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解決編
67:幕間-回復後
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暗殺未遂の後。毒の塗られた剣により、一時は危険な状態に陥ったシヒスムンドだったが、持ち前の生命力と魔力により峠を越え、十日ほどすると会話もできるまでに回復した。
「すまなかった」
見舞いに来たダビドに、シヒスムンドはかすれた声で謝罪した。
ダビドは、シヒスムンドの意識が戻れば、そうするだろうと予想していた。
「俺は、あの瞬間……。野望のことも、お前のことも忘れて、メルセデスを守ろうとした」
一手早く刺客は倒したが、メルセデスへ向けて振り下ろされる刃を、代わりに受けようとしていた。あの時、シヒスムンドの頭からは、自分が生きなければならない理由は抜け落ちていただろう。
「そうだな。見ていたのだから、分かっている」
「許せとは言わない。そのようなこと口にできるはずがない。大陸統一の決意に変わりはないというのに、また同じ状況に陥った時、俺はどちらを選ぶのか、断言できない……」
かつてのシヒスムンドであれば、わが身を盾にしなかった。たとえダビドが遺志を継いでくれるという保険があったとしても、それはダビドに役目を押しつけたことになる。自分の死後、誰にも言えない秘密を抱えたダビドが、この先どれほど苦しい人生を歩むのか。そう考えれば、母とダビドの悲劇を自分のせいだと思っているシヒスムンドが、我を忘れて命をかけるなどありえないことだった。
しかし、今のシヒスムンドは、全ての重荷を背負ったままでなお、いざという時メルセデスを見捨てると、口先だけでも言えなかった。
「許すよ」
それがダビドは、心の底から嬉しかった。
「俺は本当は、大陸統一をお前ほどに悲願と捉えていなかった。お前が自分を許して、幸福を得ることができるなら、途中で諦めても構わなかった。そう口にしてこなかったのは、許されると理解して自由に生きるには、この世界はお前にとって辛すぎる孤独な世界だったからだ。大陸統一の野望は、お前が生きるために必要なものだった」
シヒスムンドが野望を諦めたらどうなるのか。誰もが彼を恐れ、人として当たり前の感情も交わらない、誰とも心から通じ合えない世界で、彼はどうやって生きていけばいいのか。
シヒスムンドの孤独を紛れさせるには、大陸統一という大きすぎる野望は都合がよかった。実際、テレーザ妃への贖罪へ心を縛られていたために、シヒスムンドは険しい道を挫けずに済み、そしてその道に邁進していたからこそ、孤独から目を背けていられた。
痛々しいその姿は、どうしようもなかったことだが、ダビドの望むところではなかった。
「俺が心の底から叶えたいのは、妃殿下の願いだ。あの人は先帝のひざ元で育つお前が、正しく、そして幸福になるよう願っていた。妃殿下であれば、お前を祝福した」
亡きテレーザ妃は、シヒスムンドの前ではいつでも快晴の空のように明るく、陽光のように優しい存在であり続けた。祖国を滅ぼし、自身をさらってきた男の血が流れていようと、シヒスムンドを生んだために一層の窮状に落ちようと、彼を愛していた。
シヒスムンドとダビドが、腐敗しきった先帝の時代にその中枢で育っても、正しさを見失わなかったのは、テレーザ妃のおかげだ。
テレーザ妃がいたからこそ他人を信じられる。瞳の魔力に苦しめられようと、シヒスムンドとダビドは信じあえる。そして、彼女が本当にシヒスムンドの幸福を願っていたことも、信じられる。
「それに、もしお前があの時ためらっていたら、俺はお前を軽蔑したよ、シグ。お前は自分の女を守れないような男になってくれるな。この先も、絶対に」
「ダビド……」
先帝にとって唯一の子供を身ごもったテレーザ妃を、先帝はすぐに飽きて見放した。敗戦国出身に加え、寵愛を失ったという侮蔑が、彼女の立場をより貶め、死に繋がった。先帝が殺したようなものだ。ダビドもシヒスムンドと同じく、先帝を軽蔑し、憎悪している。
しかし、テレーザ妃の死に抱いている思いは、シヒスムンドとは違う。シヒスムンドは彼女の死で罪悪感に苛まれているが、ダビドは無力感を覚えている。
シヒスムンドの影武者として用意されたダビドは、赤子の時連れてこられたために、そのままなら何の疑問もわかずに、操り人形のような従順さでシヒスムンドへ仕えたはずだった。だが、ダビドは理不尽な運命に対する怒りに塗れていた。
なぜ自分はこの国にいるのか。なぜ自分は皇太子のために生きなければならないのか。なぜ彼の身代わりであらねばならないのか。なぜ彼は母に会えるのに、自分は帰ることも叶わないのか。
それは、テレーザ妃がダビドに自我を与えてくれたから、手に入れられた感情だった。
何も教えなければ、反抗することなくシヒスムンドのために影武者を務めたというのに、テレーザ妃はダビドが御しづらくなるにもかかわらず、息子のように扱い、心を育ませた。ダビドは彼らのせいだと、テレーザ妃とシヒスムンドと衝突することもあった。
やがて、苦界にあるのは彼らも同じで、自身の不遇は二人のせいではないと気づいた。むしろそれでもダビドを人形のまま利用しなかったテレーザ妃の誠実さに心を打たれ、自分の命を捨てる時があれば、それは彼女のためにしようと決意していた。
なのに、テレーザ妃の最期は、シヒスムンドとダビドのどちらも見届けることができなかった。冷たくなった彼女の亡骸を、今でもありありと思い起こせる。ダビドが本当に守りたかった、ずっと年上の女性は、ダビドが何もできないまま死んでいった。
彼女の愛した息子、そして自身の親友には、自分の妻さえ守ろうとしない暴君にも、最愛のたった一人すら守れない無力な男にもなってほしくない。
「まぁ、お前が急に大陸統一の野望を捨てられるほど器用だとは思ってないさ。だが、妃殿下への贖罪にはするな。彼女を悼むために、彼女の望んだ正しい男になるために、大陸の平和を掴もう」
ダビドはシヒスムンドとの入れ替わりを解消した後も、誰とも結婚するつもりはない。
そのせいで、この先一生シヒスムンドとの関係を多かれ少なかれ疑われるのだろうな、と諦めている。
「すまなかった」
見舞いに来たダビドに、シヒスムンドはかすれた声で謝罪した。
ダビドは、シヒスムンドの意識が戻れば、そうするだろうと予想していた。
「俺は、あの瞬間……。野望のことも、お前のことも忘れて、メルセデスを守ろうとした」
一手早く刺客は倒したが、メルセデスへ向けて振り下ろされる刃を、代わりに受けようとしていた。あの時、シヒスムンドの頭からは、自分が生きなければならない理由は抜け落ちていただろう。
「そうだな。見ていたのだから、分かっている」
「許せとは言わない。そのようなこと口にできるはずがない。大陸統一の決意に変わりはないというのに、また同じ状況に陥った時、俺はどちらを選ぶのか、断言できない……」
かつてのシヒスムンドであれば、わが身を盾にしなかった。たとえダビドが遺志を継いでくれるという保険があったとしても、それはダビドに役目を押しつけたことになる。自分の死後、誰にも言えない秘密を抱えたダビドが、この先どれほど苦しい人生を歩むのか。そう考えれば、母とダビドの悲劇を自分のせいだと思っているシヒスムンドが、我を忘れて命をかけるなどありえないことだった。
しかし、今のシヒスムンドは、全ての重荷を背負ったままでなお、いざという時メルセデスを見捨てると、口先だけでも言えなかった。
「許すよ」
それがダビドは、心の底から嬉しかった。
「俺は本当は、大陸統一をお前ほどに悲願と捉えていなかった。お前が自分を許して、幸福を得ることができるなら、途中で諦めても構わなかった。そう口にしてこなかったのは、許されると理解して自由に生きるには、この世界はお前にとって辛すぎる孤独な世界だったからだ。大陸統一の野望は、お前が生きるために必要なものだった」
シヒスムンドが野望を諦めたらどうなるのか。誰もが彼を恐れ、人として当たり前の感情も交わらない、誰とも心から通じ合えない世界で、彼はどうやって生きていけばいいのか。
シヒスムンドの孤独を紛れさせるには、大陸統一という大きすぎる野望は都合がよかった。実際、テレーザ妃への贖罪へ心を縛られていたために、シヒスムンドは険しい道を挫けずに済み、そしてその道に邁進していたからこそ、孤独から目を背けていられた。
痛々しいその姿は、どうしようもなかったことだが、ダビドの望むところではなかった。
「俺が心の底から叶えたいのは、妃殿下の願いだ。あの人は先帝のひざ元で育つお前が、正しく、そして幸福になるよう願っていた。妃殿下であれば、お前を祝福した」
亡きテレーザ妃は、シヒスムンドの前ではいつでも快晴の空のように明るく、陽光のように優しい存在であり続けた。祖国を滅ぼし、自身をさらってきた男の血が流れていようと、シヒスムンドを生んだために一層の窮状に落ちようと、彼を愛していた。
シヒスムンドとダビドが、腐敗しきった先帝の時代にその中枢で育っても、正しさを見失わなかったのは、テレーザ妃のおかげだ。
テレーザ妃がいたからこそ他人を信じられる。瞳の魔力に苦しめられようと、シヒスムンドとダビドは信じあえる。そして、彼女が本当にシヒスムンドの幸福を願っていたことも、信じられる。
「それに、もしお前があの時ためらっていたら、俺はお前を軽蔑したよ、シグ。お前は自分の女を守れないような男になってくれるな。この先も、絶対に」
「ダビド……」
先帝にとって唯一の子供を身ごもったテレーザ妃を、先帝はすぐに飽きて見放した。敗戦国出身に加え、寵愛を失ったという侮蔑が、彼女の立場をより貶め、死に繋がった。先帝が殺したようなものだ。ダビドもシヒスムンドと同じく、先帝を軽蔑し、憎悪している。
しかし、テレーザ妃の死に抱いている思いは、シヒスムンドとは違う。シヒスムンドは彼女の死で罪悪感に苛まれているが、ダビドは無力感を覚えている。
シヒスムンドの影武者として用意されたダビドは、赤子の時連れてこられたために、そのままなら何の疑問もわかずに、操り人形のような従順さでシヒスムンドへ仕えたはずだった。だが、ダビドは理不尽な運命に対する怒りに塗れていた。
なぜ自分はこの国にいるのか。なぜ自分は皇太子のために生きなければならないのか。なぜ彼の身代わりであらねばならないのか。なぜ彼は母に会えるのに、自分は帰ることも叶わないのか。
それは、テレーザ妃がダビドに自我を与えてくれたから、手に入れられた感情だった。
何も教えなければ、反抗することなくシヒスムンドのために影武者を務めたというのに、テレーザ妃はダビドが御しづらくなるにもかかわらず、息子のように扱い、心を育ませた。ダビドは彼らのせいだと、テレーザ妃とシヒスムンドと衝突することもあった。
やがて、苦界にあるのは彼らも同じで、自身の不遇は二人のせいではないと気づいた。むしろそれでもダビドを人形のまま利用しなかったテレーザ妃の誠実さに心を打たれ、自分の命を捨てる時があれば、それは彼女のためにしようと決意していた。
なのに、テレーザ妃の最期は、シヒスムンドとダビドのどちらも見届けることができなかった。冷たくなった彼女の亡骸を、今でもありありと思い起こせる。ダビドが本当に守りたかった、ずっと年上の女性は、ダビドが何もできないまま死んでいった。
彼女の愛した息子、そして自身の親友には、自分の妻さえ守ろうとしない暴君にも、最愛のたった一人すら守れない無力な男にもなってほしくない。
「まぁ、お前が急に大陸統一の野望を捨てられるほど器用だとは思ってないさ。だが、妃殿下への贖罪にはするな。彼女を悼むために、彼女の望んだ正しい男になるために、大陸の平和を掴もう」
ダビドはシヒスムンドとの入れ替わりを解消した後も、誰とも結婚するつもりはない。
そのせいで、この先一生シヒスムンドとの関係を多かれ少なかれ疑われるのだろうな、と諦めている。
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