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人間編
36:皇帝と将軍(3)
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王城の廊下で、シヒスムンドは顔を見るだけで不愉快になる男に出会ってしまった。
「やぁリカルド」
「世間話をしている暇はないが」
片手を上げながら親しげに近寄ってくるベルトランに、シヒスムンドは仕事の話だけを済ませろと釘をさす。
だがベルトランはどこ吹く風だ。
「先日頼んだ件なんだが……」
何のことかわからなかったが、一拍置いて、メルセデスの降嫁を頼まれていたことを思い出した。
あの時はメルセデスが、マリエルヴィの王太子と共謀して先遣隊を襲撃し、火事でわざと逃げずに怯えたふりをしてシヒスムンドを煩わせた極悪人と思っていた。そのため、この男に降嫁して間接的に惨殺するのもありだと考えていた。
だからダビドに黙って降嫁してしまおうとしたが、彼に強く却下されたし、そうでなくても誤解が解けた今ではありえない話だ。
「陛下は、一度迎えた以上、他の愛妾と区別なく庇護なさるおつもりだ」
「彼女については特別扱いをした方が、皆が納得するさ。君の口添えがあれば、陛下もお許しになるのではないか?」
つまり、申し伝えるだけでなく、降嫁してもらえるようダビドを説得しろと言っているのだ。
「うぐっ!」
周りに誰もいないのをいいことに、ベルトランの襟首を掴んだ。逃げられないようにして、まともに目を合わせる。
「俺に女衒の真似事をしろと? あいにく知っての通り、女の扱いは不得手でな」
この目の魔力のせいで、女と深い仲にはなれない。そうであろう、というのは誰にでも想像がつくことだ。
「だが、身の程知らずの兵士の扱いは慣れているつもりだ」
しっかり目を合わせてしまったベルトランは、すぐに逸らしたが既に顔を青くしている。
手を離してやれば、早足に尻尾を巻いて逃げていった。
もっとあの男に魔力が少なければ、気絶させてやれたものを。魔力を強めれば昏倒させられるが、『偶然』ではなく恣意的に気絶させたとあっては後でどんな問題になるかわからない。あんな男でも、貴族で、軍人としても階級は高い。
シヒスムンドは、これまでベルトランをどれほど不愉快に感じても、あそこまでしたことはなかった。
しかし今回は自分を抑えられなかった。
ベルトランがメルセデスの姿を思い返し、手に入れてあの白い肌を蹂躙する想像をしていると、そう思うだけで耐えがたい不快感が沸き立ち、いつの間にか襟首を掴んでいた。
不快感の理由はもうわかってしまっている。
メルセデスの血の気の少ない肌も、青く光る黒髪も、あどけない薄い唇も、青灰色の静かな瞳も、シヒスムンドは自分に手に入れる権利があると思っているのだ。心のどこかでそう思っているからこそ、自分の大事なものに手を出され、貶められたような気がして、ベルトランの想像が不快で仕方なかった。
仕事の合間のふとした瞬間や、夜眠りにつくまでに、何度もあの目を思い返している。シヒスムンドを恐れず見つめ返す瞳を。
あれが欲しい。
(身の程知らずは俺だ……)
手を伸ばしてはならない。だが理性を剥いだ感情や本能の部分は、メルセデスが欲しいと渇望し、独占欲にまみれてのたうち回っている。
彼女は、シヒスムンドにとってようやく現れた『他人』だ。
誰もが目を逸らし、恐怖する。シヒスムンドからすれば、拒絶しか示さないダビド以外の人々は、心を通わせられない、『別の生き物』だった。ダビドと、別の生き物しかいない孤独な世界に、やっと現れた他人。
どうして求めずにいられるのか。
(理性に従え! 彼女はいずれ新天地へ出ていく!)
手の届かない場所へ遠ざけてしまわなければ、いずれ自身が野望のことも忘れかねない。いよいよ恐れていることが現実のものになりつつあると、シヒスムンドは自覚せざるをえなかった。
「やぁリカルド」
「世間話をしている暇はないが」
片手を上げながら親しげに近寄ってくるベルトランに、シヒスムンドは仕事の話だけを済ませろと釘をさす。
だがベルトランはどこ吹く風だ。
「先日頼んだ件なんだが……」
何のことかわからなかったが、一拍置いて、メルセデスの降嫁を頼まれていたことを思い出した。
あの時はメルセデスが、マリエルヴィの王太子と共謀して先遣隊を襲撃し、火事でわざと逃げずに怯えたふりをしてシヒスムンドを煩わせた極悪人と思っていた。そのため、この男に降嫁して間接的に惨殺するのもありだと考えていた。
だからダビドに黙って降嫁してしまおうとしたが、彼に強く却下されたし、そうでなくても誤解が解けた今ではありえない話だ。
「陛下は、一度迎えた以上、他の愛妾と区別なく庇護なさるおつもりだ」
「彼女については特別扱いをした方が、皆が納得するさ。君の口添えがあれば、陛下もお許しになるのではないか?」
つまり、申し伝えるだけでなく、降嫁してもらえるようダビドを説得しろと言っているのだ。
「うぐっ!」
周りに誰もいないのをいいことに、ベルトランの襟首を掴んだ。逃げられないようにして、まともに目を合わせる。
「俺に女衒の真似事をしろと? あいにく知っての通り、女の扱いは不得手でな」
この目の魔力のせいで、女と深い仲にはなれない。そうであろう、というのは誰にでも想像がつくことだ。
「だが、身の程知らずの兵士の扱いは慣れているつもりだ」
しっかり目を合わせてしまったベルトランは、すぐに逸らしたが既に顔を青くしている。
手を離してやれば、早足に尻尾を巻いて逃げていった。
もっとあの男に魔力が少なければ、気絶させてやれたものを。魔力を強めれば昏倒させられるが、『偶然』ではなく恣意的に気絶させたとあっては後でどんな問題になるかわからない。あんな男でも、貴族で、軍人としても階級は高い。
シヒスムンドは、これまでベルトランをどれほど不愉快に感じても、あそこまでしたことはなかった。
しかし今回は自分を抑えられなかった。
ベルトランがメルセデスの姿を思い返し、手に入れてあの白い肌を蹂躙する想像をしていると、そう思うだけで耐えがたい不快感が沸き立ち、いつの間にか襟首を掴んでいた。
不快感の理由はもうわかってしまっている。
メルセデスの血の気の少ない肌も、青く光る黒髪も、あどけない薄い唇も、青灰色の静かな瞳も、シヒスムンドは自分に手に入れる権利があると思っているのだ。心のどこかでそう思っているからこそ、自分の大事なものに手を出され、貶められたような気がして、ベルトランの想像が不快で仕方なかった。
仕事の合間のふとした瞬間や、夜眠りにつくまでに、何度もあの目を思い返している。シヒスムンドを恐れず見つめ返す瞳を。
あれが欲しい。
(身の程知らずは俺だ……)
手を伸ばしてはならない。だが理性を剥いだ感情や本能の部分は、メルセデスが欲しいと渇望し、独占欲にまみれてのたうち回っている。
彼女は、シヒスムンドにとってようやく現れた『他人』だ。
誰もが目を逸らし、恐怖する。シヒスムンドからすれば、拒絶しか示さないダビド以外の人々は、心を通わせられない、『別の生き物』だった。ダビドと、別の生き物しかいない孤独な世界に、やっと現れた他人。
どうして求めずにいられるのか。
(理性に従え! 彼女はいずれ新天地へ出ていく!)
手の届かない場所へ遠ざけてしまわなければ、いずれ自身が野望のことも忘れかねない。いよいよ恐れていることが現実のものになりつつあると、シヒスムンドは自覚せざるをえなかった。
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