉を出て、ファルハードは驚いた。
庭というには雑然としたただの建物の裏手だが、普通に見張りの兵士だけでなく使用人が行き来していたのだ。
(人払いしているのではなかったのか!?)
帝国の後継者である自らの、薄汚れ四つん這いで紐に引かれる姿を下賤の者に見られるなど耐えがたい。シュルークの前でも、彼女を頭の中で惨殺することでどうにかやり過ごしているというのに。
「どうしたの? 大丈夫よ! 皆にはあなたを虐めないように命じてあるから!」
地下へ戻ろうとするファルハードを、シュルークは紐を両手で力いっぱい引いて止める。
彼女が声を上げたことで、使用人たちが二人の存在に気づいてしまった。一瞬何事かと驚き、すぐ薄気味悪そうに顔を顰めると、目を伏せて早足に立ち去っていく。嘲笑し見物されないだけマシなどとは思えない。ファルハードは帝国へ生きて戻りこの都を攻め落としたら、将軍の家の私兵と使用人も全員殺すと決めた。
「だめよ! 元気になったんだから、今日こそあなたを洗ってあげるの。ずっと洗っていないから病気になってしまうわ!」
「なに!?」
思わず人語を発してしまいながら、ファルハードは視線を巡らせた。少し離れた場所、井戸の傍に、水を張った大きな盥や手桶などが用意されている。
この女の本当の目的は、散歩ではなかったのだ。
「お前、手伝って!」
本来は地下でファルハードを見張っているはずだが追い出されていた兵士が、シュルークに呼びつけられる。
「大人しくしろ……!」
シュルークから紐を受け取った兵士は、抵抗するファルハードを盥のところまで引きずっていった。
「お嬢様、これでよろしいですか」
ファルハードの首輪の紐を井戸の柱へくくりつけると、兵士は勘弁してほしそうにシュルークに声をかける。この男も関わりたくなどないのだ。
「いいわ。あとは、この子が怖がって暴れた時に押さえてあげて」
「……わかりました」
これまでシュルークが力ずくでファルハードに命令を聞かせることはなかった。どれも最悪聞き入れられなくても構わなかったからだ。逆に言えば、今日洗うという目的には絶対敢行する決意があることを意味する。
直後に、湯気の立つ壷を抱えた女の使用人が建物の中から出てきた。怯えた表情で、壷を盥の傍へ置きに来る。一瞬ちらりとファルハードへ目を向けたので殺気を込めて睨みつけると、つまずきながら小走りに戻っていく。
それをシュルークはくすくすと笑って眺めていた。
「おかしいわよね。皆、私のこと馬鹿だから秘密を知られても大丈夫だと思って利用していたのよ。お父様に告げ口するって言ったら、何でも頼みを聞いてくれるようになったの」
見張りの兵士はきまりが悪そうにシュルークから目を逸らす。
この男たちはシュルークを利用して屋敷の金を盗んでいたという。他の使用人たちも、彼女の頭がおかしいのをいい事に、似たような悪事を働いていたのだろう。それで彼女が脅してくるなどとは夢にも思わずに、迂闊なことだ。
シュルークは持ってこさせた熱湯を盥の水に混ぜ、程よい温度の湯を作っているようだった。井戸水でないのは不幸中の幸いだが、外は肌寒く体は濡れたそばから冷える。彼女の先代の飼い犬であれば問題なかったかもしれないが、人間の、それも体力の落ちたファルハードには不安があった。
「さあ、綺麗にしてあげるからね。危ないから押さえておいて」
湯の支度をして振り返ったシュルークは、いつのまにか鋏を手にしていた。
(まさか……!)
身構える前に、兵士がファルハードの肩を押さえつけた。
庭というには雑然としたただの建物の裏手だが、普通に見張りの兵士だけでなく使用人が行き来していたのだ。
(人払いしているのではなかったのか!?)
帝国の後継者である自らの、薄汚れ四つん這いで紐に引かれる姿を下賤の者に見られるなど耐えがたい。シュルークの前でも、彼女を頭の中で惨殺することでどうにかやり過ごしているというのに。
「どうしたの? 大丈夫よ! 皆にはあなたを虐めないように命じてあるから!」
地下へ戻ろうとするファルハードを、シュルークは紐を両手で力いっぱい引いて止める。
彼女が声を上げたことで、使用人たちが二人の存在に気づいてしまった。一瞬何事かと驚き、すぐ薄気味悪そうに顔を顰めると、目を伏せて早足に立ち去っていく。嘲笑し見物されないだけマシなどとは思えない。ファルハードは帝国へ生きて戻りこの都を攻め落としたら、将軍の家の私兵と使用人も全員殺すと決めた。
「だめよ! 元気になったんだから、今日こそあなたを洗ってあげるの。ずっと洗っていないから病気になってしまうわ!」
「なに!?」
思わず人語を発してしまいながら、ファルハードは視線を巡らせた。少し離れた場所、井戸の傍に、水を張った大きな盥や手桶などが用意されている。
この女の本当の目的は、散歩ではなかったのだ。
「お前、手伝って!」
本来は地下でファルハードを見張っているはずだが追い出されていた兵士が、シュルークに呼びつけられる。
「大人しくしろ……!」
シュルークから紐を受け取った兵士は、抵抗するファルハードを盥のところまで引きずっていった。
「お嬢様、これでよろしいですか」
ファルハードの首輪の紐を井戸の柱へくくりつけると、兵士は勘弁してほしそうにシュルークに声をかける。この男も関わりたくなどないのだ。
「いいわ。あとは、この子が怖がって暴れた時に押さえてあげて」
「……わかりました」
これまでシュルークが力ずくでファルハードに命令を聞かせることはなかった。どれも最悪聞き入れられなくても構わなかったからだ。逆に言えば、今日洗うという目的には絶対敢行する決意があることを意味する。
直後に、湯気の立つ壷を抱えた女の使用人が建物の中から出てきた。怯えた表情で、壷を盥の傍へ置きに来る。一瞬ちらりとファルハードへ目を向けたので殺気を込めて睨みつけると、つまずきながら小走りに戻っていく。
それをシュルークはくすくすと笑って眺めていた。
「おかしいわよね。皆、私のこと馬鹿だから秘密を知られても大丈夫だと思って利用していたのよ。お父様に告げ口するって言ったら、何でも頼みを聞いてくれるようになったの」
見張りの兵士はきまりが悪そうにシュルークから目を逸らす。
この男たちはシュルークを利用して屋敷の金を盗んでいたという。他の使用人たちも、彼女の頭がおかしいのをいい事に、似たような悪事を働いていたのだろう。それで彼女が脅してくるなどとは夢にも思わずに、迂闊なことだ。
シュルークは持ってこさせた熱湯を盥の水に混ぜ、程よい温度の湯を作っているようだった。井戸水でないのは不幸中の幸いだが、外は肌寒く体は濡れたそばから冷える。彼女の先代の飼い犬であれば問題なかったかもしれないが、人間の、それも体力の落ちたファルハードには不安があった。
「さあ、綺麗にしてあげるからね。危ないから押さえておいて」
湯の支度をして振り返ったシュルークは、いつのまにか鋏を手にしていた。
(まさか……!)
身構える前に、兵士がファルハードの肩を押さえつけた。
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