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人間編
51:幸せを許す(1)
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メルセデスから三日おきの定例報告を受けにいくため、シヒスムンドは皇帝の居室で秘密の通路へ入る準備をしていた。
ダビドがいつもの黒い外套を手渡してくれたので、それを羽織る。
「最近は後宮へ行くとき機嫌がいいな」
シヒスムンドは咎められたような気がして、言葉に詰まった。
ダビドのほうにその意図はないようで、シヒスムンドの様子に困ったように笑う。
「悪いことではないだろう。いつもどんな話をする? メルセデスは楽しそうか?」
咎められたように感じたが、それはダビドからではない。彼の言葉をきっかけに、背負ってきた業がその存在を忘れたかと、喉へ爪を立てた。
今はただ、調査の話のあとに、彼女の体を使って性欲の解消をしているだけだ。メルセデスは彼女なりの義理を果たし、シヒスムンドは彼女が後宮にいる間それを享受する。
それだけのことだと自分自身へ言い聞かせても、シヒスムンドの心の中に常にある後ろめたさが、これを言い訳だと断じた。
その証拠に、メルセデスが事件を解決すれば新天地へ行ってしまうことに、焦りを覚えている。彼女を手放すには惜しいと思っている。
彼女を惜しむ理由が、より満たされる情交が可能だからだとか、中身はどうでもいい。彼女が後宮にいない方が、後宮の女たちにとって都合がいいと分かっているにもかかわらず、惜しんでいることが問題なのだ。
シヒスムンドが過去に不幸へ陥れた人たちがいる。そこにはダビドも含まれ、彼に現在も果てしない苦労を掛けているのは、シヒスムンドの罪が原因だった。他に、命を落とした者もいる。そのような罪人が、自分の心身を慰めている場合ではない。全てをもって償わなくてはならない。
「……ほぼ調査の話だ。彼女が何を思っているかなど、知らん」
「シグ……」
シヒスムンドの突き放すような答えに、ダビドの表情は曇った。たしなめるような声音で、言葉を続けようとするところを遮る。
「彼女には調査に専念してもらえるならどうでもいい。いずれどこかへ行く女だ」
「……どういうことだ?」
怪訝な表情で眉をひそめるダビドに、シヒスムンドはまたやってしまったと内心焦った。
「調査に成功すれば、誰も彼女のことを知らない新天地へ送り出すと約束した……」
実は、メルセデスへの報酬は、ダビドの名を騙ってシヒスムンドが勝手に約束したものだ。事件が起きたときは、双方にとって良い条件だと考えたのだ。
「また勝手なことを……!」
ベルトランへの降嫁の件と異なり、メルセデスにとって不利な話ではないので激高まではしていないが、シヒスムンドの独断に腹を立てていることに変わりはない。
「今からでも頭を下げて、後宮に残ってくれと頼め!」
「なぜだ? 調査には役に立つが、それが終われば後宮では邪魔になる」
「お前が欲しているからだ」
歓迎会での一件で、後宮におけるメルセデスは、人間を殺しても構わないと思っている、恨んでも仕方のない怪物という位置づけだ。いない方がいいことに間違いはない。
「馬鹿を言うな。未だ後宮で何の役目も果たさん小娘を」
「お前は一体いつから自分の望みを隠すようになった」
ダビドの非難するような口調に、シヒスムンドは反感を覚える。シヒスムンドの望みは、ダビドと二人で目指してきたものではないか、と。
「望みは変わっていない。大陸統一をもってこの国に真の平和を――」
「そうすればお前は幸福になるのか。国民の安寧を見守り孤独でいることが、お前の幸福なのか。お前はこれからも、誰も愛さないつもりか」
その問いかけは、初めてだった。なぜ幸福や愛などというものを、この段になって持ち出すのか。なぜシヒスムンドに許されないものを、突きつけるのか。
ダビドに怒りさえ湧いてくる。
「誰かを愛すれば俺は幸福か? 俺の幸福をお前が論じるのか? 俺は現状に満足している。この目との付き合い方も受け入れている。大陸の平和を見届けたのならば、その瞬間に命が尽きようと構わない!」
平和を実現すれば、その時ようやく許される。
ダビドがいつもの黒い外套を手渡してくれたので、それを羽織る。
「最近は後宮へ行くとき機嫌がいいな」
シヒスムンドは咎められたような気がして、言葉に詰まった。
ダビドのほうにその意図はないようで、シヒスムンドの様子に困ったように笑う。
「悪いことではないだろう。いつもどんな話をする? メルセデスは楽しそうか?」
咎められたように感じたが、それはダビドからではない。彼の言葉をきっかけに、背負ってきた業がその存在を忘れたかと、喉へ爪を立てた。
今はただ、調査の話のあとに、彼女の体を使って性欲の解消をしているだけだ。メルセデスは彼女なりの義理を果たし、シヒスムンドは彼女が後宮にいる間それを享受する。
それだけのことだと自分自身へ言い聞かせても、シヒスムンドの心の中に常にある後ろめたさが、これを言い訳だと断じた。
その証拠に、メルセデスが事件を解決すれば新天地へ行ってしまうことに、焦りを覚えている。彼女を手放すには惜しいと思っている。
彼女を惜しむ理由が、より満たされる情交が可能だからだとか、中身はどうでもいい。彼女が後宮にいない方が、後宮の女たちにとって都合がいいと分かっているにもかかわらず、惜しんでいることが問題なのだ。
シヒスムンドが過去に不幸へ陥れた人たちがいる。そこにはダビドも含まれ、彼に現在も果てしない苦労を掛けているのは、シヒスムンドの罪が原因だった。他に、命を落とした者もいる。そのような罪人が、自分の心身を慰めている場合ではない。全てをもって償わなくてはならない。
「……ほぼ調査の話だ。彼女が何を思っているかなど、知らん」
「シグ……」
シヒスムンドの突き放すような答えに、ダビドの表情は曇った。たしなめるような声音で、言葉を続けようとするところを遮る。
「彼女には調査に専念してもらえるならどうでもいい。いずれどこかへ行く女だ」
「……どういうことだ?」
怪訝な表情で眉をひそめるダビドに、シヒスムンドはまたやってしまったと内心焦った。
「調査に成功すれば、誰も彼女のことを知らない新天地へ送り出すと約束した……」
実は、メルセデスへの報酬は、ダビドの名を騙ってシヒスムンドが勝手に約束したものだ。事件が起きたときは、双方にとって良い条件だと考えたのだ。
「また勝手なことを……!」
ベルトランへの降嫁の件と異なり、メルセデスにとって不利な話ではないので激高まではしていないが、シヒスムンドの独断に腹を立てていることに変わりはない。
「今からでも頭を下げて、後宮に残ってくれと頼め!」
「なぜだ? 調査には役に立つが、それが終われば後宮では邪魔になる」
「お前が欲しているからだ」
歓迎会での一件で、後宮におけるメルセデスは、人間を殺しても構わないと思っている、恨んでも仕方のない怪物という位置づけだ。いない方がいいことに間違いはない。
「馬鹿を言うな。未だ後宮で何の役目も果たさん小娘を」
「お前は一体いつから自分の望みを隠すようになった」
ダビドの非難するような口調に、シヒスムンドは反感を覚える。シヒスムンドの望みは、ダビドと二人で目指してきたものではないか、と。
「望みは変わっていない。大陸統一をもってこの国に真の平和を――」
「そうすればお前は幸福になるのか。国民の安寧を見守り孤独でいることが、お前の幸福なのか。お前はこれからも、誰も愛さないつもりか」
その問いかけは、初めてだった。なぜ幸福や愛などというものを、この段になって持ち出すのか。なぜシヒスムンドに許されないものを、突きつけるのか。
ダビドに怒りさえ湧いてくる。
「誰かを愛すれば俺は幸福か? 俺の幸福をお前が論じるのか? 俺は現状に満足している。この目との付き合い方も受け入れている。大陸の平和を見届けたのならば、その瞬間に命が尽きようと構わない!」
平和を実現すれば、その時ようやく許される。
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