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人間編
58:武運の祈願(4)
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メルセデスが目を覚ますと、閉め切ったカーテンの隙間が僅かに明るくなり始めており、早朝であると分かった。シヒスムンドが帰る前に眠ってしまったのは初めてのことだ。
シヒスムンドはベッドから降りて、メルセデスに背を向けて身支度を整えている。素肌にシャツを羽織った時、薄暗い室内ではあるが、背中に傷とは違う痣のようなものが見えた気がした。
身じろぎすると、シヒスムンドが振り返った。
「まだ寝ていろ」
「大丈夫で……、やはり大丈夫ではないです……」
体を起こそうとして、まるで力が入らなかったので、結局諦めた。
例によってシヒスムンドの手で先に身を清められており、メルセデスはいつの間にか夜着も着ている。
寝転がったまま、シヒスムンドが服を身に着けていく様を眺める。
「よく覚えていないのですが、今回はなんだかとても疲れました」
「それは何よりだ」
反対にシヒスムンドは寝不足とは思えない清々しい表情だ。メルセデスの方は疲労のせいか、まだ眠くて仕方がない。
「俺が戻るまで、体に気をつけろ。三食残さず食え」
「はぁ……」
シヒスムンドは腿の肉がどうのこうの言っているが、メルセデスには何の話か分からなかった。
それより、シヒスムンドが戻った時のことで思い出したことがある。
「か……、シグ。次の愛妾との顔合わせの時、シグも陛下の護衛として来てくださいませんか」
閣下と呼んでしまいかけたところ、シヒスムンドが期待に目を輝かせる悪い顔をしたので、なぜか避けねばならない気がして踏みとどまり、シュザンヌと話した遠目での戦勝祝いのことを提案する。
メルセデスの時は間が空いてしまったが、基本的に皇帝と新たな愛妾の顔合わせは、愛妾の後宮入りの翌日らしい。だから、帰国したての多忙なシヒスムンドの安否は、皇帝の護衛として来てもらえれば早急に確認できる。
帰還後なるべく早く顔を見たいと考えているメルセデスの気持ちが伝わったのか、シヒスムンドは機嫌よく承諾する。
「ああ。構わん。元よりそのつもりだった」
「そうなのですか?」
元から儀礼的な行事には、シヒスムンドがなるべく同行していたらしい。メルセデスの時は、いつか誰かが言っていたように、帝国最強の男であるシヒスムンドがあえて護衛につかないことで、彼は必要ないほどメルセデスの危険性が抑えられていると示したかったそうだ。
その次に皇帝が後宮を訪れたのは、文化人との交流会であるが、この時シヒスムンドは、放火犯の面通しのためにメルセデスと練兵場近くにいた。そのため二回続けて護衛に現れなかった。だからシュザンヌも、次の愛妾との顔合わせにシヒスムンドが伴われないことを懸念し、来ないだろうかと願望を述べていたのだ。
「特に次は、後宮に刺客がいると分かっているのだから、当然俺が護衛につく」
「それもそうですね……」
「そんなことより、俺がいない間は、くれぐれも動き方には気をつけろ。刺客に、お前がその存在に気づいていると悟られるな」
シヒスムンドは身支度を終えてから、部屋中を見渡し、自身の痕跡が残っていないか確認した。
「では、行ってくる」
最後にベッドまで近寄ってきて、身を屈めてメルセデスに軽く口づけた。
「はい。ご武運をお祈りしております」
シヒスムンドは踵を返して、すぐに立ち止まった。
「メルセデス。まだ、新天地へ行きたいか」
「え?」
すぐには返事ができなかった。
行きたいかではなく、行くべき、後宮の異物である身としては、消えるべきとメルセデスは考えていた。シヒスムンドも同じ考えと思っていたのに、なぜそのようなことを尋ねるのか、理解できなかった。
「いや、答えは俺が戻ってから教えてくれ」
すぐに会話を打ち切って、振り返ることなくシヒスムンドは秘密の通路へ消えていった。
シヒスムンドはベッドから降りて、メルセデスに背を向けて身支度を整えている。素肌にシャツを羽織った時、薄暗い室内ではあるが、背中に傷とは違う痣のようなものが見えた気がした。
身じろぎすると、シヒスムンドが振り返った。
「まだ寝ていろ」
「大丈夫で……、やはり大丈夫ではないです……」
体を起こそうとして、まるで力が入らなかったので、結局諦めた。
例によってシヒスムンドの手で先に身を清められており、メルセデスはいつの間にか夜着も着ている。
寝転がったまま、シヒスムンドが服を身に着けていく様を眺める。
「よく覚えていないのですが、今回はなんだかとても疲れました」
「それは何よりだ」
反対にシヒスムンドは寝不足とは思えない清々しい表情だ。メルセデスの方は疲労のせいか、まだ眠くて仕方がない。
「俺が戻るまで、体に気をつけろ。三食残さず食え」
「はぁ……」
シヒスムンドは腿の肉がどうのこうの言っているが、メルセデスには何の話か分からなかった。
それより、シヒスムンドが戻った時のことで思い出したことがある。
「か……、シグ。次の愛妾との顔合わせの時、シグも陛下の護衛として来てくださいませんか」
閣下と呼んでしまいかけたところ、シヒスムンドが期待に目を輝かせる悪い顔をしたので、なぜか避けねばならない気がして踏みとどまり、シュザンヌと話した遠目での戦勝祝いのことを提案する。
メルセデスの時は間が空いてしまったが、基本的に皇帝と新たな愛妾の顔合わせは、愛妾の後宮入りの翌日らしい。だから、帰国したての多忙なシヒスムンドの安否は、皇帝の護衛として来てもらえれば早急に確認できる。
帰還後なるべく早く顔を見たいと考えているメルセデスの気持ちが伝わったのか、シヒスムンドは機嫌よく承諾する。
「ああ。構わん。元よりそのつもりだった」
「そうなのですか?」
元から儀礼的な行事には、シヒスムンドがなるべく同行していたらしい。メルセデスの時は、いつか誰かが言っていたように、帝国最強の男であるシヒスムンドがあえて護衛につかないことで、彼は必要ないほどメルセデスの危険性が抑えられていると示したかったそうだ。
その次に皇帝が後宮を訪れたのは、文化人との交流会であるが、この時シヒスムンドは、放火犯の面通しのためにメルセデスと練兵場近くにいた。そのため二回続けて護衛に現れなかった。だからシュザンヌも、次の愛妾との顔合わせにシヒスムンドが伴われないことを懸念し、来ないだろうかと願望を述べていたのだ。
「特に次は、後宮に刺客がいると分かっているのだから、当然俺が護衛につく」
「それもそうですね……」
「そんなことより、俺がいない間は、くれぐれも動き方には気をつけろ。刺客に、お前がその存在に気づいていると悟られるな」
シヒスムンドは身支度を終えてから、部屋中を見渡し、自身の痕跡が残っていないか確認した。
「では、行ってくる」
最後にベッドまで近寄ってきて、身を屈めてメルセデスに軽く口づけた。
「はい。ご武運をお祈りしております」
シヒスムンドは踵を返して、すぐに立ち止まった。
「メルセデス。まだ、新天地へ行きたいか」
「え?」
すぐには返事ができなかった。
行きたいかではなく、行くべき、後宮の異物である身としては、消えるべきとメルセデスは考えていた。シヒスムンドも同じ考えと思っていたのに、なぜそのようなことを尋ねるのか、理解できなかった。
「いや、答えは俺が戻ってから教えてくれ」
すぐに会話を打ち切って、振り返ることなくシヒスムンドは秘密の通路へ消えていった。
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