8 / 180
魔女編
5:後宮の洗礼(3)
しおりを挟む
講じた対策の結果は、まだ今日を含めて三日間しか観察できていないが、少なくとも現状では思い通りになっている。侍女たちは、メルセデスの部屋へ運び込まれる物品に害意が潜んでいないか、注意深く確認を続けたが、今のところ食事だけだ。
メルセデスの幸運は、女官が職務に忠実で、公正にメルセデスの担当の侍女を選任してくれて、侍女たちも随分親切な人柄であったことだろう。彼女たちもメルセデスを嫌っていれば、衣食住のどれも満足にいくことはなかったはずだ。
「みなさんのご協力のおかげです。危険も顧みず、ありがとうございます」
メルセデスは深々と頭を下げ、感謝を述べる。
この方法は、実のところ彼女たちにも危険がある。なぜなら、彼女たちには形式的に言えば、職務怠慢をさせているからだ。
本来ならば、この件を女官から王城全体の人事をつかさどる部門へ報告して、犯人を見つけて処罰させるのが正しい役目だ。しかしメルセデスの言う通り、それは嫌がらせの発生と対策のいたちごっこになる。だからといって、それを防ぐために食事の細工をわざと看過し続けるなど、何かあって事態が露見した時、女官と侍女は、なぜ報告をしなかったのかと責任を問われる可能性がある。
それも踏まえて、メルセデスは彼女たちに深く感謝していた。
「いえ、この方法が、最もレディに快適にお過ごしいただける方法であればこそです。……ですが、本当によろしいのですか。皇帝陛下は公平な方です。レディの訴えを無視なさったりはしません。時間はかかるかもしれませんが、根気強く解決へ向けて尽力してくださるはずです」
女官は不安げだ。
メルセデスは、彼女たちはメルセデスが後宮へ入れられた目的を知らないのだろうと考えた。
彼女たちの言う通り、まだ見ぬ皇帝は正しく対処してくれる人物なのかもしれない。だが、対処の結果メルセデスが憎悪の的として使えなくなってしまったら、将軍は次にどうするだろうか。皇帝には劣るだろうが、帝国軍の最高位にあり、前代未聞の手枷の愛妾を押し通した人物だ。訴える間もなく、メルセデスを処刑するおそれがある。
「おっしゃることはわかりました。しかし、今はこの方法を続けさせてくれませんか。みなさんに被害が出そうになったら、すぐにやめます」
謁見の間の前で取り囲まれた時のことを思い出し、身震いしてしまう。
女官と侍女たちは顔を見合わせ、まだ不安げではあるが、頷いてくれた。
「レディのお心のままにいたします」
女官は、皇帝の信任を受けて、現在の後宮の運営に関する采配を長らく振るっている。侍女たちも後宮にきて長い者ばかりだ。女官の頭を悩ませてくれる、全員とは言わないが、帝国出身のわがままな貴族の令嬢たちに比べれば、将軍が敗戦国から連れてくる女性たちは、元の身分が高い女性も含め、女官や侍女たちを不当に扱わないし、人間として面白い人物ばかりだった。
そんな多様な女性たちと接してきた女官の目にさえも、メルセデスは異質に映っていた。
メルセデスは下働きの身でありながら、おそらく何らかの対価と引きかえに、マリエルヴィ王国の王太子の影武者として戦った。抗戦そのものも、彼女が唆したと言われている。その魔力はすさまじく、先遣隊はわずかな人数を残して壊滅してしまい、かの将軍とも渡り合ったという。
帝国民が思うメルセデスは、それだけのことをしておきながら愛妾となって生き延びた、稀代の悪女だ。『マリエルヴィの魔女』という呼称が、一層話題を彩った。
ところが、女官の出会ったメルセデスは、にこりともしないが礼儀正しく気を使い、意外と思慮深く、常に何かを恐れている気弱そうな娘だった。もちろん、彼女の拠り所である魔力を封じられてしまったからかもしれない。もしくは、ただの演技かもしれない。
だが、愛妾は帝国で屈指の高貴な女性である。周りからの非難が平気なら、演技などせず、法に触れない範囲で身勝手に振る舞っても問題はないのだ。
侍女たちも、女官とおおむね同じ印象を抱いている様子で、メルセデスを迎えた翌朝からすでに態度を軟化させていた。
だから女官は、王国でのことは何か事情があったのではないかと思い、一旦彼女が後宮へ来る以前のことは忘れ、目の前にいるメルセデスを信じてしばらく協力してみることにした。
メルセデスの幸運は、女官が職務に忠実で、公正にメルセデスの担当の侍女を選任してくれて、侍女たちも随分親切な人柄であったことだろう。彼女たちもメルセデスを嫌っていれば、衣食住のどれも満足にいくことはなかったはずだ。
「みなさんのご協力のおかげです。危険も顧みず、ありがとうございます」
メルセデスは深々と頭を下げ、感謝を述べる。
この方法は、実のところ彼女たちにも危険がある。なぜなら、彼女たちには形式的に言えば、職務怠慢をさせているからだ。
本来ならば、この件を女官から王城全体の人事をつかさどる部門へ報告して、犯人を見つけて処罰させるのが正しい役目だ。しかしメルセデスの言う通り、それは嫌がらせの発生と対策のいたちごっこになる。だからといって、それを防ぐために食事の細工をわざと看過し続けるなど、何かあって事態が露見した時、女官と侍女は、なぜ報告をしなかったのかと責任を問われる可能性がある。
それも踏まえて、メルセデスは彼女たちに深く感謝していた。
「いえ、この方法が、最もレディに快適にお過ごしいただける方法であればこそです。……ですが、本当によろしいのですか。皇帝陛下は公平な方です。レディの訴えを無視なさったりはしません。時間はかかるかもしれませんが、根気強く解決へ向けて尽力してくださるはずです」
女官は不安げだ。
メルセデスは、彼女たちはメルセデスが後宮へ入れられた目的を知らないのだろうと考えた。
彼女たちの言う通り、まだ見ぬ皇帝は正しく対処してくれる人物なのかもしれない。だが、対処の結果メルセデスが憎悪の的として使えなくなってしまったら、将軍は次にどうするだろうか。皇帝には劣るだろうが、帝国軍の最高位にあり、前代未聞の手枷の愛妾を押し通した人物だ。訴える間もなく、メルセデスを処刑するおそれがある。
「おっしゃることはわかりました。しかし、今はこの方法を続けさせてくれませんか。みなさんに被害が出そうになったら、すぐにやめます」
謁見の間の前で取り囲まれた時のことを思い出し、身震いしてしまう。
女官と侍女たちは顔を見合わせ、まだ不安げではあるが、頷いてくれた。
「レディのお心のままにいたします」
女官は、皇帝の信任を受けて、現在の後宮の運営に関する采配を長らく振るっている。侍女たちも後宮にきて長い者ばかりだ。女官の頭を悩ませてくれる、全員とは言わないが、帝国出身のわがままな貴族の令嬢たちに比べれば、将軍が敗戦国から連れてくる女性たちは、元の身分が高い女性も含め、女官や侍女たちを不当に扱わないし、人間として面白い人物ばかりだった。
そんな多様な女性たちと接してきた女官の目にさえも、メルセデスは異質に映っていた。
メルセデスは下働きの身でありながら、おそらく何らかの対価と引きかえに、マリエルヴィ王国の王太子の影武者として戦った。抗戦そのものも、彼女が唆したと言われている。その魔力はすさまじく、先遣隊はわずかな人数を残して壊滅してしまい、かの将軍とも渡り合ったという。
帝国民が思うメルセデスは、それだけのことをしておきながら愛妾となって生き延びた、稀代の悪女だ。『マリエルヴィの魔女』という呼称が、一層話題を彩った。
ところが、女官の出会ったメルセデスは、にこりともしないが礼儀正しく気を使い、意外と思慮深く、常に何かを恐れている気弱そうな娘だった。もちろん、彼女の拠り所である魔力を封じられてしまったからかもしれない。もしくは、ただの演技かもしれない。
だが、愛妾は帝国で屈指の高貴な女性である。周りからの非難が平気なら、演技などせず、法に触れない範囲で身勝手に振る舞っても問題はないのだ。
侍女たちも、女官とおおむね同じ印象を抱いている様子で、メルセデスを迎えた翌朝からすでに態度を軟化させていた。
だから女官は、王国でのことは何か事情があったのではないかと思い、一旦彼女が後宮へ来る以前のことは忘れ、目の前にいるメルセデスを信じてしばらく協力してみることにした。
1
お気に入りに追加
151
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない
かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」
婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。
もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。
ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。
想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。
記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…?
不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。
12/11追記
書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。
たくさんお読みいただきありがとうございました!
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。
捨てた騎士と拾った魔術師
吉野屋
恋愛
貴族の庶子であるミリアムは、前世持ちである。冷遇されていたが政略でおっさん貴族の後妻落ちになる事を懸念して逃げ出した。実家では隠していたが、魔力にギフトと生活能力はあるので、王都に行き暮らす。優しくて美しい夫も出来て幸せな生活をしていたが、夫の兄の死で伯爵家を継いだ夫に捨てられてしまう。その後、王都に来る前に出会った男(その時は鳥だった)に再会して国を左右する陰謀に巻き込まれていく。
嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道
Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道
周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。
女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。
※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※

一途なエリート騎士の指先はご多忙。もはや暴走は時間の問題か?
はなまる
恋愛
シエルは20歳。父ルドルフはセルベーラ国の国王の弟だ。17歳の時に婚約するが誤解を受けて婚約破棄された。以来結婚になど目もくれず父の仕事を手伝って来た。
ところが2か月前国王が急死してしまう。国王の息子はまだ12歳でシエルの父が急きょ国王の代理をすることになる。ここ数年天候不順が続いてセルベーラ国の食糧事情は危うかった。
そこで隣国のオーランド国から作物を輸入する取り決めをする。だが、オーランド国の皇帝は無類の女好きで王族の女性を一人側妃に迎えたいと申し出た。
国王にも王女は3人ほどいたのだが、こちらもまだ一番上が14歳。とても側妃になど行かせられないとシエルに白羽の矢が立った。シエルは国のためならと思い腰を上げる。
そこに護衛兵として同行を申し出た騎士団に所属するボルク。彼は小さいころからの知り合いで仲のいい友達でもあった。互いに気心が知れた中でシエルは彼の事を好いていた。
彼には面白い癖があってイライラしたり怒ると親指と人差し指を擦り合わせる。うれしいと親指と中指を擦り合わせ、照れたり、言いにくい事があるときは親指と薬指を擦り合わせるのだ。だからボルクが怒っているとすぐにわかる。
そんな彼がシエルに同行したいと申し出た時彼は怒っていた。それはこんな話に怒っていたのだった。そして同行できる事になると喜んだ。シエルの心は一瞬にしてざわめく。
隣国の例え側妃といえども皇帝の妻となる身の自分がこんな気持ちになってはいけないと自分を叱咤するが道中色々なことが起こるうちにふたりは仲は急接近していく…
この話は全てフィクションです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる