16 / 79
06.最後の手段-1
しおりを挟む
その夜、ファルハードは予定していた妃からの夜伽を取りやめた。侍従から他の女官、そして妃本人に伝えられたそうで、シュルークはファルハードからの呼び出しと同時にそれらの事実を聞いた。
皇帝が一度決めていた夜伽を中止することなど珍しい。何かあったのかと侍従に尋ねたが、彼も理由は知らず、ファルハードの指示通りに動いているだけだと語った。
今夜予定されていた妃は、シュルークに賄賂で便宜を頼もうとしてきたマハスティだ。明日にはシュルークが呼びつけられて、彼女を宥めるために時間を取られるだろう。そうなると他の予定はどうするか、とシュルークは侍従と二人で廊下を歩きながら、翌日の予定を頭の中で組み直した。
ファルハードが待っているのは第一宮殿の寝室だった。扉の前には見知った顔の近衛兵が二人立っている。
近衛兵が扉を開けて入室を促したので、侍従が先に入ろうとすると手で制された。
「陛下は女官長だけをお召しになりました」
侍従が怪訝な顔で、後ろのシュルークを振り返る。普段は、たとえ全裸で犬の真似をさせられている時であろうと、侍従が最低一人は寝室内の続きの間に控えている。近衛兵の口ぶりからして、中に他の侍従がいるというわけでもなさそうだ。
しかしファルハードの命令であれば誰も逆らわない。侍従は下がり、代わってシュルークが単独で寝室へ入った。
室内へ足を踏み入れると、シュルークは甘い香りにむせそうになった。部屋の隅の香炉から立ちのぼる煙が、いつもより濃く感じる。
「陛下、お呼びでしょうか」
寝台の縁に腰かけて待っていたファルハードは、最初から真っ直ぐにシュルークを見つめていた。
珍しいことだ。帽子に下げた薄布越しであっても、彼がシュルークの顔へ目を向けるのは、犬の時以外は稀である。
シュルークは、思えば先日この寝室で犬として足を舐めた後から、彼の様子が少しおかしかったと気がついた。
弱みを見せないファルハードの溜息に始まり、その後機会はあったのに犬扱いが止んでいた。飽きたと期待できるほど長い日数でもなかったので偶然だろうと考えていたシュルークだが、今夜の彼の様子を受けて、振り返れば不自然だったと思い直す。
ただ見つめてくる主君の前に立ち、言葉を待つ。
薄布の中から相手を探っていると、ようやくファルハードが口を開いた。
「服を脱いで、寝台へ上がれ」
「は……」
はい、と返事をしかけて、シュルークは強い違和感を覚えた。
服を脱ぐのは犬になるためのいつもの準備だ。しかし、この寝室で寝台へ上がれと言われたことはない。犬を寝台に上げたりはしないからだ。
それに、寝台へ勝手に上がってしまう犬の真似でもさせたいのなら、裸にして、先に首輪をつけるはずだ。首輪を嵌めてからが、犬の始まりだから。
普段、首輪を静かに運んでくる侍従は、寝室にいない。
シュルークの杖を持つ手に、無意識に力がこもる。甘すぎる香のせいか、息苦しい。
皇帝が一度決めていた夜伽を中止することなど珍しい。何かあったのかと侍従に尋ねたが、彼も理由は知らず、ファルハードの指示通りに動いているだけだと語った。
今夜予定されていた妃は、シュルークに賄賂で便宜を頼もうとしてきたマハスティだ。明日にはシュルークが呼びつけられて、彼女を宥めるために時間を取られるだろう。そうなると他の予定はどうするか、とシュルークは侍従と二人で廊下を歩きながら、翌日の予定を頭の中で組み直した。
ファルハードが待っているのは第一宮殿の寝室だった。扉の前には見知った顔の近衛兵が二人立っている。
近衛兵が扉を開けて入室を促したので、侍従が先に入ろうとすると手で制された。
「陛下は女官長だけをお召しになりました」
侍従が怪訝な顔で、後ろのシュルークを振り返る。普段は、たとえ全裸で犬の真似をさせられている時であろうと、侍従が最低一人は寝室内の続きの間に控えている。近衛兵の口ぶりからして、中に他の侍従がいるというわけでもなさそうだ。
しかしファルハードの命令であれば誰も逆らわない。侍従は下がり、代わってシュルークが単独で寝室へ入った。
室内へ足を踏み入れると、シュルークは甘い香りにむせそうになった。部屋の隅の香炉から立ちのぼる煙が、いつもより濃く感じる。
「陛下、お呼びでしょうか」
寝台の縁に腰かけて待っていたファルハードは、最初から真っ直ぐにシュルークを見つめていた。
珍しいことだ。帽子に下げた薄布越しであっても、彼がシュルークの顔へ目を向けるのは、犬の時以外は稀である。
シュルークは、思えば先日この寝室で犬として足を舐めた後から、彼の様子が少しおかしかったと気がついた。
弱みを見せないファルハードの溜息に始まり、その後機会はあったのに犬扱いが止んでいた。飽きたと期待できるほど長い日数でもなかったので偶然だろうと考えていたシュルークだが、今夜の彼の様子を受けて、振り返れば不自然だったと思い直す。
ただ見つめてくる主君の前に立ち、言葉を待つ。
薄布の中から相手を探っていると、ようやくファルハードが口を開いた。
「服を脱いで、寝台へ上がれ」
「は……」
はい、と返事をしかけて、シュルークは強い違和感を覚えた。
服を脱ぐのは犬になるためのいつもの準備だ。しかし、この寝室で寝台へ上がれと言われたことはない。犬を寝台に上げたりはしないからだ。
それに、寝台へ勝手に上がってしまう犬の真似でもさせたいのなら、裸にして、先に首輪をつけるはずだ。首輪を嵌めてからが、犬の始まりだから。
普段、首輪を静かに運んでくる侍従は、寝室にいない。
シュルークの杖を持つ手に、無意識に力がこもる。甘すぎる香のせいか、息苦しい。
0
お気に入りに追加
111
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。
鯖
恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。
パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる