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魔女編
9:戦勝祝いの夜会(2)
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味方の誰一人いない夜会で、メルセデスは耳に届くよう放たれる陰口を、聞こえない振りをしながら立っていた。
生まれてこの方、大勢の視線を集めたことは数えるほどで、どれもいい思い出はない。最近なら謁見の間で告発を受けた時や、後宮へ入った初日の庭園だ。注目されることを嫌って避けてきた。
にもかかわらず、人々からの注目が想定される夜会へ出席したのは、自分の役目を果たすためだ。
新入りの愛妾は、後宮入りして最初に開かれた夜会でお披露目をして、ようやく後宮の一員として認められるという慣例があるらしい。他の愛妾たちに認められたいわけではない。だが、通常は出席するのであれば、それをしなければ、注目される場を避けた、即ち憎悪の的としての役目を放棄したとみなされかねない。
だから、今は我慢して、人々の視線と言葉を受け止めるしかない。
やがて、遠巻きにしていた観衆の中から、男が一人進み出てくる。普通の礼服だから軍人ではない。
男は何を思ったのか、メルセデスに手を差し出した。
「一曲踊っていただけませんか?」
人を見下した笑みを隠そうともしていない。彼は、メルセデスと踊ることを望んでいるのではない。
メルセデスはため息をついて、男の望むとおりにして見せる。
「お受けできかねます。手枷で踊れないのです」
踊り方はシュザンヌが教えてくれた。だが、手首を繋ぐ手枷の鎖は、肩幅より開かない。踊るには短すぎる。
鎖をじゃらりと鳴らしながら腕を持ち上げれば、男はまるで今初めて気がついたかのように、大げさに驚いて見せた。
「これはこれは! 私としたことが、失礼いたしました」
こちらを伺っていた観衆からも、笑い声が沸き起こる。
笑っているのは、おそらく遺族ではない。メルセデスを責め、貶める大義名分を得たと思っている、関係のない大衆だ。その証拠に、憎悪に満ちた刺すような視線は、彼ら以外から緩むことなくメルセデスへ注がれている。
「いったいなぜ、このようなものを着けておられるのですか?」
メルセデスは先ほどから頭痛と吐き気を覚えていた。人のいない場所へ行きたい。
「それは――、」
よく考えれば、笑っている彼らのための道化になる必要はない。享楽的な彼らを楽しませるものはいくらでもあるはずだ。メルセデスは、戦争の被害者の憎悪の的である。彼らの憎悪は、あの戦場で人を殺したメルセデスでしか慰められないから、将軍は彼女を生かしたはずだ。笑う者たちの機嫌を取るのはメルセデスの役目ではない。
すぐこの場を離れたいが故の、都合のいい解釈かもしれないが、今日のこの場ではもう十分役目を果たしただろう。
シュザンヌとよく練習した通りに礼を取った。
「失礼します」
小国の下働きの女ごときが、貴族らしき男の話の途中で場を辞すことに怒りを覚えたのか、男は途端に不機嫌そうに顔を歪めたが、メルセデスは無視して横をすり抜ける。
この広間から出たい。でもまだ帰りの時間は来ていない。逡巡して、メルセデスは入ってきた扉とは違う扉を適当に選んで、広間から出て行った。
「まあ予想通りではあるか……」
誰にともなく、玉座から広間の様子を眺めていた皇帝ダビドは呟いた。
メルセデスを取り囲んで笑っていた貴族たちは、彼女が退室すれば、すぐに興味を失ったのか、またどうでもいい話に興じ始めた。
メルセデスがこの場に出れば、ああなる予感はあった。ある程度慣例には従うふりぐらいしてもらえた方が、後宮で他人と暮らさねばならない彼女にとっては良い方に働くはずだ。なので、女官に根回しするまでもなく、出席を決めてくれていてよかったと思っていた。彼女の祖国での行いから出た錆なのだから、少しぐらい不遇にあっても我慢してもらいたいと。
とはいえ、あのような、人々の悪意の吹き溜まりらしきものを見ていると、なんとも言えない不快感が胸に渦巻いて吐き気がする。
ああいう人々を借りてきた猫のように黙らせ大人しくする、将軍シヒスムンドがいないかと期待して、ダビドは広間を見渡した。
すると、メルセデスの出て行った扉から、険しい表情の軍人たちが五名ほど出てゆくところを見つける。周囲を窺うように、そっと広間を後にしていた。
あちらは廊下が続いていて、疲れたら休憩できるように用意した小部屋が並んでいるのみだ。ただ、休憩室は別の廊下の方が部屋数は多くあるため、あの廊下の方は予備として鍵を開けさせているだけで、明かりもつけていないはずだ。あのような、人でも殺しそうな顔をして向かわねばならない場所ではない。
「まずいな……」
敵意に溢れた軍人たちが、目立たないようにメルセデスを追いかけた。
ダビドは傍に立っていた侍従を近くへ呼び寄せ耳打ちをした。
生まれてこの方、大勢の視線を集めたことは数えるほどで、どれもいい思い出はない。最近なら謁見の間で告発を受けた時や、後宮へ入った初日の庭園だ。注目されることを嫌って避けてきた。
にもかかわらず、人々からの注目が想定される夜会へ出席したのは、自分の役目を果たすためだ。
新入りの愛妾は、後宮入りして最初に開かれた夜会でお披露目をして、ようやく後宮の一員として認められるという慣例があるらしい。他の愛妾たちに認められたいわけではない。だが、通常は出席するのであれば、それをしなければ、注目される場を避けた、即ち憎悪の的としての役目を放棄したとみなされかねない。
だから、今は我慢して、人々の視線と言葉を受け止めるしかない。
やがて、遠巻きにしていた観衆の中から、男が一人進み出てくる。普通の礼服だから軍人ではない。
男は何を思ったのか、メルセデスに手を差し出した。
「一曲踊っていただけませんか?」
人を見下した笑みを隠そうともしていない。彼は、メルセデスと踊ることを望んでいるのではない。
メルセデスはため息をついて、男の望むとおりにして見せる。
「お受けできかねます。手枷で踊れないのです」
踊り方はシュザンヌが教えてくれた。だが、手首を繋ぐ手枷の鎖は、肩幅より開かない。踊るには短すぎる。
鎖をじゃらりと鳴らしながら腕を持ち上げれば、男はまるで今初めて気がついたかのように、大げさに驚いて見せた。
「これはこれは! 私としたことが、失礼いたしました」
こちらを伺っていた観衆からも、笑い声が沸き起こる。
笑っているのは、おそらく遺族ではない。メルセデスを責め、貶める大義名分を得たと思っている、関係のない大衆だ。その証拠に、憎悪に満ちた刺すような視線は、彼ら以外から緩むことなくメルセデスへ注がれている。
「いったいなぜ、このようなものを着けておられるのですか?」
メルセデスは先ほどから頭痛と吐き気を覚えていた。人のいない場所へ行きたい。
「それは――、」
よく考えれば、笑っている彼らのための道化になる必要はない。享楽的な彼らを楽しませるものはいくらでもあるはずだ。メルセデスは、戦争の被害者の憎悪の的である。彼らの憎悪は、あの戦場で人を殺したメルセデスでしか慰められないから、将軍は彼女を生かしたはずだ。笑う者たちの機嫌を取るのはメルセデスの役目ではない。
すぐこの場を離れたいが故の、都合のいい解釈かもしれないが、今日のこの場ではもう十分役目を果たしただろう。
シュザンヌとよく練習した通りに礼を取った。
「失礼します」
小国の下働きの女ごときが、貴族らしき男の話の途中で場を辞すことに怒りを覚えたのか、男は途端に不機嫌そうに顔を歪めたが、メルセデスは無視して横をすり抜ける。
この広間から出たい。でもまだ帰りの時間は来ていない。逡巡して、メルセデスは入ってきた扉とは違う扉を適当に選んで、広間から出て行った。
「まあ予想通りではあるか……」
誰にともなく、玉座から広間の様子を眺めていた皇帝ダビドは呟いた。
メルセデスを取り囲んで笑っていた貴族たちは、彼女が退室すれば、すぐに興味を失ったのか、またどうでもいい話に興じ始めた。
メルセデスがこの場に出れば、ああなる予感はあった。ある程度慣例には従うふりぐらいしてもらえた方が、後宮で他人と暮らさねばならない彼女にとっては良い方に働くはずだ。なので、女官に根回しするまでもなく、出席を決めてくれていてよかったと思っていた。彼女の祖国での行いから出た錆なのだから、少しぐらい不遇にあっても我慢してもらいたいと。
とはいえ、あのような、人々の悪意の吹き溜まりらしきものを見ていると、なんとも言えない不快感が胸に渦巻いて吐き気がする。
ああいう人々を借りてきた猫のように黙らせ大人しくする、将軍シヒスムンドがいないかと期待して、ダビドは広間を見渡した。
すると、メルセデスの出て行った扉から、険しい表情の軍人たちが五名ほど出てゆくところを見つける。周囲を窺うように、そっと広間を後にしていた。
あちらは廊下が続いていて、疲れたら休憩できるように用意した小部屋が並んでいるのみだ。ただ、休憩室は別の廊下の方が部屋数は多くあるため、あの廊下の方は予備として鍵を開けさせているだけで、明かりもつけていないはずだ。あのような、人でも殺しそうな顔をして向かわねばならない場所ではない。
「まずいな……」
敵意に溢れた軍人たちが、目立たないようにメルセデスを追いかけた。
ダビドは傍に立っていた侍従を近くへ呼び寄せ耳打ちをした。
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