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魔女編
27:象と反省(1)
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「それはまずかったな、シグ」
「どういうことだ?」
ある晩、皇帝の居室で、シヒスムンドは部屋の主と二人きりで話をしていた。ソファに対面で腰かけ、お互い楽な私服に着替え、酒を片手にしている。
「お前がメルセデスに会いに行っている間に、報告書が届いた」
ダビドは、テーブルの上に出しておいた手紙を取り上げて、ひらひらと振った。この報告書は、信頼のおける後宮の内通者から秘密裏に提出されるもので、後宮内で起きた特筆すべき出来事等を知らせてくれている。
シヒスムンドは差し出されたそれを手に取って、目を走らせる。
「メルセデスの歓迎会での様子が主だ」
『一般的な倫理観の欠如。魔女の概念に整理が必要。魔女と人間を別の生物と認識している様子。魔女と人間は殺し合うと認識のため殺人への抵抗なし。善悪の概念も異常。ただし、宗教上の戒律により自衛のための魔力の使用を禁ずる。一方他人の命令等での行使は容認。従って先遣隊への攻撃の件に、教義への違反や罪悪感なし』
途中まで読んで、シヒスムンドは顔を上げた。
「こんなことがあり得るのか? その場を切り抜けるための虚言ではないか?」
「いや、最後まで読めばわかるが、信用できる」
会話を続けながら、読み進める。
「マリエルヴィの統治はどうだ。ダビド」
「あそこまで他国との交流の少ない国は久々だ。遅れている。それからあの国の、魔女と呼ばれた者への迫害は相当苛烈なようだ」
現地から届くいくつかの報告書が、王国内でまれに魔女が発見され、処刑された記録があったと語っているそうだ。
「宗教についても記載があったが、それらは魔女の存在を許容していなかった。メルセデスの信じる神は、あの国の国教ではなさそうだ。おそらく、教義も何も確立されていない、宗教とも呼べないようなものだろう。親が子を窘めるときに使う、『そんなことをすると罰が当たる』という方便程度のものだ。そのような教えを強固に守り従うのは、他に縋るものがないほど追い詰められていたということだ。魔女が別の生物という概念も同様に信じ縋るべきものだったのだろうな。正気でいられなかったとまで口にするとは……。心のよすがを否定されたから激高したのではないか」
シヒスムンドは、若干の罪悪感を感じつつ、憮然とつぶやく。
「宗教は生き方のしるべになるものであって、傾倒すべきものではない。あれほどの力を持ちながら、そのような異常な考えに縋らねばならないなど、矛盾している」
「そうかもしれないな。ところでシグ。こんな話を知っているか」
とある海の向こうの遠い異国の話。
象という巨大な生物を御すために、小さい子供の頃に足枷をつけて杭へ繋ぐ。小象はまだ力が未熟で枷から逃げられない。やがて大人の象になった時、もはや杭は簡単に引き抜けるほど強く巨大になっているのだが、小象の時に逃げられないという認識を植え付けられているため、枷を外そうとすることはないのだという。
「それがなんだ」
「彼女は自分にどれほどの力があるのか、先遣隊を襲うまで知らなかったそうだ。だから、虐げられるままの幼少期の記憶から逃れられず、自分の力を知った今でも、『人間に迫害されるままの弱い魔女』でしかいられない。王太子に従うしかなかったのも、自分が抵抗できるとは思えなかったのだろう。人間という別の生き物しかいない周囲にも、弱い魔女である自分自身にも頼れない哀れな娘に、惨いことをしたものだな」
「ぐ……」
何か反論したいところであるが、彼女に任務を引き受けさせると豪語しておきながら、決定的な口論をしてしまい、もしかするとへそを曲げられて計画がとん挫するかもしれない状況に陥った。その手前、言い返せることなどない。
「お前、最初からわかっていたのか?」
シヒスムンドの問いかけに、ダビドはかぶりを振る。
「まさか。王国の魔女がどんな存在か、これまで報告書に上がってきていなかったからな。だが、初めから彼女には悪意を感じていなかった。あるのは、戸惑いと恐怖だけだった」
ダビドも強力な魔術の使い手だ。魔力にはそれぞれの特色があり、例えばメルセデスの能力は破壊である。ダビドの場合は受動的で、生き物から出る喜怒哀楽や好悪、善意や悪意などの感情を視認できる。
火事のあった日、シヒスムンドが都合よく現場に駆け付けられたのは、ダビドから不審な兵士を追うよう指示を受けたからだ。そしてダビドがその指示をしたのは、メルセデスをつけていった兵士から強烈な敵意が見えたためであった。
「それで、理解しろと煩かったのか……」
「彼女は確かに先遣隊を襲撃したが、そこに悪意はない。俺たちの知らないことがある」
ダビドが自らの魔力で見た結果をシヒスムンドに最初から教えなかったのは、自主的にメルセデスへ歩み寄ることを促したかったからだろう。
「それで、悪意がなければ許せとでも言いだすのか? お前は社会的弱者の犯罪すべてに恩赦を与えるつもりか。それは根本的な解決にならん。俺たちがすべきは、あの国の悪しき因習の破壊だ。犯した罪はそこにあり続ける。その時々の憐憫の情に流されて、罰を与えないなど平等ではない」
「どういうことだ?」
ある晩、皇帝の居室で、シヒスムンドは部屋の主と二人きりで話をしていた。ソファに対面で腰かけ、お互い楽な私服に着替え、酒を片手にしている。
「お前がメルセデスに会いに行っている間に、報告書が届いた」
ダビドは、テーブルの上に出しておいた手紙を取り上げて、ひらひらと振った。この報告書は、信頼のおける後宮の内通者から秘密裏に提出されるもので、後宮内で起きた特筆すべき出来事等を知らせてくれている。
シヒスムンドは差し出されたそれを手に取って、目を走らせる。
「メルセデスの歓迎会での様子が主だ」
『一般的な倫理観の欠如。魔女の概念に整理が必要。魔女と人間を別の生物と認識している様子。魔女と人間は殺し合うと認識のため殺人への抵抗なし。善悪の概念も異常。ただし、宗教上の戒律により自衛のための魔力の使用を禁ずる。一方他人の命令等での行使は容認。従って先遣隊への攻撃の件に、教義への違反や罪悪感なし』
途中まで読んで、シヒスムンドは顔を上げた。
「こんなことがあり得るのか? その場を切り抜けるための虚言ではないか?」
「いや、最後まで読めばわかるが、信用できる」
会話を続けながら、読み進める。
「マリエルヴィの統治はどうだ。ダビド」
「あそこまで他国との交流の少ない国は久々だ。遅れている。それからあの国の、魔女と呼ばれた者への迫害は相当苛烈なようだ」
現地から届くいくつかの報告書が、王国内でまれに魔女が発見され、処刑された記録があったと語っているそうだ。
「宗教についても記載があったが、それらは魔女の存在を許容していなかった。メルセデスの信じる神は、あの国の国教ではなさそうだ。おそらく、教義も何も確立されていない、宗教とも呼べないようなものだろう。親が子を窘めるときに使う、『そんなことをすると罰が当たる』という方便程度のものだ。そのような教えを強固に守り従うのは、他に縋るものがないほど追い詰められていたということだ。魔女が別の生物という概念も同様に信じ縋るべきものだったのだろうな。正気でいられなかったとまで口にするとは……。心のよすがを否定されたから激高したのではないか」
シヒスムンドは、若干の罪悪感を感じつつ、憮然とつぶやく。
「宗教は生き方のしるべになるものであって、傾倒すべきものではない。あれほどの力を持ちながら、そのような異常な考えに縋らねばならないなど、矛盾している」
「そうかもしれないな。ところでシグ。こんな話を知っているか」
とある海の向こうの遠い異国の話。
象という巨大な生物を御すために、小さい子供の頃に足枷をつけて杭へ繋ぐ。小象はまだ力が未熟で枷から逃げられない。やがて大人の象になった時、もはや杭は簡単に引き抜けるほど強く巨大になっているのだが、小象の時に逃げられないという認識を植え付けられているため、枷を外そうとすることはないのだという。
「それがなんだ」
「彼女は自分にどれほどの力があるのか、先遣隊を襲うまで知らなかったそうだ。だから、虐げられるままの幼少期の記憶から逃れられず、自分の力を知った今でも、『人間に迫害されるままの弱い魔女』でしかいられない。王太子に従うしかなかったのも、自分が抵抗できるとは思えなかったのだろう。人間という別の生き物しかいない周囲にも、弱い魔女である自分自身にも頼れない哀れな娘に、惨いことをしたものだな」
「ぐ……」
何か反論したいところであるが、彼女に任務を引き受けさせると豪語しておきながら、決定的な口論をしてしまい、もしかするとへそを曲げられて計画がとん挫するかもしれない状況に陥った。その手前、言い返せることなどない。
「お前、最初からわかっていたのか?」
シヒスムンドの問いかけに、ダビドはかぶりを振る。
「まさか。王国の魔女がどんな存在か、これまで報告書に上がってきていなかったからな。だが、初めから彼女には悪意を感じていなかった。あるのは、戸惑いと恐怖だけだった」
ダビドも強力な魔術の使い手だ。魔力にはそれぞれの特色があり、例えばメルセデスの能力は破壊である。ダビドの場合は受動的で、生き物から出る喜怒哀楽や好悪、善意や悪意などの感情を視認できる。
火事のあった日、シヒスムンドが都合よく現場に駆け付けられたのは、ダビドから不審な兵士を追うよう指示を受けたからだ。そしてダビドがその指示をしたのは、メルセデスをつけていった兵士から強烈な敵意が見えたためであった。
「それで、理解しろと煩かったのか……」
「彼女は確かに先遣隊を襲撃したが、そこに悪意はない。俺たちの知らないことがある」
ダビドが自らの魔力で見た結果をシヒスムンドに最初から教えなかったのは、自主的にメルセデスへ歩み寄ることを促したかったからだろう。
「それで、悪意がなければ許せとでも言いだすのか? お前は社会的弱者の犯罪すべてに恩赦を与えるつもりか。それは根本的な解決にならん。俺たちがすべきは、あの国の悪しき因習の破壊だ。犯した罪はそこにあり続ける。その時々の憐憫の情に流されて、罰を与えないなど平等ではない」
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