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人間編
39:好意の種類(1)
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昼間、シュザンヌの居室へ招かれたメルセデスは、彼女と二人でお茶を飲んでいた。
今日の話題は、メルセデスの後宮での役目についてであった。
シヒスムンドが敗戦国から連れてきた愛妾たちは、それぞれ後宮で何かしらの役目を果たしているという。彼女たちの多くは文化人で、芸術や自国の知識を帝国へ発信しているそうだ。イルダのお茶会で会った愛妾は、数学者だった。他にも農業に関する研究をしている愛妾など枚挙にいとまがない。
しかし、祖国ではただの下働きであったメルセデスには、珍しくて役立つ特技はない。マリエルヴィの主流な芸術について造詣が深ければまだ良かったが、王城の美術品が置かれているような場所へは立ち入りが許されない身分だったので、そのあたりの知識もない。
皇帝からの特命を引き受けてはいるが、それは秘密なので、第三者から見て、今のところメルセデスはごく潰しである。
「わたくしもいろいろ考えてみたのだけれど、手記を綴ってみるのはいかがかしら?」
何かできることはないかとシュザンヌへ相談したところ、彼女からは意外な提案がもたらされた。
「手記、ですか?」
「ええ。メルセデス、あなたはマリエルヴィで、帝国の人々の思いもよらない、たぐい稀な経験をしているわ」
確かに、マリエルヴィは閉鎖的な国で、帝国からすると物珍しい文化があるかもしれない。また、メルセデスはその中でも少数派に当たる、魔女として生まれてきた。たぐい稀という点については間違いない。
「ですが、それを手記として、何か人の役に立つのでしょうか」
母が生きていた頃の幼少期は幸せだったが、それ以降は何も楽しいことなどなかった。読み物としては全く面白くないはずだ。
もしかすると、メルセデスを憎む帝国民からすると、悲惨な環境にいた話は胸がすいていいのだろうか。そう尋ねようとしたが、シュザンヌは流石にそんなことは考えていなかった。
「帝国では中流階級でも本をよく読むの。最近は都からより遠い、併合された敗戦国などでの、文化に違いがある地域での暮らしが分かるような本が、いくつか出版されているわ。異なる文化はとても興味深いものだから」
「それでしたら、私ではない方がいいのではありませんか」
マリエルヴィの標準的な国民に手記を書いてもらった方がよさそうなものである。
「そうね。一般的な暮らしの方が、読み物としては求められているの。けれど、わたくしが思うに、あなたの経験なら読み手は学者の先生方になると思うわ」
シュザンヌによると、帝国で魔術は一般的に認知はされているものの、いまだ不思議な存在であることには大陸全土と変わりなく、原理もわからなければ、十分に利用できているというわけでもない。
城の侵入者を検知する結界も、遥か昔の一人の魔術師が残した遺物で、本人の結界の魔力をどうにかして物に付属させたが、その方法は伝わっていないらしい。現在の魔術師たちも、自分の魔力をその時使うだけで、物に移すことはできていないそうだ。帝国には他にも、そういった魔術師たちの遺物が国宝として存在するという。
この大陸でもっとも先進的といえる帝国ですら、魔術に関してはその段階にある。
にもかかわらず、以前メルセデスがシュザンヌに語った生い立ちの中で、メルセデスの母は、自らの火の魔力を小さな木片に宿し、瞬時に火を灯す道具にして売り、生計を立てていた。
マリエルヴィの魔女は、魔術という一点においては、ともすれば帝国よりも進歩しているのではないか。メルセデスは母からそれらの方法を受け継いでおらず、あるのはおぼろげな記憶のみである。それでも、その記憶をつぶさに書き出せば、どこかに帝国の魔術研究を大きく前進させる情報が含まれているのではないか。
シュザンヌはそう考えたのだ。
「なるほど……。考えても見ませんでした」
幸い、帝国とマリエルヴィは、話す言葉は発音や抑揚が少し違うぐらいで、文字も想像で読み替えできる程度には似ている。おかげでメルセデスはこの国へ連れて来られても言葉に困らなかった。勉強しなおさずとも手記を書き始められるだろう。
なぜ遠く離れた帝国とマリエルヴィの言語が似ているかについては、遠い昔、大陸に巨大な国があり、その国が源流になっているからだとか、いろいろと説明された覚えがあるが、メルセデスは詳しいことを忘れてしまった。
「ありがとうございます。シュザンヌ様。上手くいくかわかりませんが、やってみます」
「ええ。応援しているわ」
優しげに微笑むシュザンヌから与えられた初仕事に、メルセデスは少し誇らしい気持ちになった。
今日の話題は、メルセデスの後宮での役目についてであった。
シヒスムンドが敗戦国から連れてきた愛妾たちは、それぞれ後宮で何かしらの役目を果たしているという。彼女たちの多くは文化人で、芸術や自国の知識を帝国へ発信しているそうだ。イルダのお茶会で会った愛妾は、数学者だった。他にも農業に関する研究をしている愛妾など枚挙にいとまがない。
しかし、祖国ではただの下働きであったメルセデスには、珍しくて役立つ特技はない。マリエルヴィの主流な芸術について造詣が深ければまだ良かったが、王城の美術品が置かれているような場所へは立ち入りが許されない身分だったので、そのあたりの知識もない。
皇帝からの特命を引き受けてはいるが、それは秘密なので、第三者から見て、今のところメルセデスはごく潰しである。
「わたくしもいろいろ考えてみたのだけれど、手記を綴ってみるのはいかがかしら?」
何かできることはないかとシュザンヌへ相談したところ、彼女からは意外な提案がもたらされた。
「手記、ですか?」
「ええ。メルセデス、あなたはマリエルヴィで、帝国の人々の思いもよらない、たぐい稀な経験をしているわ」
確かに、マリエルヴィは閉鎖的な国で、帝国からすると物珍しい文化があるかもしれない。また、メルセデスはその中でも少数派に当たる、魔女として生まれてきた。たぐい稀という点については間違いない。
「ですが、それを手記として、何か人の役に立つのでしょうか」
母が生きていた頃の幼少期は幸せだったが、それ以降は何も楽しいことなどなかった。読み物としては全く面白くないはずだ。
もしかすると、メルセデスを憎む帝国民からすると、悲惨な環境にいた話は胸がすいていいのだろうか。そう尋ねようとしたが、シュザンヌは流石にそんなことは考えていなかった。
「帝国では中流階級でも本をよく読むの。最近は都からより遠い、併合された敗戦国などでの、文化に違いがある地域での暮らしが分かるような本が、いくつか出版されているわ。異なる文化はとても興味深いものだから」
「それでしたら、私ではない方がいいのではありませんか」
マリエルヴィの標準的な国民に手記を書いてもらった方がよさそうなものである。
「そうね。一般的な暮らしの方が、読み物としては求められているの。けれど、わたくしが思うに、あなたの経験なら読み手は学者の先生方になると思うわ」
シュザンヌによると、帝国で魔術は一般的に認知はされているものの、いまだ不思議な存在であることには大陸全土と変わりなく、原理もわからなければ、十分に利用できているというわけでもない。
城の侵入者を検知する結界も、遥か昔の一人の魔術師が残した遺物で、本人の結界の魔力をどうにかして物に付属させたが、その方法は伝わっていないらしい。現在の魔術師たちも、自分の魔力をその時使うだけで、物に移すことはできていないそうだ。帝国には他にも、そういった魔術師たちの遺物が国宝として存在するという。
この大陸でもっとも先進的といえる帝国ですら、魔術に関してはその段階にある。
にもかかわらず、以前メルセデスがシュザンヌに語った生い立ちの中で、メルセデスの母は、自らの火の魔力を小さな木片に宿し、瞬時に火を灯す道具にして売り、生計を立てていた。
マリエルヴィの魔女は、魔術という一点においては、ともすれば帝国よりも進歩しているのではないか。メルセデスは母からそれらの方法を受け継いでおらず、あるのはおぼろげな記憶のみである。それでも、その記憶をつぶさに書き出せば、どこかに帝国の魔術研究を大きく前進させる情報が含まれているのではないか。
シュザンヌはそう考えたのだ。
「なるほど……。考えても見ませんでした」
幸い、帝国とマリエルヴィは、話す言葉は発音や抑揚が少し違うぐらいで、文字も想像で読み替えできる程度には似ている。おかげでメルセデスはこの国へ連れて来られても言葉に困らなかった。勉強しなおさずとも手記を書き始められるだろう。
なぜ遠く離れた帝国とマリエルヴィの言語が似ているかについては、遠い昔、大陸に巨大な国があり、その国が源流になっているからだとか、いろいろと説明された覚えがあるが、メルセデスは詳しいことを忘れてしまった。
「ありがとうございます。シュザンヌ様。上手くいくかわかりませんが、やってみます」
「ええ。応援しているわ」
優しげに微笑むシュザンヌから与えられた初仕事に、メルセデスは少し誇らしい気持ちになった。
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