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魔女編
10:悪い魔女(2)
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メルセデスは、迎え撃つように立ち上がり、危害を加えられたとしても殺されるわけではないと、自分を奮起させた。
いくらメルセデスが憎まれていても、愛妾は気安く殺していい存在ではない。だからシヒスムンドがメルセデスを愛妾に選んだとき、兵士たちはもう手出しできなくなったと歯噛みしたし、帝国へ運ばれる間も罵倒や馬車等を叩いての威圧以外できなかった。
あの時は殺されると怯えたが、後宮での扱い等から、後になりそのようなことはないと理解した。メルセデスを殺せるのは、もはや相応の権力を持った皇帝と将軍だけと思っていいだろう。
「順調なようで何よりだな。王国の魔女」
ランプを持つ男が、言葉を吐き捨てた。頼りない明かりでも、彼の怒りに燃える顔はよくわかる。
男は帯剣している。他の三人も同様。全員儀礼用と思しき、装飾のある華美な軍服を身に着けている。何名かは装飾が違うため、階級か何かが違うのだろう。
「マリエルヴィで無用な血を流しておきながら、法の抜け穴を突いて首尾よく処刑を免れ、今は優雅に後宮暮らしか」
この強い怒りからして、男たちはおそらく、メルセデスが殺した先遣隊の誰かの縁者と予想された。
メルセデスは、ここで最適な反応は何かと考えた。
泣き叫び、這いつくばって許しを請うことだろうか。それは違う。メルセデスが憎悪の的として機能するには、彼らから見て、ひたすらに許し難く、時折罰を受け、それでも悔い改めない恒久の悪でなければならない。
改心などして彼らが許し得る存在になってしまっては、それまで彼らの悲しみを忘れさせてくれていた怒りが消えてしまう。怒りを向ける存在がなく、自分だけで抱え込むしかない喪失の悲しみはどれほど辛いものか。
だからメルセデスは、シヒスムンドの期待する通り、憎悪の的として彼らの神経を逆なでする必要がある。
「戦場で、あなた方に流れるのは無用な血で、王国側は必要な犠牲ですか?」
声が震えないように、男の言葉から感じた勝者の驕りを指摘した。
殺しあうことが当然の、戦場における命のやり取り。どちらが死んでもやむを得ない状況にもかかわらず、生じた味方の被害を無用な血と評している。それは、勝者である自分たちの命だけが、失われるべきものではなかったと考えていることに他ならない。
「……っ、貴様ァ!」
「うっ……」
それを見透かされたからか、ランプを持った男は、メルセデスの胸倉を掴み上げた。
「閣下のご配慮を、よくもそのような!」
「私は、自分の役目を果たしているだけです」
興奮した男の手がぶれて、ランプの火がメルセデスに少しだけ近寄った。
「いやっ!」
とっさにメルセデスは頭を庇おうと腕を上げる。
手枷の鎖が、その拍子にランプに引っかかった。
ランプは鎖に弾かれて、油を飛び散らしながら絨毯に落ちた。油の染みた場所に火が広がる。
「しまった……!」
男は慌てた様子でメルセデスから手を離した。
メルセデスはふらふらと後ずさり、壁際に座り込む。
「セラ卿、まずいですよ……!」
「大した火じゃない。布でもかぶせればすぐに――」
「――おい!」
掴みかかっていた男が上着を脱いで消火しようとしたところで、扉が破るように勢いよく開かれた。外にまだ一人いたのだ。
「人が来た! 出ろ!」
火を消そうとしていた男は、消火を優先するか逡巡したが、逃げることに決めた。男たちは部屋から飛び出していった。
火はゆっくりと、絨毯を燃やしていく。
「あ、……あ」
どくん、どくん、と早く大きくなった鼓動の音。飛び交う怒号。狂喜の歓声。
小さかった火は瞬時に渦を巻いて燃え上がり、視界は赤い業火に覆われる。
メルセデスの記憶は、そこで途切れた。
いくらメルセデスが憎まれていても、愛妾は気安く殺していい存在ではない。だからシヒスムンドがメルセデスを愛妾に選んだとき、兵士たちはもう手出しできなくなったと歯噛みしたし、帝国へ運ばれる間も罵倒や馬車等を叩いての威圧以外できなかった。
あの時は殺されると怯えたが、後宮での扱い等から、後になりそのようなことはないと理解した。メルセデスを殺せるのは、もはや相応の権力を持った皇帝と将軍だけと思っていいだろう。
「順調なようで何よりだな。王国の魔女」
ランプを持つ男が、言葉を吐き捨てた。頼りない明かりでも、彼の怒りに燃える顔はよくわかる。
男は帯剣している。他の三人も同様。全員儀礼用と思しき、装飾のある華美な軍服を身に着けている。何名かは装飾が違うため、階級か何かが違うのだろう。
「マリエルヴィで無用な血を流しておきながら、法の抜け穴を突いて首尾よく処刑を免れ、今は優雅に後宮暮らしか」
この強い怒りからして、男たちはおそらく、メルセデスが殺した先遣隊の誰かの縁者と予想された。
メルセデスは、ここで最適な反応は何かと考えた。
泣き叫び、這いつくばって許しを請うことだろうか。それは違う。メルセデスが憎悪の的として機能するには、彼らから見て、ひたすらに許し難く、時折罰を受け、それでも悔い改めない恒久の悪でなければならない。
改心などして彼らが許し得る存在になってしまっては、それまで彼らの悲しみを忘れさせてくれていた怒りが消えてしまう。怒りを向ける存在がなく、自分だけで抱え込むしかない喪失の悲しみはどれほど辛いものか。
だからメルセデスは、シヒスムンドの期待する通り、憎悪の的として彼らの神経を逆なでする必要がある。
「戦場で、あなた方に流れるのは無用な血で、王国側は必要な犠牲ですか?」
声が震えないように、男の言葉から感じた勝者の驕りを指摘した。
殺しあうことが当然の、戦場における命のやり取り。どちらが死んでもやむを得ない状況にもかかわらず、生じた味方の被害を無用な血と評している。それは、勝者である自分たちの命だけが、失われるべきものではなかったと考えていることに他ならない。
「……っ、貴様ァ!」
「うっ……」
それを見透かされたからか、ランプを持った男は、メルセデスの胸倉を掴み上げた。
「閣下のご配慮を、よくもそのような!」
「私は、自分の役目を果たしているだけです」
興奮した男の手がぶれて、ランプの火がメルセデスに少しだけ近寄った。
「いやっ!」
とっさにメルセデスは頭を庇おうと腕を上げる。
手枷の鎖が、その拍子にランプに引っかかった。
ランプは鎖に弾かれて、油を飛び散らしながら絨毯に落ちた。油の染みた場所に火が広がる。
「しまった……!」
男は慌てた様子でメルセデスから手を離した。
メルセデスはふらふらと後ずさり、壁際に座り込む。
「セラ卿、まずいですよ……!」
「大した火じゃない。布でもかぶせればすぐに――」
「――おい!」
掴みかかっていた男が上着を脱いで消火しようとしたところで、扉が破るように勢いよく開かれた。外にまだ一人いたのだ。
「人が来た! 出ろ!」
火を消そうとしていた男は、消火を優先するか逡巡したが、逃げることに決めた。男たちは部屋から飛び出していった。
火はゆっくりと、絨毯を燃やしていく。
「あ、……あ」
どくん、どくん、と早く大きくなった鼓動の音。飛び交う怒号。狂喜の歓声。
小さかった火は瞬時に渦を巻いて燃え上がり、視界は赤い業火に覆われる。
メルセデスの記憶は、そこで途切れた。
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